第6話 鉛玉なんて時代遅れだろ?

 30半ばにもなって正座させられて説教とは精神的にキツい。

 鬼のような形相とはカタギリ・ヒバナの怒った顔を指すのだろう。

 人格を傷つけかねない罵詈雑言を浴びせられた俺は借りてきた猫のように大人しくなる。


 まぁ、俺が悪い。

 それは認めよう。


「ところで私があんたに意地悪したことある?_」

「そのデカい胸に手を当てて聞いてみるといいさ」

「無いって言ってる。おばさん呼ばわりされる心当たりも無いんだけど」


 ボロが出ないように努めないと。

 こんな盛大なボケをかまされて突っ込まない奴がいたら、笑いのセンスがどうかしているに違いない。


 それはそうと高層だけあって風が強い。

 鬼から目を逸らすと真っ平らなコンクリートに白いサインが描かれている。

 ヴァーティカル・ジェットの発着場だ。

 カタギリ・ファウンデーションのボスならプライベート機を所持していてもおかしくはない。


 古臭い言葉で飾れば、こいつはセレブなのだ。

 やってることはヤクザで違法だけどな。


「こんなとこにいたら風邪ひくわ。戻りましょう」

「誰が引き摺り出したんだよ」

「もう少し反省会やるつもり?」

「中へ入ろうか」


 密談の後でリビングに戻ると、リリィはポカンとして待っていた。

 そりゃそうだ。

 目覚めたらいきなり喧嘩が始まったんだもんな。


 ヒバナはすかさずフォローに入り、全員が落ち着いて席に着くように促した。

 その後は小賢しい話術で警戒を解きにかかる。

 立ち回りが上手い。張り詰めた空気はみるみるうちに和らいでいった。


「わたしのお祝い……ですか?」


 テーブルを囲んでいるのは額を腫らしたオッサン、いじわる若作りおばさん、セーラー服女子の3人である。

 ヒバナの奴、咄嗟にサプライズパーティだと言って誤魔化しやがった。

 こういう機転の効かせ方というか、世渡り上手なところには感心させられる。


「そう。あなたのことはナツメ博士から聞いているわ」

「ついさっきな」


 俺が毒づくと、紅い電子虹彩の瞳が睨みをきかせてくる。

 言いたいことは伝わってきた。

 話を合わせろ、と。


 経済力でも腕力でも勝てそうにない相手だから素直に諦める。

 了解、と手のサインで返しておいた。


「ありがとうございます。わたしはリリィです。よろしくお願いします」


 名乗ってからお辞儀をするシンプルな自己紹介だ。

 世間の荒波に揉まれまくってスレたヒバナにはかえって新鮮だったのだろう。

 妙に嬉しそうに微笑んでいる。

 これは仕事中の表情とも、俺と憎まれ口を叩き合っている表情とも、どちらとも違っていた。


「私はカタギリ・ヒバナ。ナツメ博士が所属するカタギリファウンデーションの社長をしているわ。ヒバナって呼んでね」


 業務内容には全く触れない。賢明だな。

 もしもリリィが興味を持ってしまったら、俺だって適当に流すつもりだ。


「ヒバナさんは、ナツメ博士の恋人なのですか?」

「ぶっ……!」


 抑揚のない声からなんてキレのあるジョークを繰り出すんだ!

 今日までの学習速度の早さに感動する。

 吹き出してしまった俺は椅子から転げ落ちないよう必死に体を支えた。


「どうしてそう思うのかしら?」

「異性を家に招いて食事を用意するのは、親しい間柄だからです」

「本でそういうのを読んだ?」

「はい」


 これは流石に怒るか。ヒバナにとっては心外だろう。

 一方でリリィにとっては苦い経験だがプラスになる。

 こういう失敗で人間は距離感を覚えて適切な関係を築く。


「隠しておけないわね。実はそうなの」

「は?」


 艶のある声でそんなつまらない冗談を言うなよ?

 誰と誰が恋人だって?


 頬は熱っぽく、しかし視線は凍らせて。

 ヒバナは意味深な目で俺を見る。

 こいつ、完全に遊んでいやがるな!!


