美術品の憂鬱

宮崎

美術品の憂鬱 1

 いつもの優雅な朝のひととき。

 お気に入りの紅茶を飲みながら、彼ら――ハナガスミ男爵とその夫人は、壁際に並べられた美術品たちを眺める。満足げに息をついた二人は、今度は美術品の存在など頭の片隅に追いやって、最近見た舞台の話を始めた。


 昨日は、知人の出資した小規模だが見どころのある舞台に赴いたらしい。一番の目玉だった女優についての感想を、声がどうの、あの綺麗なブロンドがどうのと、それぞれ無責任に言い合っていた。


 紅茶を飲み切れば、そこでティータイムは終了。

 傍に控えていた使用人にいくつかの指示をして、二人は席を立つ。


「では、自由時間よ」


 夫人は美術品たちに向かって短くそう告げた。だが、部屋の空気は変わらない。

 男爵と夫人が部屋を出て、遠くで玄関の開閉音が聞こえても、まだだ。この建物が存在する区画と外とを結ぶ唯一の門が開け閉めされ、夫妻がそこを通ったという合図の鐘が鳴るまで、そのままだった。


 鐘が鳴ってからようやく、並んでいた美術品たちが動き始める。二十代後半くらいから三十を少し過ぎるくらいの男性たちだ。


 あるものはソファに腰かけ、控えていた使用人にコーヒーを頼む。

 あるものはあくびをしながらひと眠りすると部屋を出て行く。

 あるものは黙って窓際に立ち、外を眺める。

 あるものはピアノに向かい、あるものはヴァイオリンを手にする。


 このあとは、男爵夫妻の来訪を告げるあの鐘が鳴るまで、自由に過ごしていい。食べ物も飲み物も、使用人に頼めば手配してくれる。

 娯楽に関しても同様。本でも楽器でも、ボードゲームでも。許可された範囲でならなんでもそろう。


 用意してもらえないものは、外界との繋がり。

 外と連絡を取ることはもちろんだが、新聞などといった外の情報を得られるようなものも手に入らない。

 出入りしている使用人たちも言い含められているのか、外についての話にはのってこない。


「ここには慣れたか?」


 窓の外を眺めていると、コーヒーを片手に声をかけてくる者がいた。美術品のひとつ、落ち着いた雰囲気のある赤毛の男だ。


「何を見てたんだ?」

「この敷地を囲むあの高い塀だ。ずいぶん厳重だと思って」


 庭の木々の向こうに、石造りの塀の一部が見えている。塀の上には、低い黒の鉄柵までついており、飛び越えるにはなかなか難儀しそうな造りだ。


「仕方ない。変なやつらが入ってこないように、必要なんだよ」


 それより、と赤毛の男は話を変えた。


「あんたが来て今日で――」

「七日目だ」

「そろそろ、ここが快適かそうじゃないか、人によって分かれてくるころか」

「今のところ、まあまあってとこだな。気に入らないとすれば、名前くらいだ」

「仕方ない。それもここのルールだ、アイビー」


 アイビーは、そう呼びかけられて眉をひそめた。

 ここにいる者には、みな呼び名がつけられている。例えば目の前にいる赤毛の男性はゼラニウムだ。正直、あまり似合っていない。自分の名前も、似合うと思えない。


 何が基準かは知らないが、この館に入る者はそれぞれが植物の名前をつけられるのだ。外の世界での名前は忘れろ、ということかもしれない。


「ルールに反するようなことをしないようにな。少し慣れて緊張が緩み始めたころが危ない。あんたは初日から大して緊張していなかったみたいだけど」

「そう見えたか?」

「ああ。普通は来たばかりのやつって、もっと荒んだ目で周りを警戒してる。あんたはなんか、俺らとは違うとこから来た気がするよ」


 さり気なさを装っているが、そういうゼラニウムのほうが警戒した目をしていた。毛色の違う人間がやってきて、何事かと疑っている。

 アイビーは困ったように笑ってみせた。そんな指摘をされても、大した事情は持ってないとでも言うように。


「前のご主人がいい人だったんだ。円満に譲渡ってやつだね」

「変態お貴族様ってのは、どこにでもいるもんだな」


 ゼラニウムは、は、と小さく吐き捨てるように笑った。

 ここのお貴族様みたいな変態夫婦、そうそういてもらいたくはないものだ。

 合わせるように薄く笑って、アイビーは心の中でだけ答える。


 ここにいる男性たちは、アイビー以外は、違法な人身売買オークションから男爵と夫人が競り落としてきた者たちだ。


 きれいめで女性的な顔立ちなのと、あとは体のどこかにあざがあることが共通項。特別な形をしているあざでないとだめだなどといった、細かい条件まではついていない。あざの場所も、服で隠せる場所ならどこでもいいという。


