第5話 料理が趣味とか聞いてないぞ?
日曜日の夜。
俺は雇い主に呼び出されていた。
エルに相談したらドレスコード云々とか言い出して、jungleからジャケットとスラックスを勝手にダウンロードしやがった。
おかげで今夜の俺はすこぶるファッショナブルだ。
ヒゲも剃ってきたし。
例の有料アプリに1ミリくらいは感謝しておこう。
「何そのスーツケース。海外旅行でもするの? 引き籠りのくせに」
「お前が連れて来いって言ったんだろ」
墳墓の地上階に送迎用の高級外車が到着し(運転手は俺のマネージメント役の坂口だった。最悪)、行き先も教えてもらえずにやって来たのは超高級マンションだった。
ドア・トゥ・ドア。
ガラス張りの入り口を抜け、サッカーができそうなくらい広いロビーで待たされ、最上階への直通の専用エレベーターに乗せられ、そこにいたのはカタギリ・ヒバナ組長である。
この前は入浴シーンで素っ裸を披露してくれたのだが、流石に今日は服を着ていた。
当たり前か。
本当に普通の、その辺の主婦みたいにカジュアルなスタイルである。
自慢の銀髪をうなじで結えているせいか、あるいは肌用の映像補正アプリを通していないせいか、立体映像で見るより老けている。
いいとこ30歳ジャストくらい。
実年齢はそれよりも上だと俺は知っているけどな。
ぶっちゃけ、通話中の奇妙なくらい若々しい姿よりコッチの方がいい。
「あんた、また失礼なこと考えているでしょ?」
「エスパーかよ」
「なんでバカでかい荷物なんて持ってきたの? ま、まさか……私の家に転がり込むつもり?」
どうして微妙に目を逸らす?
瞳が潤んだように見えるぞ。
「空けとけとは言われたが、家に招待されるなんて聞いてなかったぞ。それに四六時中お前がいたら息が詰まるわ。例のアンドロイドが中に入っているんだよ」
「あ、そう。一応、説明するけどここは本邸じゃないわ」
「俺の住処と雲泥の差だ」
「ヒエラルキーの差よ。それはそうと
「当たり」
「普通に連れてくれば重いスーツケース引き摺る必要なかったでしょ」
そんなこと分かっている。
しかし、これが俺なりの判断だ。
「稼働してから1週間も経ってないし、色々と教えている最中だ。ボスに失礼があったら大変だろ」
「カタギリ・ファウンデーションの礼儀ワーストが口にしていいセリフじゃないわね」
「いつまで玄関で話させるつもりだよ……」
「はいはい。中へどうぞ」
招かれるまま進むと、キッチンとリビングがあった。
下手な料理店の厨房より広くて調理器具も揃っている。
用途の分からん調度品はどれも高そうだった。
けれど不思議と緊張感がなく、あくまで個人宅といった雰囲気を残している。
ついでに特徴的な匂いもあった。
これはハーブだろう。
ということは肉料理でも用意してあるのかな?
「薄情な男ね。レディを玄関に置き去りにするなんて」
「高そうなカーペットが汚れるぞ」
「構わないわ」
ボスのご意向だ。俺はリリィを詰めたスーツケースを回収してリビングへと戻る。
ヒバナは既にテーブルについていた。
運動会のトロフィーに似た形のグラスが2つ並び、すぐそばに緑色の硝子ボトルがある。
「ワインか、それ」
「正真正銘の本物よ」
「飲料用のアルコールは売買禁止だぞ。酔いたきゃドラッグしかない」
「このご時世でも密かにワイナリーがある。それだけよ」
やれやれ。ヤクザの親分にお説教は無駄か。
機械や電気のことならともかく、テーブルマナーなんて興味のない分野だから全くの無知だ。
とりあえず椅子に腰掛けてやる。目の前のナイフやフォークをどうすればいいのか既に分からない。
この三角形の紙はなんだろう?
