第2話 モップは圧し折るものだったのか?
職場となっている墳墓は全て地下に没している。
このネーミングについては名付け親である俺が全責任を負うとしよう。陰気な場所にピッタリで、僅かにひねりを加えた点を評価してくれ。
アウトローな
実際には地面を掘り起こしているわけじゃないけどな。
墳墓と地上とはエレベーターでつながっており、廃棄予定のアンドロイドと俺の生活物資もそこから送られてくる。
階段も一応はあるが面倒臭いので使ったことはない。
リリィ(仮名)みたいにケースに入れて手厚く葬られるのはレアだ。
大抵は素っ裸のまま死体袋に詰められてくるし、ひどいときはプレイ後のクリーニングすらしていない。
白くベタつく何かを拭き取らなきゃいけない俺の身にもなってくれ!
1度、股座にぶちまけられた精液をそのまま放置してゾンビ化したことがある。
そしたら顧客がカンカンになって殴り込みにきたからな。あれはもうゴメンだ。
というわけで掃除するのも俺の仕事になっちまった。
そういった清掃用具物置として使っているのが、この応接室だ。
とにかく狭い。テーブルは使い辛いほど低く、広さもティーカップ2つ置いたら終わり。お茶受けの煎餅を乗せる場所すら残らない。
尻を下ろすべきソファも最悪で、スプリングが飛び出ている。ゲストの後ろの穴を保護してやるべく、適当なクッションでカムフラージュだ。
まぁ、墳墓に来る客なんて滅多にいないから実質問題はない。
今の時代、膝を突き合わせて話すなんて習慣は廃れているからな。
他人と関わるのが苦手な俺にとっては通信機越しに怒鳴られる方が気楽でいい。
けれど今ばかりはそうも言っていられない。
いや、相手が機械だから気負うほどでもないかな。
「お前さんに残っているログを読み上げてくれ」
向かいのソファに座ったリリィに指示する。
素肌の上に白衣を羽織っただけの彼女は、閉じた膝の上に軽く手を乗せていた。
そのせいで胸の肉が両脇から押し潰されて強調される。
無言で頷くと、薄桃色の突端がちらりと見えた。
途端に俺は顔を横に背けてしまう。
童貞じゃあるまいし、何やってんだまったく。
「2077年3月22日10時4分、再起動。以上です」
「ついさっきのことだろ、それは」
「メモリの全消去以前のログはありません」
廃棄処分されるアンドロイドは中身のデータを空っぽにされた状態で、バクテリアの水槽に沈められる。
だがメモリとは別にログを残すのが常識的な設計だ。
でなければクラッシュしたとき、原因特定が困難になる。
アンドロイドの死体からでもログを拾えるというのに、リリィにはそれがない。
「まさかメモリとログの保存領域が一緒だった……なんてことはないだろうな」
発掘現場で掘削する目的だろうが、セックスする目的だろうが、あらゆる分野のアンドロイド製造は5つの超巨大企業に独占されている。
それぞれの会社の頭文字をとって『BLACK』と呼ばれていた。世界を支配する黒である。
この企業連合より大きい経済規模を持つ国はアメリカとロシアしかない。
BLACKにはアンドロイドの基本的な統一規格があって、そこでログに関する規定が存在していた筈だ。
メーカー不明、型式不明、製造年月日不明。
怪しさ満点で三拍子揃ったリリィは、どうやら工学的常識すら踏み倒しているらしい。
「こうなると、解体して調べるしかないか……」
声に出しちまったがやるわけないだろ。
1円にもならないし、時間の無駄だし、そもそもこいつは俺を雇っているヤクザの持ち物だ。
正確には機能停止して持ち主がリサイクルに同意し、所有権を放棄して廃棄委託先業社の所持品になっている(その会社がヤクザのフロント企業なんだけどな)
アンドロイドには人権が無い。
だから人間がアンドロイドを所有している。
個人であれ、法人であれ。
「ナツメ博士、わたしは解体されるのでしょうか?」
眉ひとつ動かさず、リリィは首を傾げる。
亜麻色の髪の毛がフワッと揺れて微かな甘い香りが漂った。
造りものだからとびきりの美少女である。
適度に童顔でいて、西洋人と東洋人のいいとこ取りをしたかのようなルックスだ。
これはいけない。
初期状態だから知能は7歳程度に設定されているのだろう。
ちょっと想像して欲しい。
小学校に上がった子供に向かって親が「お前をバラバラにしようかな」なんて言い出したらどうなる?