 あざなど、いくらでも偽装できる。男爵夫妻の趣味を聞きつけた同じ趣味の仲間、と自称する貴族が彼らに個人的に奴隷を譲りたいと持ちかけ、上手く話がまとまった結果、アイビーはここにやって来た。


 夫妻が関わっている人身売買オークションに関わる証拠の一つを発見、確保するためだ。変態夫婦のコレクションになるのは嫌だと一応ごねてみたが、短い間だからと一蹴されてしまった。


 男性たちは美術品と呼ばれ、この館に住まわされている。

 美術品のやることは、男爵夫妻が館でお茶をする際に黙って壁に並んでいること、リクエストがあったときだけ、黙ってピアノかヴァイオリンを弾くこと。そのくらいだ。ピアノもヴァイオリンも、定期的に講師がやってきて一人一人を指導する。不思議なことに、男爵夫妻は演奏のうまさを求めてはいないらしく、下手な間違いだらけの演奏だろうが、特に気にする様子はなかった。


 それだけで、この館での生活が保障される。

 綺麗な服を与えられ、立派な食事を出され、世話をする使用人たちまでいる。

 奴隷同然の扱いを覚悟していた人間にとっては、まさに天国のような場所だった。おまえたちは美術品だと言われ、夫妻の前では感情のない置き物のように扱われ、外界との繋がりを断ち切られることに耐えられれば。

 ゼラニウムの言葉からすると、過去にはこの環境が合わない人間もいたのかもしれない。


 ここで過ごすために課せられたいくつかのルールもある。

 容姿を著しくそこなうような行動をとってはいけない。

 持ち主の意に沿わぬような言動をしてはいけない。

 この館は高い塀で囲まれた敷地内にあるが、そこから外へ出てはいけない。

 そして、恋をしてはいけない。


 ただ愛でられるためにそこにあれ、というのが美術品たちへ課せられた使命だった。これらに我慢できなければ、美術品ではいられなくなる。


 ここにいるはずの美術品の数と、事前情報で得ていた男爵夫妻が競り落とした人間の数が合わない。実際、ここから消えた美術品がいる。

 アイビーは、とりあえずルールの一つに不満をこぼした。


「恋をするなってのは、おかしなルールだよな。何を考えてわざわざこんな決まりを設けたんだか」

「不満に思うのがそこなのか」

「人間は恋をするものだろ」


 どうせくだらない軽口の一つとして流されるだろうと思い、出した言葉だった。


「ああ、人形は恋をしないしな」


 どこか遠い目をしてそう言うと、ゼラニウムはソファに戻っていった。

 アイビーはしばしそこで固まっていた。今のフレーズを、彼はどこで知ったのだろう。たまたま思いついただけだろうか。


 だが、今それを深く考えても仕方ないとアイビーは適当に自分に言い聞かせる。

 この館で、なぜこんな酔狂なことがなされているのか。変態夫婦の性癖も美術品たちの感情も、詳しく分析する気はない。アイビーの仕事は証拠の確保。それさえ済めば、こんな浮世離れした空間からはさようならだ。


 なんだか無性に恋人の顔が見たくなる。

 アイビーは物憂げに窓から空を見上げた。

 綺麗な青空を見ながら、こんなところに自分を押しこめた人間に心の中で呪詛を吐いてやる。




 天気がよかったので、午前中は庭に出ることにした。

 アイビーはふらふら歩きながら、庭師が花壇の花を整えているのを横目で確認する。

 庭に植えられた花と自分たちに与えられた名前との関連性について考えてみたが、今のところ大した繋がりは見出せない。


 手入れされた花や木々を眺めながら、綺麗に刈られた芝生の上を適当に歩いていく。すぐに石造りの塀にたどり着いた。

 この塀は、半分ほどは男爵夫妻の住む本館と呼ばれる屋敷がある敷地と、もう半分は外界と面している。ここは街中であり、高級住宅街の一角だった。


 今、アイビーの前にある塀の向こうには、綺麗に舗装された道が通り、着飾った貴族たちを乗せた馬車や、最近少しづつ増え始めた魔石自動車というものもたまに走っているはずだ。ここを超えるだけで、すぐに外の世界に戻ることができる。