棺桶に入る仏さんが頭にしているアレに似ている。
戸惑う俺がおかしいのかヒバナが微笑みかけてきた。
美の中で一点だけ曇る、電子虹彩の瞳がカメラ越しよりもずっと紅い。
「あんたがご執心の子、どうなの?」
「世間話レベルでいいなら報告するけど」
「日曜日だもの。仕事の話じゃなくていいわ」
「送迎が坂口だったが、休日出勤させたのかよ」
「いいえ。あんたを家に呼ぶと言ったら自発的に名乗りをあげたの。手当もつかないし完全なプライベートね」
「うへぇ……普通のタクシーにしてくれればいいものを」
「それよりもアンドロイドの話」
食事前のスモールトークで
デリカシーが無い。いや、お互い様か。
「死体状態から蘇生した。俺の知らない事例だな。メモリーは無いが運動プログラムが生きている。無線通信機能も無し。首筋にメンテナンス用のプラグがあるけど専用品だった」
「天下のナツメ博士なら初見でそのくらいまで見抜いていると思うけど」
「嬉しいね。過大評価」
「アマワ社の技術部門にいたくせに」
「昔の話だよ。クビになった今じゃヤクザの手下さ」
「で、今日の昼までに分かったことは?」
楽しそうだ。羨ましい。
質問攻めにされて俺は胃が痛いよ。
これが利害関係のない相手なら「さぁね」と返して会話をシャットダウンだ。
自己顕示欲や虚栄心で手札を晒すなんて真似はしない。
けれど、飼い主には逆らえなかった。
このシーンで下手な返しをすると大きく反撃される。
ヒバナはそういう女だ。
「プラグは1日がかりで自作した。それを挿して内部にアクセスしたが、メーカーも製造年月日も不明。気になるのは駆体の構造だな。スキャンしたら神経ラインが2系統あったし、樹脂成形骨格も軽さじゃなくて強度重視だった。人工筋肉の構造に至っては汎用品とまるで違う」
「専門家じゃない人間にも分かり易く説明する。それができないと予算会議を乗り切れないわよ?」
「前の会社で嫌というほど実感してるさ。平たく言えば、発揮できるパワーが並じゃない。制御用に追加の神経回路を持っているんだろうな。フレームもそれに耐えられるように設計されている」
その片鱗は既に目の当たりにしている。
あぁ、尊き犠牲・我が家の掃除用具たちよ。
「物騒な用途しか考えられないわね。
「そうだよ。俺んトコに送られてくるのはみんなそうだ。けど、こいつはなんだか違っていたんだ。スーツケースに造花と一緒に詰められていた」
「死者への手向け……か」
大したことないカードを切らされた。
知っていても、知らなくても、どちらでもいい内容である。
しばしの沈黙。
もっと喋ろと命令されたら、リリィが今週読んだ本のタイトルを教えてやるつもりだ。
「ねぇ、その子も一緒に食事させてみない?」
「言っただろ。まだマナーの『マ』の字もないんだよ」
「あんた、人のこと言えるの?」
「うぐっ……」
痛いところを突いてくるから呻いてしまったじゃないか。
「最近の高機能なアンドロイドとは違う。食べ物は食べられない。飲み物なら少し飲める」
「アルコールには反応しないわね」
「飲ませる気だな」
「せっかくだからステーキもご馳走してあげたいけどね。お祝いに」
「その割に料理人の姿が見えないけど、ここ以外のキッチンもあるのか?」
「私が焼くのよ。驚きなさい、天然の肉よ!」
花を摘むことは残虐な行為として禁止された。
だからリリィには造花が手向けられた。
同様に、動物を殺して食うのも残虐な行為とされている。
もう何十年も前に施行された法律だが、キャベツが食用牛とどう違うのか俺には疑問だった。
マーケットに出回る肉は全て、脳や神経細胞の無い動物から作られたクリーンな代物である。
痛覚が無いなら殺してもいいよね、というのがイケてる人間の理屈らしい。
天然動物のステーキに、アルコールの入ったワイン。
俺の1年分の給料を突っ込んでも1食で消えてしまうほどの高級品だ。
ついでに違法品でもある。そのせいでありがたみが薄い。
「アンドロイドを祝ってやる感覚が俺には分からん」
「いいじゃない。お酒を飲む理由になるなら」
「今から起こす。失礼があっても大目に見てやってくれ」
「怒らないわよ。お祝いだもの」
呆れつつ、俺はスーツケースのロックを解除する。
蓋がゆっくりと開くと中から亜麻色の髪の少女が立ち上がった。
静かに目を開いて右と左を交互に確認し、正面の俺へと向く。
どうせ「顔を見せろ」と言われるのは分かっていたので、予めフォーマルな格好に着替えさせておいた。
リリィが着ているのはヴィンテージの学生服である。
100年前の日本では標準的だった『セーラー服』というセットで、名前の通り水兵に似たスタイルだ。
紺色がベースで胸元のスカーフは白、スカートは膝のやや下&ソックスは足首の少し上まで。
パンプスは控えめなブラウン。
jungleのアプリがオススメしたのだから問題ない。
「
眉の間に小さくシワが寄ったのを見逃さなかった。
リリィは明らかに戸惑っている。
何故なら彼女は本以外で、墳墓の外の世界に触れたことがない。
「驚かせて悪かった。ここはカタギリ・ヒバナ氏の家さ。ほら、あのご婦人に自己紹介をしてごらん。練習したみたいに」
自分でも気持ち悪くなるくらい優しい声を出せたと思う。
やったぞ、俺。紳士なエスコートだ。
「いじわる若作りおばさんの家に行くと仰ってませんでしたか?」
一気に圧倒的アウト。
ダメだぞ、リリィ。空気を読むんだ。
フォローのセリフを考えるよりも先に未開封のワインの瓶が回転して飛んでくる。
後で聞いた話だが1本600万円だそうだ。やはり金持ちは理解できん。
避ける間もなく額に直撃し、幸いなことに硝子は割れなかったが俺の体は床へ倒れる。
見事な投擲を披露したヒバナはそれだけで飽き足らず「ちょっとコッチへ来なさい」と耳を掴んで俺を引き摺り、ベランダで説教が始まった。
口は災いの元、とはよく言ったものだ。
今後は気をつけよう。本気で。
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