第4話 そのアプリが有料なのは反則だろ?

 応接室の窓に夕陽が差し込む。

 ここは地下だから窓型のディスプレイにオレンジ色が映っているに過ぎない。

 しかし、時計の針だけ眺めていると時間感覚が失われるので致し方ない措置であり、装置でもある。


「ヤマメ博士、いつまでこうしていればいいでしょうか?」


 ソファに座りながらグリップ型の測定器を握ったリリィは首を傾げる。

 掃除用具をぶっ壊して床を水浸しにした犯人は、その後始末に使っていた雑巾ですら捻じ切ってボロボロにしてくれた。

 休憩がてら向かいに腰掛けた俺は半目になる。


「ナツメだ」

「わかりました」


 声のトーンに抑揚がない。今日生まれたばかりの赤ん坊に十分なリアクションは期待しないでおこう。

 そもそも原因不明の再起動を果たしたアンドロイドを「面白そう」という理由で教育し始めた。

 ゆるくてフワフワな考えだったのは認めよう。女子か俺は。

 けど、そういう日もある。あるなら受け入れるべきだ。


「お前さんは腕っぷしが強すぎるから、掃除よりも先に手加減を覚えてくれ。そのグリップ型握力計は即席で作ったものだ。すごいだろう。なおポップアップディスプレイに握力が表示される」


 リリィの眼前にはキログラム表示の数字が浮かんでいる。

 一定以上の力がかかると数字が赤くなるのだ。

 それが頻繁にレッドゾーンに飛び込むのだから変な笑いが出る。


「むしろリミッターがかかってないことに驚くぞ」

「再起動以前のメモリーが消えています」

「それは把握している。完全に消去されていたとは思えない。運動プログラムは機能しているからな」


 どうして力加減だけがぶっ壊れているんだ。

 ワザとか。ワザとなのか?

 そんな設計するエンジニアがいるわけないし、いたところでリリースする会社なんてない。

 市場流通が許される規格品では有り得ない仕様だ。


 リリィの駆体はBLACK……つまりはアンドロイド製造の独占メーカー5社のいずれのものでもない?

 もしくはBLACKが実験に造った?

 無許可でユーザーに改造された?


 いや、最後のは有り得ないな。

 セーフティ関係のプロテクトは厳重だから突破できるわけがない。


 俺ですらを無知性で適当に動かすことしかできないんだ。

 稼働中の駆体からリミッターだけ外す(それもボディ側は壊れないように)なんて高度な真似は実質不可能。


「ナツメ博士、学習完了しました」

「よし。緊急時以外は、握力を抑えておくように」

「緊急時とはどのような場合でしょうか?」

「自分の身に危険が迫っているときだ」

「わかりました」


 素直でよろしい。

 こういうのは人間にない美点だ。

 ヒバナの奴も少しは見習え。


「次は何を手伝えばよいでしょうか?」

「今日はもうゆっくりしていい」

「ゆっくりとは何をすることでしょうか?」


 あぁ、そうだ。こういうところから教えるんだった。

 懐かしい感覚のあまり、腹の底がむず痒くなる。

 プラグ挿して人格をプリインストールする方が1,000,000倍は簡単だ。


「難しいな。『ゆっくり』ってのは、個々の考え方による」

「ではナツメ博士が『ゆっくり』する方法を教えてください」

「俺か? 俺は……そうだな」


 同じ畑の誰かの論文を読む。

 アンダーネットで話題の本を読む。

 ボーッと壁を眺める。

 散歩はしないな。墳墓から外に出るのが面倒だし。

 音楽も聞かない。映画はたまに観る。


 それらを話すとリリィは瞬きを2度した。

 機械の目は乾くことなんてないけど、開いたままだと不自然だからそういうシステムが組み込まれている。


「わたしも真似をしてよいでしょうか?」


 親と同じことをしたがる子供か。

 まぁ、初日にしてはいい傾向だろう。

 