「わかりました。ナツメ博士が異性と交際しているのは喜ばしいことです」


 リリィも何を言い出すんだ。

 思い出せる限りのタイトルが脳裏をよぎるが、どの本から悪影響を受けたのか判断がつかない。

 エルに選ばせた後で俺もチェックしたが、セックスシーンのある物語は全部外しておいたのに。


「婚約のご予定はありますか?」

「う〜ん、なるべく早いほうがいいけど来年かしら」

「喜ばしいことです」


 ロールプレイに興じていて手が付けられない。

 こういうのを軽くスルーしておくのが大人ってモンだろう。

 俺は敢えて口を挟まず、婚約者のなすがままを選んだ。


「リリィちゃん、いい子じゃないの」

「バツイチ同士でお似合い……ってか?」

「そういうこと言わないの」


 まだワインの栓は開いてなかった。

 空気だけで酩酊できるならなんて羨ましい!

 俺は追随するためジャケットのポケットからピルケースを取り出し、いつもの薬を飲もうとした。


 ヒバナは「これから食事よ」と止めてくる。

 確かに、勿体無いか。ハイになる代わりに味覚も多少は狂うし。


「申し訳ありません。わたしは食事ができません」

「飲み物なら少しは大丈夫ってナツメ博士から聞いているわ」

「はい。ですがお酒は……」

「未成年だから?」

「はい。0歳です」


 これには俺とヒバナが2人揃って笑ってしまった。

 なるほど、再起動を誕生日とするならリリィはまだ0歳児だ。


「未成年は飲酒禁止なんて法律、とっくに無くなってるわ」

「アルコール摂取そのものが禁じられてるもんな。年齢はもう無関係か。そもそもお前さんは機械だから関係ない」


「わたしの読んだ本では17歳の主人公がビールを飲んで退学処分を受ける描写がありました」

「青空文庫だから著作権が切れている。50年以上も前の物語だな。その頃は『お酒はハタチになってから』なんてフレーズもあったらしい」


「名のある探偵が大麻を吸引する本も読みました。大麻は問題ないのでしょうか?」

「19世紀後半のお話かしら。その頃は合法だったのよ」

「そのうちコイツも違法になる」


 ピルケースをひらひらと見せびらかしてからポケットへしまう。


 大らかな時代の大らかな物語がリリィの人格形成にかなり影響しているようだ。

 読書による学習を過小評価していたかもしれない。

 未だ一週間と経っていないのに、俺の想像していたAIの枝葉とは違う場所へ進んでいる。


 現実と幻想をきちんと区別できるのが機械の良いところだ。

 その機能が弱いということは、人間に近いということ。


 そういえばリリィは俺の名前を間違えたり、握力を調整できなかったり、ボケをかましたり、妙な面もある。

 人格のプリインストールができないということが、まるでサイコロを投げるかのようにエキサイティングだと知っていた。


 俺は、そういう研究にも携わったことがある。

 けれど記憶にあるどの事例よりもリリィはミステリアスで面白い。

 あるいは感動の閾値しきいちが下がっているだけかな?


 悲しいが、年齢としだし。


「さ、そろそろ乾杯を……」


 ヒバナが硝子ボトルに手を伸ばしたそのときだった。

 部屋の電気が全て消え、あたりは真っ暗になる。

 

「停電か? こんな高級マンションで?」

「すぐに非常用電源に切り替わる筈よ」


 セリフ通りに30秒と経たず部屋の明かりが灯る。

 気付くとリリィだけ立ち上がっていた。

 普段の色味の薄い顔から、数ミリほど眉が吊り上っている。


「窓の外に誰かいます」

「えっ?」


 さっき、ベランダで説教されたときは俺とヒバナだけだった。

 あれだけのスペースがあればどこかへ身を隠すこともできたかもしれない。


 泥棒だったらどうする?

