第225話 拳の重さ
模擬刀を正眼に構えて間合いを測る。
切っ先の向こうに見える胡さんは右手を前に突き出すような構え。どことなく格闘ゲーム風だ。
ただ、雰囲気が今まで対峙した誰とも違う。静かな水面のような気配だ。
構えてはいるけど、シューフェンや師匠、斎会くんとかのような、殺意というか闘争心とかそういうものは感じない。
そういえば今までは宗片さんとか斎江君とかとの戦いで、間合いで負けていてこっちが踏み込むことが多かった気がする
師匠と戦うときも、待ちで戦ってたら押し込まれて潰されるから、こっちから手を出すことの方が多い。
それに消極的な戦い方をしていると怒られるし。
今回は僕の方が間合いで有利だけど、それはそれで慣れないな。
間合いを活かして待つ方がいいのかと思ったけど。
鎮定の言葉を思い出す。間合いは生かすもので甘えてはいけない。
それに、経験から言うと、待つ戦術は相手に圧力がかからないから考える余裕を与えてしまう。
前に出るべきだな。
「よし」
刀を握り直して息を吸う。
踏み込もうとしたその瞬間、胡さんが目の前にいた。
何かをぶつけられたような衝撃と同時に足から畳の感覚が消える。
視界が回って、一呼吸もしないうちに今度は背中に痛みが走った。
◆
周りから声が聞こえる。目を開けると天井の照明が目に飛び込んできた。
周りを見回すと試合場の場外ラインが真横に見える。
何が起こったのかようやくわかった。開始線から一発でここまで飛ばされたのか。
顔を上げてみると、試合場の中央には右手を突き出した胡さんの姿が見えた。
どうやら右手で突きを受けたっぽいけど……全然見えなかったぞ。
模擬刀の柄には拳の跡が付いていて、少し折れ曲がっている。頭では全く反応できなかったけど、体は咄嗟に動いたらしい。
というか、ここまで一撃で吹っ飛ばされるとか、本当に素手の攻撃なのか。
「師父……大丈夫ですか?」
「おい、片岡、死んでねぇだろうな」
「ええ、大丈夫です」
立ち上がって刀を構え直すと背中が痛んだ。
吹っ飛ばされた時に畳に擦れたのもあるけど、それより背中の真ん中が熱い。
というか、直接打たれたところよりも背中の方が痛むのが不思議だ。
恐ろしく踏み込みが早い。師匠よりも。
初動が全く見えなかった。
しかも3歩分以上の差が消えた。
まさか素手の距離まで一瞬で踏み込んでくるとは全く予想できなかった。
「……師匠より強いかもですよ」
「そりゃいいな、ぜひ後で俺とも一手手合わせ願いたい」
師匠が言って、胡さんが一礼する。
開始線まで戻ると、胡さんが流れるように後ろに下がってまた構え直した。
「ところで、今のは?」
「真意六合拳の一つ、崩拳です。魔獣と戦う時は先打必倒、一撃で決めなければ此方が危ういので」
胡さんが言った。
ということは、今みたいな感じで魔獣相手にも踏み込んでいるのか。
いずれにせよ、刀の分だけ間合いでは有利とかそういう考えは捨てた方がよさそうだ。
打撃も速さも武器持ちに匹敵するな。改めて刀を構え直した。
◆
「よし、其処まで」
師匠の声が聞こえて周りから大歓声が上がった。
ようやく緊張がほぐれた。手に持っていた刀がいつも以上に重く感じる。
「見たか、お前等。才能……魔討士の能力は人それぞれだ。だが人は磨けばこれほどのことができる。
いいか、格闘系。自分のはハズレ能力とか言って腐ったら技まで腐るぞ、分かったか!」
師匠が言ってまた周りから歓声と拍手が巻き起こった。
クリーンヒットを貰ったのは最初の一発だけだったけど。
準備動作が無くて初動が全く読めない高速の踏み込みと、受けから踏み込みにつながる攻防一体の体捌き。
間合いの差があっても全く気が抜けなかった。
それと体を貫くような打撃……あれは師匠に模擬刀で打たれる表面的な痛みとは違う、初めて食らう感覚だった。
まだ一発目を食らったところの背中が痛む。
胡さんにも、顔とか肩口とかに模擬刀で撃ち込んだときの痕が残っている。
普通だと当てないように加減とかするんだけど……そんなことをする余裕はなかった。
「大丈夫ですか?」
「問題ありません」
胡さんが表情を変えずに言う。
「ありがとうございました」
格闘系の魔討士のベースはボクシングとか空手が多い。
中国拳法の使い手と戦ったのは初めてだけど……中国4千年なんて正直言って漫画かゲームの中だけかと思っていた。
素手でもここまで戦えるのか。
「こちらこそありがとうございます。師父もお見事でした」
「まあでも、こっちは武器持ちですからね」
「それを言われるなら、私は師父より長く生きた分、修行を積んでおります。
それに、師父が風を使えれば私は近づくこともできなかったでしょう」
胡さんが言うけど
……それはそれとしてこっちは武器持ちなのにどうにか五分五分というのもどうかとは思う。
やっぱり対戦する以上は誰が相手でも負けたくないな。
「しかしさすがです。片岡師父。
台湾でも師父の武名は轟いておりますが、剣技の冴えは動画で見るものよりはるかに上でした」
「……そうなんですか?」
「代々木や大阪での戦いの動画は台湾でも人気です。富山での活躍はニュースで配信されました」
……そうなのか。
海の向こうでも見られてるというのは全然現実感が無いぞ。
「ところで、飛び道具的な能力とかはないんですか?」
「いえ、ありません。この拳のみがわが武器です」
胡さんがグローブを外しながら言う。
その手はあちこちに傷や痣があった。
この格闘系の能力で台湾で言うところの特級まで上がった。特級は魔討士だと2位クラスらしい。
乙類2位クラスと言うことは風鞍さんとかと同格だ
……ここまでくるのに、どれほどの苦労があったんだろう
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