「なら読書がオススメだ。どんな本が読みたい?」

「どんな本があるのか分かりません」

「エル、青空文庫のアプリをダウンロード。墳墓内の端末のアクセス権限にゲスト扱いでリリィを登録。ついでにオススメの書籍を教えてやれ」

『了解いたしました』


 こいつ、今日はじめて「ネガティブ」って言わなかったぞ。


「エルとは何でしょう、ナツメ博士」

「あぁ、そうだった。紹介がまだだったな。エルはこの施設に在中している汎用AIだ。肉体労働以外の雑事は大体やってくれる」

『お見知り置きを、リリィさん』

「エル、よろしくお願いします」


 ポンコツめ……俺が話しかけたときと態度が違う。

 年季の入ったシステムのくせに、若い女の子には随分とソフトに接するじゃないか。


「エル、俺には雑でリリィには丁寧に会話する理由を言え」

『ネガティブ。ユーザーの年齢と性別にフィックスした話し方をしているだけです』

「お前、しれっとオッサンには冷たくしますって宣伝してるぞ」

『ネガティブ』


 とんだ茶番でもリリィはじっと聞き入っている。

 こういうのは学習しなくていいんだけどなぁ。


『リリィさんの衣服の購入を提案します。オススメのサイトはjungle、ユニバース・ポート、カラタスのいずれかです。施設内の3Dプリンターで出力可能な商品サンプルを提示しましょうか? この場合、合成繊維カートリッジへの換装に同意してください』

「ここに住んで初めてサジェッションなんて聞いた。ターゲッティングに中年男性が入っていないのは理解できたわ……」


 プロジェクターが勝手に起動し、狭苦しいテーブルの上には女の子の服が3つ表示される。

 ゆっくりと回転する商品サンプルの動きを目で追うリリィの顔は、好機に満ちていた。


「白衣とTシャツとジーンズしか印刷したことなかったなぁ」


 服をアウトプットできるが、生憎と俺は服に拘りが無い。

 洗濯してヨレてくれば交換する。

 その程度の認識だった。


「ナツメ博士」


 敢えて明確に意志を伝えず、セリフを途中で区切ったのはこれが初だ。

 言葉にしていない部分を読み取って欲しいというサインである。

 ヒバナあたりが同じことをしたらスルーしてやるところだが、リリィの頼みなら聞いてもいい。


 というか、いくらアンドロイドでもオッサンのTシャツ1枚で過ごさせるのは非道というものだろう。

 ここ数時間の仕打ちと気の回らなさを許して欲しい。


 死体で金稼ぎする死霊術師ネクロマンサーの俺が言えた立場じゃないけど、生者には優しくしておくべきだ。


「お前さんの好きな服を選んでいいぞ」

「どの服が好きなのか分かりません。ナツメ博士はどんな服がお好みでしょうか?」


 ここで俺の趣味を聞き出さないでくれ。

 女の子の服どころか自分のファッションですらままならないのに。

 視線を泳がせてどこにでもいるエルへとヘルプを出してみる。


『各サイト毎にベストファッションを提案できるアプリが用意されています。ご使用の場合、身体データのスキャンに同意してください。その後、ダウンロードします』

「服を選ぶのも面倒な奴がいるってわけね……」


 ともあれ、アプリの開発者にはノーベル賞でも送ってやりたい。

 あの財団とは100%関係ないからナツメ賞ってところか?

 ま、俺のセンスで壊滅的なプレゼントをするよりずっとマシだ。

 アメリカ最大手の通販サイトのjungleなら問題なさそうだし。


「エル、jungleのファッションアプリをダウンロード。3Dプリンターを合成繊維カートリッジに換装許可。リリィの身体データスキャンを許可。マッチングは任せる。購入した衣服データの領収書を経理処理」


 告げるや否や、光の筋が何本も照射されてリリィをなぞっていく。

 布地1枚くらいなら透過できるから脱ぐ必要もないらしい。


『ダウンロード完了。スキャン完了。衣服データ代金を経理処理。アプリ購入代金36,700円はナツメ博士の口座より引き落とし完了』

「ちょ……そのアプリ有料かよ! しかも高ぇ!」

『購入後のキャンセルはできません。15分後、作業室の3Dプリンターにて出力完了予定です』


 はぁ……

 溜息が漏れて、肩から力が抜ける。


 痛い出費だ。


 そういうのを事前確認するのはAIの仕事じゃないのか?

 ここまでくると悪意があるようにしか思えない。


「あの、ナツメ博士」


 リリィが首を傾げる。

 亜麻色の髪がサラリと肩から落ちる。


「色々としてくれて、ありがとうございます」


 懐かしい。

 


 捻くれまくった俺らしい受け取り方。

 けどまぁ、悪くない。


 こいつは歪んだ世界を癒すために生まれてきた。

 俺にはもう、それを享受している奴らを嘲る資格なんてない。

 だから素直に。素直な。素直で。


「どういたしまして」

 


 



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