第7話 缶コーヒーはブラックに限るだろ?

 坂口に連れられ、俺とリリィは病院まで来た。

 救急車で運び込まれたヒバナは集中治療室に入れられている。

 医者からは容態についてのコメントを得られていない。

 俺がとった救命措置を「何もしないよりマシだった」と坂口は評していたが。


 ここは消毒液臭い場所だ。

 夜中だから特に陰気で気が滅入る。


 電灯でどこまでも明るいのに見通しが悪くて無闇に広い。

 その合間を白衣のアンドロイドたちが静かに行き来する。

 勤勉なのは分かるがまるで幽霊だ。 

 

 俺の方も治療を受けたが軽症で済んでいる。

 リリィが咄嗟に助けてくれたおかげだろう。


 ベッドから抜け出し、自動販売機のある休憩所で長椅子に腰を下ろす。

 一緒について来たリリィも同じように座った。

 薄緑色の入院着のせいで肌寒い。


「ありがとうな、エル。お前の指示が役に立った」

『ネガティブ。AIとして当然の対応です」

「でも助かった」

『博士にお礼を言われたのは初めてです。本日を記念日として記憶しておきましょう』

「まったく、大袈裟だな」


 墳墓の汎用AIとは常時アクセスを確立している。

 通信用端末はボールペンサイズで、マイクもスピーカーも搭載していた。

 普段から持ち歩いており、遠隔地からでも地下の住処のコントロールができる。


 あの爆発の後、ネットワークが一時的に遮断されていたみたいだが……


「さっさと帰って、リリィのメンテナンスもしたいところだ」

「ナツメ博士、わたしは大丈夫です」


 隣に座る亜麻色の髪の少女もまた薄緑色の入院着だ。別に病院の世話になるわけじゃない。

 jungleでデータ通販したセーラー服はボロボロになっていたので、着るものを病院で借りたのである。


 露出した二の腕には分割線パーティングラインが浮いており、素人目でもリリィが人間では無いと判断できた。


「襲撃を受けたときの機敏な動作と判断をしたな?」

「自然と体が動きました」

「意識の外でそういうプログラムが組まれているんだろう。もしかしたら、お前さんの駆体には記憶領域が複数あるかもしれない」


 それも、外からは絶対にアクセスできない閉ざされた場所に。

 アンドロイド独占5社のBLACKが定める規定では、そういったデバイスは搭載しないことになっていた。


 人間が感知できない部分にバグがあると対処不可能だからだ。

 大昔のSF映画的に表現すれば「アンドロイドの反乱」を恐れている。

 実にバカバカしい。

 

