美術品の憂鬱 2

 昼食をとった後は、図書室へ向かった。

 中に入ると入口近くの机で、積まれた本のタイトルを確認しながら何かを書きつけているメイドが目に入る。蔵書リストの確認でもしているのだろう。アイビーは声をかけようとしたが、メイドのほうが迷惑そうな一瞥をくれたのでやめた。


 埃っぽく静かな部屋のなか、棚を順に見ていく。一番奥まで行くと美術品の男性が一人、立ったままで本を読んでいるところだった。


「ラベンダー」


 近づいて声をかける。いい年した男同士が植物の名前で呼び合うというのは、どうにもむずむずして慣れない。

 集中していたのか、ラベンダーは驚いたように顔をあげる。


「アイビー、君か」

「また本を? 昨日も借りてただろ。読み終わったのか」

「ああ、まあな」


 読書なんて似合わなそうな、粗野な雰囲気を持つ彼だが、ここにきてからずっと本を読むか部屋で寝ている姿ばかり見る。アイビーはここにきて二日目に、いくつか、おすすめの本を紹介してもらっていた。


「新しい本を頼んでんだが、まだ届かないらしくてな」


 残念そうにしたラベンダーは、ふと周囲を窺ってから、声を潜めた。


「入口で本を整理していたメイドのことなんだけどさ。アキレアって名前を貰ってたか」


 この館に出入りする者は植物の名前をつけられる。それは使用人も同じ。美術品が、使用人たちの本名を知らされることはない。彼女は四日前からこの館に来るようになったメイドだった。

 アイビーはすぐにラベンダーに近づき、聞く体勢をとった。


「彼女が、なに?」

「あれは次の羊だ。気をつけろ」

「羊?」

「この館で働く使用人には、必ず俺らの歳に近いメイドが一人いるようになってる。一人だけな。しかも、この家に仕え始めて間もないやつだ」

「たしかに、他の人たちはみんな年配だが」


 アキレア以外の他の使用人たちは、みなかなり年配の者たちばかりだ。そして、油断ならない目をしてこちらを観察している。美術品たちが主人の意に沿わないことをしでかさないか、監視役を兼ねているのではないかとアイビーは感じていた。


「それがどうしたんだ」

「罠だよ。俺らを試すための。狼の中に入れられた羊。ここの美術品でいたけりゃ、食いつくな。つまり、あのメイドに恋をするなってことだ」

「恋をするなとルールを決めといて、恋をするお膳立てをしてくれてるのか?」

「ご主人様たちが何を考えてるかは知らねえ。けど、少し前もまんまと食いついて廃棄された美術品がいた。おまえはそうはなるなよ」

「メイドとの秘密の恋か」


 まあ、こんな場所にいて年頃の女性を見れば、口説きたくなることがあるのはわかる。閉鎖された空間で禁じられた恋とくれば、互いに大変盛り上がりそうだ。


「あのメイド、割と美人だからな。隙がなさそうだから、簡単に手を出そうって気にはならねえかもしれねえが――」


 ラベンダーはアイビーの顔を、じっと観察するように見つめた。


「おまえ、女が好きそうな美人顔だろ。向こうから言い寄ってくる可能性もある。気をつけろ。流されたら終わりだぜ」

「男に顔を褒められても嬉しくない」

「いや、俺も別に褒めたつもりはねえんだけど」


 嫌そうにそう言って、ラベンダーは半歩下がった。その反応をするのは自分の方ではと、アイビーは理不尽に思う。


「とにかく、忠告は聞いておけよ」

「でもさ、こういう言葉もある。『人間は恋をする。人形は恋をしない』」

「急になに言ってんだ、おまえ」

「かなり前に、どこかの魔術師がほざいた言葉らしいよ。小さい頃に世話になっていた場所で、聞いたことがある」

「俺たちは人間だから、恋をしても仕方ないってか? 冷静になれ。俺たちはここじゃ美術品だ。まさに『人形は恋をしない』でいいんだよ」


 アイビーは、面白そうに腕組みをした。


「どうしてそんな忠告をしてくれるんだ?」

「おまえはちょっとは見どころがありそうだから、ほいほい引っ掛かったらかわいそうだと思ってな」


 そう言って、ラベンダーは本の詰まった棚を見回した。


「金に困って売られるような俺たちだ。もともと大して学もねえ。こんなとこに来れたのは運がいいんだ。だが、それを活かそうってやつはほとんどいねえ。ご主人様に媚びるために楽器をキーキー鳴らすか、ただだらけて過ごすか、そういうやつばかりだ」