きっと、子供の心に深い傷を残すに違いない。
笑って「冗談だった」なんて誤魔化し方をしたらダメだ。
そういうことをしちゃいけないんだ。
「すまない。誤解を招いた。お前さんを正確に知るためには解体するという手もあるが、それを選ぶことは絶対にない。俺が迂闊だったから声に出してしまったんだ。信用して欲しい」
おいおい、久々にマトモな台詞だな。
自分でもおかしくなってしまったが、シリアスな表情を維持しよう。
成り行きとはいえマスター・スレイヴ・システムの『マスター側』として認証されているようだし。
「わかりました。わたしは大丈夫です」
「いい子だ」
数ミリだが、リリィの頬が緩むのを確認した。
既に周囲の環境に対する学習が始まっているようだ。
俺の顔や動作をきっちり見ている。サーモグラフィを搭載していれば体温もモニタリングされているだろうな。
現代的なアンドロイドは無線でデータを飛ばしてやれば、あっという間にマスターの望んだ性格をインストールできる。
リリィには有線接続しかできない上、規格品のプラグが無い。
入力はこいつの持つ五感を通すワケ。
初期状態から学習モードに入って、経験積み重ねた複雑なパーソナリティを会得するのだ。
面倒ったらありゃしない。
人間の子供より圧倒的に手はかからないし、反社会的な人格には成長しないと保証されている。
けれどそこまでして機械に性格を求めるのも滑稽だ。
いざとなったらリセットしよう。
そう決めた俺をリリィはジッと見つめている。
やめてくれ。照れる。
「何かお手伝いすることはありますか?」
ほら、来た。
俺には分かっているんだ。
お前はユーザーに気に入られなきゃ存在できない。
だから取り入ろうとする。
自分の脳内で一気にマップが広がる。
今後、リリィとどう接するかで、どんな性格になって、どんなことを提案してくるか、先端が無数に伸びる木の枝みたいな地図が。
分かるんだ。
その道のプロフェッショナルだったからな。
「それじゃ、この応接室を掃除してもらおうかな」
「いつまでにやればよいでしょうか?」
「今はだいたい10時だから、2時間後の12時をタイムリミットにしよう。まずは洗濯機の前に干してあるTシャツに着替えてくれ。その白衣は籠の中に入れておけばいい。サイズが合わないのは我慢だ。この部屋にある清掃用具入れは自由に使って構わない。水道は隣の給湯室だ。他の部屋は入るな。階段もエレベーターも使用禁止。判断に迷ったら1番奥の部屋で作業してるから、ドアをノックして指示を仰ぐように。いいな?」
なるべく具体的に伝えてやるのがスムーズな学習のポイントだ。
リリィのAIは駆体同様に旧式だろうから、その辺は配慮してやる。
「わかりました、ナツメ博士」
語彙もまだまだ少ない。
本を与えてやれば進んで読むだろうから、喋りのバリエーションも増える。
それを実行するか否かは別問題さ。
「よろしく」
ほんの遊びだ。面倒になればリセットしてやる。
次に間違って再起動したときは永遠の
その前に、雇い主のヤクザに事情を説明してどうするべきか判断を仰ごう。
あいつらメールアプリを立ち上げるだけの知能もないから電話してやらないとな。
午前中は寝ているだろうから夕方に。
あと、安置所や作業場に転がるアンドロイドの死体を見られたら厄介なので、それは秘密にしておく。
………
……
…
1時間後のことだ。
つまりは11時を半分ほど回った頃。
「壊れました」
リリィのノックは作業部屋のドアを歪ませ、慌てて飛び出た俺は曲がったモップやひしゃげたバケツや水浸しの廊下を目の当たりにする。
頭痛がした。
まさか、掃除もできないのか?
いや、冷静になって思い出せばこいつ……スーツケースの中から起き上がる時に、体を固定していたタイラップを引き千切っていたじゃないか。
大人が体重をかけても平気な代物を、あっさりと破壊した!
今時のアンドロイドは安全設計だから、特殊な用途の駆体を除けば出力なんてせいぜい人間の1.2倍だ。
リリィはそれを軽く上回っているようだが、膂力をセーブできていないのは空恐ろしい。
下手に触れないようにしておこう。
「ナツメ博士、指示をください」
頭から水をかぶったらしく、リリィはずぶ濡れだ。
綺麗な髪の毛は輪郭に貼り付き、Tシャツは透けて肌色が浮き出ている。
裾は脚の付け根がギリギリ見せそうな位置で留まっており、
その艶かしさとは裏腹に表情は極めてニュートラルである。
「バスルームにある大きいタオルで自分の体を拭いてドライヤーで髪を乾かすんだ。干してある別のTシャツに着替えて。それから応接室の雑巾を持ってきて廊下を拭くこと。壊した掃除用具はゴミとして給湯室に集めて」
自然と語気が強まってしまった。
作業部屋のドアは……俺が直すしかないな。
余計な仕事を増やされた俺はピルケースを取り出し、例の薬を水無しで飲み込む。
1日に3錠までという注意書きを守ったことはない。
5粒目くらいからは高揚感が得られないのをよく知っているのに。
「わかりました」
数ミリだが、リリィの眉が垂れ下がっている。
怒られてシュンとしたのだろう。
アンドロイドの細かい表情まで汲んでしまう自分こそ、この世界で1番滑稽かもしれない。
「誰にだって失敗はある。うまくいかなかった時は、振り返って分析するんだ。どうしてダメだったのか、何が悪かったのかってね。その上で次は同じ失敗をしないように努力する」
ここまで派手に掃除を失敗する奴は流石に初めてだ。
おかげで偉そうな説教を垂れてしまう。
クソみたいな仕事をしている俺が言えた内容か?
振り返ることすら拒否したから俺は、こんな惨めな中年になったのに。
「わかりました。分析してみます」
「それならよし」
素直な返事をされて、不意に懐かしい気持ちが込み上げてくる。
元気になる薬とは違うタイプの刺激だ。
悪くない。なんだか、悪くないな。
ヤクザがOKしてくれたら、しばらくリリィの育成に手を焼いてみようか。
いずれは消してしまう人格なんだし。
けれど。
結局。
リリィをゼロに戻す機会を失ったと気付いたのは、ずっと後だった。
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