 せん妄より、これからのことを考えるべきだ。

 その材料を探る。


「……どうして、ヒバナじゃなくて俺を助けた?」

「ナツメ博士の方がわたしの近くに座っていたからです。着弾から爆発までの時間で助けられるのは1人だけでした」


 あのとき、テーブルの向かい側にヒバナが座っていた。

 俺とリリィは隣同士。

 なるほど、近いから助けてもらえたのか。


「俺とヒバナの位置が逆だったら?」

「それは答えなければならない質問でしょうか?」


 リリィはやんわりと回答を拒否する。

 成長中のAIではよくあるパターンだ。

 思考回路を人間に似せているせいで、こういう事がある。


 回答を強制することも、嘘をつかせないこともできる。

 相手が人権を持たないアンドロイドだからだ。

 それを繰り返していけば従順で実直な機械に仕上がる。


 面白く無い。

 面白く無いだろう。


 名前を間違えて、怪力で、ボケをかます正体不明のこいつが気に入っていた。

 そのことをようやく自覚する。


「いじわるな質問をして悪かった。助けてくれてありがとう、リリィ」

「助けられませんでした。ヒバナさんは大怪我をしてしまいました」

「負い目を感じるな。お前さんはベストを尽くした。結果を認め、考えるんだ。どうするべきだったか、次はどうすればいいか……」


 またまた偉そうに。

 これじゃ老害だよ、まったく……


「わかりました。ところでナツメ博士、誰かいらしたようです」

「やぁやぁ、こんばんは。取り込み中でしたね。話しかけられずに待っていましたよ」


 自販機の影がらニュッと蛇が出てくる。

 正確を喫すると蛇みたいに陰惨なツラをした野郎だ。

 声音もタイミングも全ていやらしい。


 日付が変わっているから今は月曜日か。

 こいつは、これから出勤なのだろう。

 青白い細身に3ピースのスーツをビシッと着こなし、虹色の艶が出る整髪料でオールバックにセットしている。

 年齢は知らん。俺とタメか少し上だろう。


 生理的嫌悪感から背筋が寒くなり、追い返そうと思って睨み付けてやった。


「組長は集中治療室だぞ」

「あのお方は社長です。どうぞお間違えなく」

「ナツメ博士、この方はどちら様でしょうか?」


 リリィの問いに対して蛇野郎は気分を害したらしい。

 わざとらしく咳払いなんてしてやがる。


 そりゃそうだ。天下のカタギリファウンデーションの副社長の顔を知らない奴が目の前にいる。

 この程度の些事でプライドを傷付けられる繊細な男なのだ。


「リリィ、その紳士はトウドウ副社長。ヒバナの会社のお偉いさんだ」

「そうでしたか」


 感慨なさそうな反応だ。トウドウの米神がピクピクしている。

 常識的な社会人の皮を被っているつもりだろうが、感情的で分かり易い人間だ。

 勿論、悪いところばかりでは無い。こいつは仕事に関して極めて優秀である。


 その証拠にリリィの二の腕を見た瞬間、表情が冷めていった。

 アンドロイドだと分かって無視することにしたのだろう。

 構うだけ無駄。へつらう意味もない。

 こういう考えをする人間はよくいる。


 ヒバナとは真逆だ。

 例え思い付きだったとしても、あいつはリリィとの出会いを祝おうとしてくれた。


「で、何の用事だ? 面会時間には早すぎる」

「あと2時間後には執行委員を集めた緊急会議が開かれます。手短にいきましょう。社長を襲った賊について、博士の見解をお聞きしたい」

「どうして俺に聞く?」


「短時間ですが現場はネットワークから遮断されていました。そのせいでオンラインのカメラには映像も音声も残っていません」

「突入したヤクザ連中が一戦交えただろ。そいつらからヒアリングすればいい」

「ヤクザではなく社員です。残念ながら彼らの多くは敵の姿を確認する間も無く殺されました」


 蛇が落胆したフリをしている。

 演技が下手くそだ。画面に出てこないで欲しい。

 こいつは人が死んだことよりも、賊の姿を捉えられなかったことに怒りを感じている。


 素直に教えてやるのはしゃくだったが、意地を張るべきところではない。


「若い女だった。金髪で碧眼。結構な美人だがヒバナほどじゃない」

「どんな武器を所持していましたか?」

「アマワ社の強化外骨格スーツを着ていた。それも市販モデルじゃない。明らかに軍用品だ。諜報用かな。ネットワーク遮断も機能の一部だろう」


「メーカーと機能を特定できるのですね。さすがです」

「元社員だ。あちこちカスタムしてあったよ。パッと見で無塗装の白。いや、胸のあたりのフレームだけ黒く塗られていたな。おっぱいの上に薔薇が咲いてるみたいだった」

「他には?」


「安っぽいオートマチックの拳銃が一丁。その辺のホームセンターでも売ってそうなヤツ。あとは強化ガラスをぶっ壊したロケットランチャーみたいな何か。どうやって屋上まで登って来たのかは知らん」