「だから本を読んでるのか。勉強したくて」

「まあ、な」


 自分と似たような存在がいなくて、孤独を感じていたのかもしれない。彼のお節介に何か裏があるのかと疑ってみたが、気にすることはないか。

 ふうん、と頷いたアイビーは、好奇心からさらに尋ねてみる。


「店で好きに本を選びたいとは考えないのか?」

「は?」

「外の世界に行きたいとは思わないかってことだよ」


 途端にラベンダーは顔色を変えた。大げさにきょろきょろと周囲を確認すると、小声で叫ぶという器用なことをしてみせる。


「馬鹿! 廃棄されたくなきゃ、そういうことは口にすんな」

「まずいかな、やっぱり」

「当たり前だろうが。外との繋がりをこうもがっつり切られてんだ。ご主人様たちは、美術品が外への興味を持つことは望んでねえの。ここを囲ってる、あの塀の上の柵がどういうもんかも聞いただろ。俺たちを絶対逃がさねえって意思表示だ」

「あれはたしかに厄介なシロモノだ」

「俺たちが、あの塀を飛び越えるのは無理さ」


 どこか諦めきった口調だった。


「いや逃げ出すとかじゃなくて、ストレートに外に行ってみたいって希望すれば、案外、出してくれるかもしれないぞ。コンサートでも歌劇でも、そういう文化的催しに連れて行ってほしいっていうのなら、あの人たちの好みにも合うんじゃないか? ついでに本屋にも寄ってもらえばいい」

「無理だろ。おまえ、変なこと口走って俺を巻き込むんじゃねえぞ」


 疲れたように言うと、ラベンダーは話を切り上げて去って行った。自室に戻って読書タイムといくらしい。

 彼が図書室から出ていくと、アイビーは適当にそのへんから本をとり、棚にもたれて読み始める。そうしていると、例のメイドが同じ棚に本をしまいにやってきた。


「この館から出て行くことは諦めているのかな、彼は。ここから追い出されることばかり気にしてるみたいだ」


 本を読みながらアイビーが言う。アキレアと名付けられた彼女もやはり彼のほうは向かず、持ってきた本をゆっくりと棚に戻しながら答えた。


「どうかしら。彼の持っていた本、物語の形をとった経営学の本よ。その手の書籍はあまり許可が降りないようだけど、たぶん、ただのフィクションだと勘違いされて注文が通ったんでしょうね」


 ラベンダーはアキレアを警戒しろと言ったが、残念ながらその忠告は意味がない。彼女は、調査のために潜入したアイビーの相棒だ。


「ここから出たあとのことを考えているわけか」

「少なくとも、ここで終わる人生だとは考えてない」

「どうやって出るつもりかな?」

「さあ。そこまでは具体的に考えてないのかも」

「勉強に打ち込むのは、逃避の一種かなあ」


 外に出られないという事実から、目を逸らしている。何かにことさら必死になるときは、何か忘れたいことがあるときでもある。というのは、アイビーの持論だ。特に根拠はないが、自分が知る限りでは、この場合が多かった。

 だがまあ、彼の行く末の心配は自分の仕事ではない。アイビーは話を本題に移した。


「庭で気になるものを見つけた」


 アイビーは芝生にあったこげつきのことと、薬品の匂いについて説明し、ハンカチを渡す。

 アキレアも確認するが、何の匂いかはわからないようだった。


「でも、この匂い……」

「心当たりでも?」

「確証はないわ。ただ、もしかしたら悠長なことをしてる場合じゃないかもしれない。できるだけさっさと仕事を済ませたほうがいいかも」


 それにはアイビーも大賛成だ。多少大胆な手を使ってでも終わらせたい。


「やっぱり怪しいのは地下だよな。見て回る限りじゃ、分不相応に高価な魔石を使ったものは、あの塀の上の侵入者対策の柵だけだ。あ、侵入者より脱出者防止の柵かもしれないけど」

「私も確認したけど、出入りできる範囲じゃ怪しいものは見当たらなかった。予想通り、地下室にいろいろと隠されてると見て間違いなさそう」


 おかしな性癖が詰められたこの館は、それだけならアイビーたちが潜入することなどなかった。


 だが夫妻は違法な奴隷オークションの客というだけでなく、商売する方に加担し始めてしまった。ここ数か月で途端に警備の厳しくなったこの館のどこかに、オークション参加者のリストが保管されているらしいという情報が入っている。しかもそのリストには、なかなか大物の名前まで載っているとかで、無視できない。


 事前の調査によれば少なくともここには、本館との直通電話、さらには人間を閉じ込めるための牢かそれに近いものが作られているはずだ。だがどちらも見つからない。調べられていないのは、あとは地下だけだ。

