第3話 伝言ゲームは時間の無駄だろ?
作業部屋のドアを直すのは諦めた。
歪んでいるだけで開かないワケじゃないし、まぁいいか……あとで修理屋を呼ぶことにする。
それよりも雇い主へ連絡すべきだろう。
仕事こそしているものの、事実上の引き籠り中年の俺には決定権なんてものが無い。
あの寝ぼけたアンドロイドの状況を報告し、判断を仰ぐ。
勿論、うまく丸め込んでやるけどな。
「エル、通話だ。カタギリ・ファウンデーションの坂口氏にコール」
作業がひと段落し、夕方になったので電話をかける。
いつものことながら天井に話しかけ、AIに命令した。
敢えて薄暗い安置所から通話した理由は明白で、内容をリリィに聞かせたくないから。
あいつには作業部屋と安置所に入らないように命令してある。
そうでなければ棚からはみ出るほど死体袋を並べた部屋で会話なんてする理由が無い。
「面倒臭いこと考えちまったなぁ。なんでAIの教育なんてしようと思ったんだ俺は。植物か。植物育てようみたいなノリか」
ぶつぶつと文句が滑り出てきて止まらない。
これはシャックリと似たようなものだ。
注意力を別のところへ逸らして止めてみよう。
さて。坂口は俺の仕事のマネージメントっぽいことをしている奴だ。
筋肉隆々とした大男で年齢は50手前くらい。髪は薄いが腹はたるんでいないのが良いところだろう。
足算と引算ができず、小学生並の挑発で噴火するのがネックだけどな。
そんな感じの人物である。
「……って、エル。まだつながらないのか?」
我が家のAIの返答が遅いとき、それは悪いことが起こる予兆だ。
少なくとも今日で2度目。
自然とため息が出てしまう。
『ネガティブ。通話が転送されました。カタギリ・ヒバナ氏へお繋ぎします』
「は?」
おいおいおいおい。
どうしてそこへ転送されるんだ!?
「エル、電話を切れ! 繋ぐな!」
『ネガティブ。通話を開始します』
薄暗かった部屋が一気に光を放ち、あまりの眩しさから半目になった。
それでも目蓋に刺さる。
このとき、空調が効きすぎて寒いから手を白衣のポケットに入れていた。
驚いて仰け反ったまま尻餅をついてしまう。
『ハァイ、元気?』
呑気そうな女の声。
カタギリ・ヒバナはへたり込む俺の姿を気にせず挨拶してきた。
こちらの映像も向こうに送られているだろうに。
安置室の高さ1メートルほどの位置では立体映像が浮かび、スピーカーからは水の流れる音も漏れてくる。
腰をさすりながら眉を釣り上げ、俺は不満をアピールした。
「どうしてヤクザの親分が下っ端の電話に出るんだよ? 俺は坂口に用事があったんだぞ」
『次にナツメ博士から連絡があったときは即、私に繋ぐように言いつけておいたの』
「そりゃ時間の無駄だな。事務的な内容だぞ」
『組織のトップに訴えかけた方が効率的な場面もあるわ』
「ねぇよ。つーか、入浴中なのに他人の電話を分捕るなよ。こんな時間から風呂に入っているなんていいご身分じゃねぇか」
『これからニューフェイスと一戦交えるのよ』
立体映像では乳白色の湯とはち切れんばかりの太腿が映し出されている。
カタギリ・ヒバナは踵から膝までを自らの手で愛撫すると、こちらに向けて「どう?」とでも言いたそうに火照った視線を注いできた。
豊満な胸(リリィといい勝負である)の先端部分がちょうど隠れるよう身体を湯船に沈め、頭にはタオルを巻いている。
それを解けばプラチナブロンドの髪が広がることを俺は知っていた。
リリィを「可愛い」と評するなら、通話相手の女性は「美」そのものと評するべきだろう。
鼻も口も耳も全てがバランスし、完璧な配置と非の打ちどころがない形状をしている。
この女のため、大勢の男が文字通り命を捧げてきたのも納得できた。
唯一、不完全な部分があるとすれば瞳だろう。
何をどう間違ったのか虹彩には電子回路が浮かび上がり、血を混ぜ込んだような赤に染まっていた。
「仮にもヤクザの組長だろ? 威厳を保たなくてどうする?」
『組長じゃなくて社長って呼んでよ。それに私の組織はヤクザじゃないわ』
「やってることは完全にヤクザだろ。ヤクザなのにカタギリ・ファウンデーションって名前がおかしい。
『そんなつまんない話を聞きたくて電話に出たんじゃないの。少しは女心を察しなさい。もういい
「勝手に割り込んできて、勝手なことを……」
絶世の美女の入浴シーンを拝めることに、多くの男性諸君は羨むに違いない。
だが俺にとっては胃の中へ直にラードを塗りたくられた気分だ。
ヒバナは20代半ばに見えるが実際は俺と同い年だし、子供も産んでいる。
一部では女神の如く崇拝されているものの、堂々とした態度でハッタリをかます性格は子供の頃から変わっていなかった。
それに美容整形に費やした金額は地方都市の年間予算と肩を並べるとの噂で……
『ねぇ、こんな美人のお風呂を覗いておいて物凄く失礼なこと考えてるでしょ?』
「エスパーか、お前は。それに覗いたんじゃない。わざわざ見せつけてきたんだろ」
『屁理屈ね』
こいつに対する匙加減は心得ている。
あまり楯突くと手痛い反撃をされるのが目に見えていた。
仕方ない。坂口は相手じゃないが、こいつに話してしまっていいだろう。
ボスのYesは組織内では拳銃よりも強いのだ。
古今東西、それは変わらない。
「坂口に報告しようと思っていたんだけどな。俺のトコに送られてきた廃棄予定のアンドロイドのうち1体が蘇生しちまった」
『死姦でもしたの?』
「ほんとデリカシー無いよな、お前。俺が勃たないのは知ってるくせに」
『あぁ、そうだったわね。私とベッドインしたのに手を出してこなかった男は歴史上あんたただ1人よ』
「中学校の修学旅行ネタを20年以上も引っ張るのはやめてくれ」
『あんたも相当にデリカシー無いわよ。自覚しなさい』
チャプチャプと湯の音がするので間抜けな雰囲気が漂ってしまう。
ヒバナは俺を一瞥すると、つまらなそうにすぐ顔を逸らす。そんなことを繰り返していた。
まったく、通話を邪魔してきた意図が分からない。
退屈か? 退屈なのか?
