マグナム・リリィは恋歌を唄う
恵満
第1話 胸にメロンでもつめてるのか?
棺桶の蓋を開けて最初に飛び込んできたのは白い花に埋もれた、白い女の子だった。
いきなり自分の言葉を否定するが実はそれ、棺桶でもなんでもない。
ちょっと品揃えのいい鞄屋へ行って「7泊8日の海外旅行に行くから1番安いスーツケースをくれ」と頼めば似たような箱が出てくるだろう。
キャスター付きのがっしりとしたトランクの中で17か18くらいの若い女の子が、生まれる前の赤ん坊みたいに膝を抱えている。
服は着ていない。
身体は成熟している。
手脚がスラリと長かった。
しかし胸はやたらと大きく、アンバランスな印象を受ける。
「
床屋代をケチって伸び放題になった髪を掻く。
しゃがみ込んだ姿勢が辛くなって立ち上がり、腰を伸ばしてからもう1度しゃがむ。
その際に太腿の筋肉が引きつった。
まったく、年なんてとりたくない……考えたくもない。
だから別のことに目を向ける。
ここには何本の花が入っているのだろう?
1、2、3……20を超えたあたりから数えるのも馬鹿らしくなる。
ふと、そのうちの一輪を摘み上げてみた。
指に触れた質感で確信できる。
プラスチックペーパーに香りを染み込ませた造花だった。
「
このご時世、生きた花をもぎ取ってプレゼントするなどという蛮行は廃れている。
勿論、人間だってそうだ。
生身の女の子が花を売ることは既に世界中で禁止されている。
俺の目の前でシャットダウンしている
娼婦すら機械仕掛けであることを強制し、世界はそれで満足したのである。
「それにしても古い型だ。二の腕に
ぶつぶつと独り言が出てしまった。
まぁ、傍目には気持ち悪いだろうがここには俺以外の人間なんていない。
「違うな。どこかの金持ちが、ずっと大事にしてきたパターンだ。機能停止しても保管し続けて、別れが惜しくて、ようやく決意して、わざわざ花まで手向けて送り出して」
だとしたらご愁傷様。
きっと、その主人はこいつが正しい手順で葬られると信じていたに違いない。
メインフレームと外皮が生分解性樹脂で構成されたアンドロイドは、特定のバクテリアを培養した水槽に沈めると駆体の90%が溶けてなくなる。
残った金属部品はリサイクルされ、10年に設定された寿命を(これはマストだ。法律でアンドロイドの稼働時間は決められている)綺麗に終える。
表向きはそう取り決められているし、
だからこそ、俺みたいな最悪の職業が成立してしまう。
ガキの頃に遊んだゲームで例えるなら
配送業者にカネを掴ませ、廃棄予定のアンドロイドを回収する。この段階で全てのメモリーは抹消されており、運動プログラムが機能しない。
死体になった人間と一緒だ。もう役に立たない。
しかし、信号に反応して人工筋肉は動く。
そこで俺の独自技術の登場だ。
空っぽになったアンドロイドに自家製のウィルス・プログラムを注入し、ゾンビのように復活させる。
残念ながら知性は無いものの痛覚に反応して適度に泣き喚き、人を傷つけないセーフティは一応程度に働き(これは人格プログラムやメモリーとは別の部分にある)、24時間後には再び完全停止するのだ。
ウィルス・プログラムは自己崩壊してくれるから痕跡も残らない。
復活させるのは専ら
下衆な野郎にいちいち商品をぶっ壊されるよりも、とうに壊れているモノをリサイクルした方が圧倒的に利益率が高い。
ゾンビ化が終わった後のアンドロイドは従来の予定通り、処分場へ送れば結果は何も変わらないのだ。
なんて素晴らしい商売!!
究極のエコ精神!!
惜しむらくは俺がヤクザに軟禁された状態で、ハンバーガーショップのアルバイト並みの時給でこの作業をやらされていることだろう。
この墳墓の外へ出るときは必ず爆弾付きの手錠を付けられ、逃亡したなら手首を吹っ飛ばされる。
「はぁ……」
あまりにクソ過ぎて現実逃避してしまった。
こんなにクソな生き方は他にない。
もしも、アンドロイドに人権を認める法案が可決されたら俺は史上最悪の犯罪者の1人として歴史に名を残し、アンダーネットでコラ画像が作られ、フリー編集の百科事典で嫁と子供に捨てられたことをイジられまくるに違いない。
ダメだ。
ここは現実逃避しながら仕事を終わらせよう。
白衣のポケットからピルケースを取り出し、水無しで飲み込んでおく。
元気の出るお薬だ。
「お前、大事にされてきたんだな」
最新モデルと違って肉付きがしっかりしていて固い。
散々、全裸の女の子をいじくり回してきたから分かる。
おっと、語弊があった。
俺が生身の異性を触ったことがあるのは嫁と娘と母親だけ。悲しい事実だけどな。
アンドロイドなら軽く1000体以上の解体経験があるのに。
「おい、エル。こいつのスキャンをしてくれ。メーカーと型番と年式を識別。通信システムにアクセス。キスしてやれ」
薄暗い天井を仰ぎ、唯一の話し相手であるAIへウィルス・プログラムの注入を命じる。
だが、エルから返事がない。
こういうときは厄介なことが起こると経験的に知っており、嫌な汗が出る。
「エル。スキャンだ、早くしろ」
『ネガティブ。私のライブラリには該当するメーカー、型番、年式のいずれもありません。また、通信システムもエラー』
ほら、やっぱり。
メジャーなアンドロイドであれば問題ない。
エルのライブラリを構築したのは俺だから。
だが金持ちが自分の趣味でカスタマイズした駆体や、研究目的で造られたプロトタイプなどは一筋縄ではいかない。
この
「スキャンはキャンセル。キスだけ実行」
『ネガティブ。該当躯体は無線通信システムを搭載していない模様』
「なんだって?」
そんなバカな。
いくら古いとはいえ、無線通信システムが搭載されていない?