 牢が作られているのなら、オークションにかけるための人間をここで預かっている可能性も高かった。


「男爵夫妻は、いつも頻繁に地下に出入りしているわけじゃないらしいの」

「時期にムラがある?」

「ええ。なんとか中に入りたいものだけど、あの鍵、特注品らしくて簡単には開けられないのよね。魔石錠だったら話は早かったんだけど」


 館の階段の裏側に隠されるようにして、頑丈な扉がある。おそらく地下に続く扉だが、そこの鍵が曲者だった。厳重に施錠したいときは、対になった魔石と反応させないと開かない魔石錠と呼ばれるものが一般的だ。しかし、あの扉に使用されているのは、魔石を使わないただの錠前。ただし特注品。


「この館が改装される前からあったもので、かなり前のアンティーク。鍵を使わない開錠も、鍵の複製も、簡単には無理そう。一つは夫人が肌身離さず持ってる。鍵は二本あるって情報もあるけど、もう一つをどこに保管しているのかが掴めない」


 魔石絡みの製品ならば、アイビーたちにとってはむしろ対処しやすかった。だが、一切使われていないとなるとお手上げだ。力ずくで扉を壊すか鍵を盗み出すしかない。


 しかし、オークション参加者リストの確保と、捕らわれているかもしれない人間についての確認がとれるまでは、あまり派手なことはしたくなかった。


「使用人仲間から聞きだしたんだけど、いわゆるルール違反でいなくなった美術品がいる。そしてメイドも。その子たちが最期に目撃されたのは、いずれもこの館。自分の足でここから出て行く姿を見た者はいない」

「違反したやつらを、オークションに出したか」

「可能性はあるわ。違反者が出たときだけ、取り引きまで地下に閉じ込めているのかもしれない」


 それから、とアキレアは続けた。


「あと気になる情報といえば、最初の美術品はここにきて一週間で逃げ出したんですって。その手引きをしたのが、メイドだったみたい」

「駆け落ち?」

「そうとも言える」


 最初の美術品の駆け落ちが、恋をするなというルールに繋がったのだろうか。だがそれならなぜ、わざわざ恋愛対象になりそうなメイドを配置し、美術品がルールを破るようにお膳立てするのかわからない。


「そういえば、君は新しい羊だってラベンダーが言ってたよ」

「狼の群れに投げ込まれた羊ってやつね」


 特に気にしたふうもなく、アキレアは頷いた。


「私も使用人仲間から言われたの。気をつけろってね」

「恋をしたら破滅だって?」

「言葉上ではそう言われたけど。美術品は素敵だけどとか、助けてあげられるのはあなただけだろうけどとか、なんだか一周回って、秘密の恋をすすめられてる気分だった。バレてるのかと、一瞬焦ったわ」