 一応、高い塀の上には背の低い鉄製の黒い柵が設置され、乗り越えることを困難にしている。だが並みの成人男性なら、本気を出せばやれないこともない。

 もし、あの柵がただの柵なら、だが。


 アイビーは、足元の芝生に小さく焼け焦げたあとがあることに気付いた。

 しゃがんで焼けた部分を触り、その手を顔に近づける。ほのかに薬品のような匂いがする。


「どうかしましたか」


 背後から声をかけられる。アイビーはゆっくり立ち上がると、見つけた焼け焦げが見えないよう踏みつけるようにしながら振り返った。


「散歩してたら、ちょっと立ちくらみがしたんだ。運動不足だな」

「その塀は、超えないほうがいいですよ」


 老齢の庭師が、にこやかにそう告げる。散歩なんて言い訳で、ここから逃げ出す算段でも考えていたんだろうと断定する物言いだ。塀に近づきすぎたか、とアイビーは反省した。


「ここに来たときに説明されませんでしたか? 塀の上の柵は、生き物が触るとしばらく体が痺れて動けなくなる。動けないうちに私たちに見つかり、逃げようとしたことがばれて、あなたはこの場所とは天と地ほど差のある場所に奴隷として売り飛ばされる」

「その説明なら覚えてるよ」

「ならいいんですが」

「鳥なんかがぶつかったら可哀そうだよな。そういうの、起こらないのか?」

「動物の本能でわかるんですかねえ。まだ遭遇したことはありませんな」


 庭師は笑ったまま、どこか見下したように「あれに触れるのは馬鹿だけでしょう」と付け加えた。


「ここを超えようとして、実際に売り飛ばされたやつはいないの?」

「一人、いましたかね。気の毒に」


 そう言って庭師は去っていった。詳しく説明しないほうが、相手を怖がらせるとわかっているようだった。

 もう少し周囲を確認したかったが、とどまらないほうが無難そうだ。

 アイビーは、焼け焦げを触った手をハンカチで拭く。薬品の匂いの正体を確認しておいたほうがいいかもしれない。


 のろのろと館のほうに歩き出しながら、敷地内を囲むあの厄介な塀のことに考えを移した。

 あの柵のことなら、自分の方がよくわかっている。あれがただの柵ではなく、魔石を施された特殊なものであることが、アイビーがこんな場所に押し込められた理由の一つなのだ。


 一般に魔石としか呼ばれないその鉱石は、生活に関わるさまざまなものに組み込まれている。

 人間は魔術式とよばれる特別な術式をその石に施すことができた。どうして施すことができるのか、その原理は今も明らかになっていない。人間は魔術式と呼ばれる不思議な紋様を脳内にイメージし、石に触れることでそれを込めることができた。


 魔術式を施された魔石の使用法は多岐にわたる。魔術式の種類によって、魔石の持つ力も変わる。昔は火に関する魔術式を込めた魔石を直接木材に擦り付けることで火を起こしたり、水に関する魔術式を込めた魔石を水瓶に沈めて、水が腐らないようにしていた。


 今は、そこにさまざまなからくりを足してより便利にした仕組みが発明されている。スイッチ一つで灯りがつくとか、すぐに暖炉に火がつくとか、蛇口からお湯が出てくるとか。いまや大多数の人々は、その便利なからくりの詳細はよくわからないまま、日常的に様々な魔石製品を使っている。


 ただ、それらの仕組みに関することで、ほとんどの者が知っていることがある。魔石に魔術式を込めるのには、その才能を鍛えた「魔術師」と呼ばれる者が当たらなくてはならないこと。魔術式が複雑なほど、込めるのは困難なこと。そして魔術式の複雑さと魔術師の才能により、必要な魔石の大きさが決まること。


 簡略化した魔術式が発明されれば、小さな鉱石に、多少修行した程度の魔術師たちでも魔術式を込めることができる。それらを使用した製品は、大抵安価で大量に普及するようになる。

 逆に複雑な魔術式を施した魔石が必要な魔石製品は、一部の金持ちにしか手には入らない。


 あの柵に施された仕組みは、かなり金がかかる。判明している収入額では、男爵夫妻が簡単に導入できるものではない。

 ここにあの黒い柵が設置されたのは、たしか二ヶ月ほど前。夫妻が美術品集めを集めたのは一年前。途中で、彼らの羽振りがよくなる何かがあったのだ。それは――。


「なんだろうな?」


 周囲に人気がないこともあって、つい口をついて出ていた。

 同時にへこむ。普段は独り言などほとんど口にしないのに。これはきっとここでの生活のストレスからくるものに違いない。

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