ローカルだけで全てのデータを処理して動くとでも?
こいつは今日のトップニュースを読むのも、明日の天気を知るのも、いちいちケーブルか目のカメラを通さないといけないのか?
アップデートやメンテナンスが面倒だろ、こんな仕様だと。
「エル。頚椎のコネクタを画像解析しろ。該当するプラグを20分以内に、工作室の3Dプリンターで出力」
『ネガティブ。該当駆体のプラグは既製品ではありません』
「立体形状は読み取れないのか?」
『ネガティブ。カメラのスペックが足りません』
「ポンコツめ」
『ネガティブ』
こいつは参った。
プラグまでワンオフしろということか。
仕事には速さが求められる。それがハンバーグの上にBBQソースをかけてピクルスを乗せてパンに挟む場合でも。
こいつの後にも処置を待っているアンドロイドが何体もいるし、顧客のSM野郎も、俺を軟禁しているヤクザも、待ってはくれない。
「とりあえず、こいつの処置は後回しだな」
となると、またも重いスーツケースを引き摺らなければならない。
墳墓の中には安置所や工作室、それに俺の寝室がある。
今の作業部屋から安置所まで戻すのは手間だった。
パワーアシスタント用のロボットくらい置いてくれればいいものを、あのヤクザどもの設備投資軽視には呆れてしまう。
工具類だって全て中古だし、俺が提言しなければ車のタイヤ交換すら外注に出さざるを得なくなるような職場だ。
もう1度、現実逃避するためにピルケースの中身を口に放り込む。
気合を入れなければならない。
「いっそ1人で歩いてくれれば楽なんだがなぁ」
鼻が高く、唇はふっくらしている。
百合の造花の上に広がる亜麻色の髪は実に艶やかで、白い肌とのコントラストを成している。
なるほど造形美のレベルが高い。あまり気にしていなかったけど。
「白雪姫、どうぞお目覚めください」
いかん。
ハイになり過ぎている。薬が効き過ぎた。
アルコールもカフェインも禁止された世の中で、この手のドラッグは欠かせない。
けれど過ぎれば毒だ。
あろうことか、俺は
せめて頬にしておけよ!
赤ん坊の授乳じゃあるまいし!
テンション上がりすぎだろう!
カサつくオッサンの唇に電気が走ったじゃないか。
気のせいか甘い味すら感じるぞ。
「ん……」
寝ぼけた声。
さらにバチンと音が鳴り、俺の意識は急激に通常運転へと戻っていく。
そいつは樹脂製のタイラップが千切れた音だった。
「え」
このとき、人生で3番目くらいの間抜け面を晒していたに違いない。
廃棄予定のアンドロイド。
そいつが裸のまま、スーツケースから立ち上がったのである。
有り得ない。
ここへ送られてきたのだから中身は全てデリートされ、機械仕掛けの肉塊になっていた筈だ。
そいつは色の無い表情のまま、自分の体に張り付いた造花を手に取る。
「これは花」
あぁ、間違いない。
判断能力がある。造花が体に触れていることも、それが造花であることもちゃんと認識していた。
「あなたは、誰?」
俺か。
俺のことか。
涼しげな声をしやがって。
悪いことに、こいつには無線通信が搭載されていない。
首筋のプラグも規格品ではない。
信号を送り込んで強制停止をかけられない。
つまり現時点において、俺はこの寝ぼけたアンドロイドに会話する以外のアクセス方法が無いのである。
どんなアクシデントだよ。
「俺か? 俺は……」
素直に名前を答えていいのか迷う。
だからヤクザたちに呼ばれている通りに答えた。
「俺は、ナツメ。見ての通り科学者。博士をしている」
「ナツメ博士ですね」
「そういうお前さんは?」
「再起動以前のメモリが全て削除されています。私が何者なのか、私自身も把握できません」
「だろうな」
ちょっと言葉を交わした。
おそらく、初期状態に戻っている。
再起動したというログは残っているようだが……
「ナツメ博士。暫定で構いませんので、私に名前を付けてください」
これもアンドロイドの初期状態でよくあるパターンだ。
古き良きマスター・スレイヴ・システムである。
保留してしまえば永遠に待つ。
それでは俺が仕事にならないから、適当に名付けることにした。
「じゃあ、お前さんの名前はリリィだ」
「了解です」
もう1個、訂正しておこう。
俺は死体やゾンビをベタベタ触るのも、見るのも慣れている。
しかし、初期状態とはいえ真っ裸のアンドロイドと向き合っていると何故だか恥ずかしくなってきた。
幸いなことに白衣は洗ったばかりである。
サッと脱いで、そいつの……いや、リリィの肩にかけてやった。
「仕事が遅れるなぁ……」
「内容をインプットしていただければお手伝いもできます」
「いや、いい。とりあえず応接室兼物置に行こう。メモリが消えたとはいえ、ログが残っている。それを話してもらわないとな」
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