「もういっそ、バレてもいいやって気持ちになる。周りの目を気にして恋をしていないフリをするのは、面倒この上ない」


 そう言ってアイビーは、アキレアを愛おしげに見つめた。

 恋をするなと言われても、二人は元から恋人同士だ。ルールだの罠だのと聞いても、その事実を変える気は毛頭ない。

 せっかくの短い逢瀬だ。少しくらい恋人らしいやりとりをしようと口を開きかけて、そしてやめる。

 遠くで扉をそっと開ける音がしたのだ。


 ついていない。空気読め。アイビーはアキレアに向ける優しい表情はそのままに、内心で悪態をついた。

 誰かは知らないが、足音を忍ばせて近づいてきたのがわかる。

 こんな不便な生活は、本当に終わりにしたい。

 何かを企むような顔のアキレアと目があった。


「……俺たちもする? 駆け落ち」


 アイビーは、優しく恋人に囁いた。




 夕飯前、早めに来てしまった食堂で、酒の入ったグラスを片手にアイビーは少しだけ物思いにふけっていた。


「どうした?」


 声をかけてきたのは、ゼラニウムだ。返事を待たずに隣に座って、使用人に自分の分のワインを頼む。

 彼がグラスを受け取り、使用人が下がっていくのを待ってからアイビーは口を開いた。


「恋人のことを考えてた」


 ぶは、と軽くゼラニウムが噴き出す。


「あんた、何を言い出してんだ」

「いいだろ、君が言わなきゃ誰にもばれない」

「まあそうだけどな」


 ゼラニウムはちびちびワインを飲みながら、しばらくして小声できいてくる。


「どんな子?」

「かっこいい。可愛い」

「どっちだよ」

「どっちもなんだ」

「性格は?」

「だから、性格の話。かっこよくて、可愛い」

「のろけかよ」


 わざとらしくため息をつかれた。


「見た目は?」

「のろけにしかならないけど、いいのか?」

「よくない」


 げんなりした様子のゼラニウムに、のろけを抜かした情報をやる。


「背は高い」

「どのくらい?」

「そうだな」


 いい例えを探すが、なかなか思いつかない。


「あの新しいメイドくらいか?」

「そう、ちょうどそのくらい」


 だって本人だしな。と、心の中で付け足す。

 だいたい、君は図書室で俺の駆け落ちの誘いを聞いてたから知ってるだろ。というのも口には出さないでおく。

 あのとき、自分たちの様子を探りにきたのはゼラニウムだ。直接姿を確認はしていないが、窓ガラスに彼の赤毛が写っていた。


「へえ。あのくらい高いと、気にするやつもいるもんだけど。まあ、アイビーも背は高いほうだし、ただの高身長カップルか」

「彼女のことは、たとえ俺より身長が高くても変わらず好きだね」

「あんたがそんな奴だったとは、知らなかったな」


 ゼラニウムはさらにげんなりした顔になった。いじめるのはほどほどに、アイビーは相手の出方をうかがうことにする。


「美術品が恋なんかするなって言うか?」

「いや。俺には止めようがない。人間は恋をするってやつだ」

「『人形は恋をしない』?」


 朝とは互いに逆の台詞だ。確かめるように続きのフレーズを言ってみると、ゼラニウムが目を見開いた。


「知ってるのか?」

「朝、君が言ってただろ」


 ゼラニウムは少し迷うそぶりを見せたものの、その言葉について説明し始めた。


「本で読んだんだ。昔の魔術師の言葉らしいぞ。魔石を人体に組み込めば、魔法が使えるんじゃないかって考えて研究してたやつらの一人だ」


 魔石の利用法については、昔から研究がされてきた。

 百年ほど前、人体に組み込むことで魔石の未知なる力が発現して、念じるだけでものを動かす力や、火や風をおこすなどの力を得るのではないかという仮説が流行した。そして、たくさんの魔術師たちがその研究を行った。


 結果、魔石は人体には馴染まないという結論が出た。何の力も使えないどころか、魔石を埋め込んだままでは人間は死に至るということがわかったのだ。


「その中に、人形に魔石を組み込んで、魔法使いの人間を作り上げられるんじゃないかと考えた魔術師がいたんだ。けど、結局は子供だましのからくり人形しか作れなかったってオチ。そしてそいつが残した言葉が『人間は恋をする。人形は恋をしない』ってやつ」

「へえ」


 既に知っている内容だったが、感心したようにアイビーは相槌を打つ。ゼラニウムはどこか偉そうにこう続けた。


「つまり、恋をしたってことは、人形じゃない――美術品じゃない。人間として生きろって言われてるようなものなんだよ。その恋人を本気で好きなら、ちゃんと貫けよ」


 ルール違反がどうだと、てっきり釘を差されるかと思っていた。なのに予想に反して、むしろ励まされ応援されてしまったようだ。

 彼は、アイビーの語る恋人が館の外にいる誰かではなく、メイドのアキレアだと知っているはずなのに。


 言うだけ言って満足したように、ゼラニウムは席を立つ。

 自分を探っていたゼラニウムの反応をもっと観察するつもりが、意外な展開だった。先ほどの発言は、茶化した様子は一切ない、本気の言葉だった。


 グラスを揺らしながら、アイビーは考える。

 彼の言う通りに恋を貫いたら、一体なにが待ち受けているのだろう?




 夕食の皿の下にそっとすべりこまされた、小さなメモ。

 アキレアからだ。そこには、時刻と待ち合わせ場所が書かれていた。この分だと、地下室に入るための方法が見つかったらしい。


 彼女に会いに行く前に、もう一度ラベンダーと話をして行こうかと思ったが、姿が見当たらなかった。どうやら待っていた本が夕方になってようやく届き、部屋に籠って読んでいるらしい。

 わざわざ部屋を訪ねるほどでもなく、アイビーはメモの指示に集中することにする。


 日付はまだ超えない程度の夜遅く、書かれていた場所へそっと向かった。

 一階の、美術品たちがよく過ごすサロンとは離れた小さな物置部屋だ。ドアを開けるときちょっとだけ嫌な予感がした。


 中に入った瞬間、すぐに扉近くにいた誰かに背後をとられる。その人物に体を押さえつけられて口をふさがれている間に、別の誰かによって首輪らしきものがつけられる。ひんやりとして重さのあるそれは、おそらく金属製で――魔石が仕込まれている。


 すぐにぞわぞわした感覚が広がる。体の自由を奪う術式が発動したのだとわかった。

 言葉を発することも封じる術式が同時に作用している。この術式を組みこむのはとても難しい。それもこの大きさの首輪に、体を奪う仕組みも一緒にとは。

 男爵夫妻は、想像した以上にこの館に関して金をかけているらしい。

 アイビーの手足から力が抜け床に転がると、襲ってきた者たちの殺気が収まった。


「あなた、ここで誰と待ち合わせをしていたの?」


 自由な目だけを動かすと、すぐ近くでハナガスミ男爵夫人が楽しそうにアイビーを見下ろしていた。


「ここでのルール、破ってしまったのね。残念だわ」

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