 高価な品で溢れているから仕事の甲斐があるだろうに。


「ここのセキュリティは万全よ。部外者が立ち入ることなんてできないわ」

「武装しています」


 暗い夜空を映していた窓に、蜘蛛の巣の如きヒビが走る。

 中心には円錐状の物体が突き刺さっていた。

 このレベルの住居が防弾ガラスを採用していることに疑う余地はない。


 しかし、先端部だけほんの少し部屋側に貫通したを見て俺は叫んでいた。


「伏せろ!!」


 巣の中心が真っ赤に燃えて爆煙が広がった。

 同時に凄まじい熱の渦が部屋の中に渦巻く。

 ベランダと内部を隔てるものはもう無い。

 

 俺は……リリィに抱えられて、キッチンの裏側にいた。

 景色がワープしたせいで何が起こったのか理解できていない。


 しかし、想像はできる。

 爆発の直前にリリィが俺の胴体を掴んで跳躍し、ここへ逃げ込んだのだろう。


「ヒバナは!?」


 呼吸が苦しい。皮膚がヒリヒリする。

 スラックスはあちこち焦げていた。

 構わず辺りを見回すと、砕けたテーブルやら椅子やら家電製品やらが転がっている。


 その中で、グッタリと横たわるヒバナの姿があった。

 衝撃で壁に叩きつけられたらしい。ピクリとも動かない。 


「ヒバナ!」


 なんで……なんでこんなことに!?

 とにかく助けなければ!!


「待ってください、ナツメ博士」


 立ち上がろうとした俺のジャケットの裾をリリィが掴んできた。

 振り解こうとしても全く動かない。

 パワーで勝てないことは分かっている。


「離せ!」

「頭を上げると危険です」


 リリィの顔もすすけていた。

 俺の服と同じように衣装もあちこち焦げて敗れている。

 だが表情だけは一切の揺らぎがない。


「すぐに離せ。これは命令だ」

「ナツメ博士は『緊急時以外は、握力を抑えておくように』と仰いました。今は緊急時なので握力を抑えていません」

「人命救助が優先だ」


「敵性意志を排除します。救助はその後でしか実行できません」

「その敵性意志ってのはなんだ?」

「現時点では不明です」


「ここはヤクザの親分の家だ。カチコミがあったなら、すぐにおっかない連中が駆け付ける。助けが来るんだ」

「それならば増援を待ちましょう」

「お前さん、いやに的確だな。メモリーが回復したのか?」


 曇りのない目が微かに陰る。

 偽りか、迷いか。

 どっちでもいい。早くヒバナを助けないと!


 問答なんてしている時間がない。俺はリリィの頭を押さえて強引に引き剥がしにかかる。

 刹那、背後から乾いた炸裂音が響いた。

 

 1発。

 

 振り返ると、ヒバナの側に誰か立っている。

 そいつはトリガーに指をかけて、銃口を下に向けていた。

 安っぽいオートマチックの拳銃である。


 さらに1発。


 ヒバナの体が跳ねて、床に血溜まりが広がる。

 

 俺の……幼馴染を! そいつは!


「……!」


 何を叫んだのか自分でも分からなかった。

 魂が擦り切れそうな絶叫だった。


 リリィは俺を突き飛ばし、代わりにそいつ目掛けて駆け出していく。

 人工筋肉が伸び縮みする音も耳で拾える。

 そんな錯覚を持つほど感覚が濃縮されていた。

 

 賊は嗤う。

 女だ。金髪で碧眼。

 アマワ社製の強化外骨格スーツ。

 ベースカラーは白だが、胸部のフレームだけ黒く塗られていて薔薇が咲いているみたいだ。


 すぐに玄関から飛び交う野太い怒声。

 ヤクザどもが騒ぎに気付いたのだ。


 俺は這い蹲ってヒバナの元へ急ぐ。

 もうロケットランチャーだろうが鉄砲玉だろうが何が飛んできても構うもんか!


「エル! 友達が拳銃で撃たれた! 火傷もしている! 救命処置のガイドを頼む!」

『近辺のネットワークが遮断されています。端末に保存されたローカルモードで対応。傷口の確認を』


 サポートAIを載せた端末が俺の声に応えた。

 手順に従って止血する。

 その数メートル横ではリリィと賊が対峙していた。


………

……


 俺が覚えているのはそこまで。


 雪崩れ込んできたヤクザのうち何人かを殺し、賊は最上階から飛び降りて逃走したらしい。


 これが、リリィと忌まわしい『不浄の薔薇』ダーティローズの出会いだった。

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