「現場付近でヴァーティカルジェットが目撃されています。ポートに着陸せず、上空から単身で降りたのでしょう。強化外骨格スーツがあれば容易い筈です」

「ジェットエンジンの音なんてしなかったぞ」

「あの部屋の遮音性は高い。もしくはジェットが相当な高度にいた。それだけのことです」


 なるほど。

 ヒバナに説教された時は誰もいなかったからな。


「では、我々は黒薔薇の君を仕留めればいいわけですね」


 気障きざな言い回しをしているつもりだろうが、文学的センスが壊滅的だ。


「なぁ、トウドウさん。相手に心当たりはあるのか?」

「襲撃時点では不明でしたが、既に調査を開始しています。見つかるのも時間の問題でしょう」

「どうするつもりだ?」

。シンプルに……ね」

「これだからヤクザは」


 蛇野郎は穏やかに頷く。一体、何に同意したのか分からん。

 あるいは引き出すべき情報は揃ったのか。

 興味は俺との会話ではなく、既に別のところへ向いているようだった。


「そんなことよりヒバナは助かるのか?」

「重症です。この数時間が大きな山となるでしょう」

「また襲撃されたらどうする」

「心配には及びません。カタギリファウンデーションの威信をかけた最大級の警戒を敷いてます」


 どうだかな。そうは見えないけど。

 病院なんて敷地は広いが通路は狭いし防御力も皆無だ。

 あの黒薔薇の女が息を潜め、救急車の行き先を観察していたとしたら……


「あのタイプの強化外骨格スーツは機動力があっても防御力は高くない。狭い場所で飽和攻撃サチレーションアタックで仕留められる。病院内じゃ不可能だが一応教えておく」

「アドバイスありがとうございます」

「後の祭だがヒバナの警護が甘かったんじゃないのか? ドンパチはあんたらの本業だろ」

「耳の痛い話です。しかし、社長はプライベートな予定を共有していません。友人を招いて食事すると知っていたのは坂口氏だけです」


 何気に信頼されてるな、坂口のヤツ。

 もしくはトウドウが信頼されていないだけか。


 頭の中では複数のルートが組み上がっていく。

 ゴールはズバリ『安全』だ。

 障害となるものは避けるか取り除かなければならない。


「博士も、どうかお大事に」

「大した怪我じゃないから一眠りしたら帰るよ」

「手錠型爆弾を付けたままじゃ落ち着きませんからね」


 すっかり忘れていた。

 あまりにフィットしていて存在が頭の中から消えていたのである。


 俺の右手首に巻いてある手錠……というよりブレスレットは、逃走防止用の爆弾だ。

 墳墓の外に出るときは付けるという契約で(付けないと扉のロックが外れない)、カタギリファウンデーションの汚い仕事をしている。


 悲しいかな、信用されていないし脅されていた。

 逃げたり警察にチクったりしたら即ドカンである。


「いつ見放されるのかハラハラしながら外出しているよ」

「要らない心配ですよ。それよりも警護を付けしましょうか?」

「それこそ要らん。俺みたいな平社員を狙う輩なんていない。それにフレッドの店に出荷するゾンビを間に合わせないとな」

「あぁ、どこぞの小口の業者でしたっけ?」


 そうそう。

 卵を丸呑みにしたい蛇からすれば、取るに足らないシマだよ。


「そうだ。もっと切実な頼みがある」

「なんでしょうか?」

「缶コーヒー奢ってくれ。爆発でクレジット端末がイカれて使えないんだ。カフェインを摂りたい」

「カフェインもアルコールも法律で禁止されています。ここで売っているコーヒーには入っていませんが……」

「気分の問題だよ。梅干しを見ると唾液が出るだろ? それと同じさ。いいから、適当なの1本選んでくれ」


 渋々、トウドウは指先を自動販売機にかざす。

 皮膚の下に埋め込まれたクレジット端末が反応し、蛇野郎はこともあろうかミルクコーヒーを選びやがった。

 そこはブラックだろう、普通。


「どうぞ。では、これで失礼」


 手渡す気はないらしく長椅子の端に置いた。

 仕立てのいいスーツの背中を見送ってから、俺はコーヒーの缶を慎重に掴む。

 側面には触らず、上下を丸い部分で保持した。


「ナツメ博士、本日中に帰られるのですか?」

「いや、メンテナンスの予定はキャンセルかな。しばらくあの場所には戻れない」

「どういうことですか?」

「1度、ハメられたことがある。だから用心深いのさ」


 最高には程遠いが、心地よい引き籠り環境。

 我が愛しの墳墓よ。


「エル。墳墓のローカルに保存しているデータを全て削除。足跡も消してくれ。キスのリクエストに対しては常時ブロック。侵入者がいた場合は安置所にある死体のウィルス・プログラムを起動して撹乱。研究内容はクラウドへ移行しておいてくれ」

『了解。30分以内に完了します』

「それと俺の預金を全部、隠し口座の方へ入金。新規にクレジット端末を契約。名義は任せる。ダミーの個人コードは過去にカタギリ・ヒバナが用意してくれた中からランダムに選んで使うこと」

『同じく30分以内に完了します』


 隣のリリィはキョトンとしている。

 説明は……移動時間を使って話そう。

 服も移動手段も調達しなければならない。


 そういうのが得意な奴といえば、フレッドか。

 あまり頼りたくはないが口の固さは問題ないだろう。


「エル、この病院のパブリックスキャナーの位置は?」

『廊下の突き当たりを右です』

「指紋の採取はできるか?」

『ロック解除とアプリの書き換えをすれば可能です。利用規約に反しますが本当に実行しますか?』

「勿論。この缶に付着したものを保管してくれ」

『了解です』

「あの、ナツメ博士は何をされているのですか?」


 さて、なんと答えようか。

 本当はリリィのAIを毒塗どくまみれの環境に晒したくなかった。

 世の中は汚い。呆れるくらいに。


「お前さんと、ヒバナと、俺を守るための行動だよ。さっさとここを離れよう。あいつが死ぬわけがない。ボーッとしているとが来ちまう」

「ナツメ博士には敵性意志の正体が見えているのですね」

「そんなに大層なものじゃない。消去法さ」

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