体のいい暇潰しに使われる身にもなってみろってんだ……
「本題なんだが、最近は腰の調子が悪くてな」
『不能なのにグラインドのし過ぎ?』
「デリカシー」
『本題なんでしょ』
「死体袋を持ち上げるのがつらいからパワーアシストロボットが欲しい」
『来年の予算申請があるわ』
「その前に俺の体が爆発しちまう」
『再起動したアンドロイドとやらを、アシスタントにしたい……とか言い出すんでしょ?』
鋭いなぁ。
いや、俺の交渉力が低くて着地点が見え見えなだけか。
アシスタントというのは方便で、リリィに死体運びをやられる気なんてさらさら無い。
「そうなんだよ。メモリは全削除されているし、都合がいい。どうせすぐに寿命で止まっちまうから、来年の予算までの間に合わせさ」
『フレッドのお店に納品するゾンビの数が足りなくなるわ』
「たった1体だ。俺が腰骨折って入院するよりもトータルでは安くて済む。フレッドにはウィルス・プログラムの効かない駆体が入ってきたって説明しておくよ」
『ついでにクレーム対応も考えておいてね』
「尻の穴を差し出せ、とか要求されない限りは」
『デリカシー』
よしよし。流石は俺の幼馴染だ。
伊達に悪の女帝をやってるわけじゃないな。
『で、そこまで入れ込む本当の理由は?』
立体映像から鋭い視線が送られてくる。
ヒバナの紅い瞳が俺を見透かそうとしているのだ。
プロポーションだけじゃないな。こういうところはしっかりと成長し、ボスの風格を漂わせている。
「昔の仕事が懐かしくなった。手慰みに過ぎない。それだけだよ」
『ふぅ〜ん』
相当に白々しかったようだ。
ヤクザの親分は湯船から立ち上がり、頭のタオルを解く。
銀糸の長髪が湯気の中で幻想的に舞った。
前くらい隠せ、前くらい。
『あんた、帰りたいの?』
「まさか」
『そうよね。帰る場所なんてないものね。だから、私のトコに転がり込んで来た』
「仰る通りだよ、ボス」
『忘れないでね。あんたの飼い主はカタギリ・ヒバナよ』
「命令されりゃ地面に這いつくばって靴にキスするさ」
『靴の価値が下がるからそんなことしなくていいわ。その代わり、次の日曜の夜は空けておきなさい。そのアンドロイドを連れてきて。一緒に食事でもしましょう』
なんだそりゃ。
「もっと有効に時間を使うことをオススメするぞ」
『そんなこと言い出したらこの通話自体が無駄よ』
お前の方から割り込んできたくせに、という台詞が喉から出そうだ。
怒らせたくないので呑み込んでおく。
「わかったよ。けど高級な飯はやめてくれ」
『ディナーって言いなさい』
「アンドロイドの件は?」
『私の方から坂口に連絡しておくわ。
あぁ、やはり坂口の逆鱗に触れるパターンになった。
窓口を通さずヒバナと話したなんて知ったら顔を真っ赤にして怒るだろう。
あれはあれで立場ってモンがある。
それを無視してしまったのだから謝るのが筋だ。
俺は何も悪くないんだけどなぁ……
ともあれ目的は達した。
「ありがとう、ボス。助かったよ」
『どういたしまして』
「けどさ、もう少しシャキッと話した方がいいだろ。喋り方がヤクザの頭じゃなくて中学生みたいだぞ」
『ケース・バイ・ケースよ。言わせんなバカ』
通話が切られて立体映像が消失する。
急に暗くなった安置室になかなか目が慣れず、視力を失ったまま立ち上がった。
「何だったんだ、まったく」
理解不能。
カタギリ・ヒバナの考えることは、俺にはまるで分からなかった。
だからあいつは成功して財をなし、俺は失敗して引き篭もっているのだろう。
そんなもんだ世の中。
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