第139話 その日の始まり・上
「なあ片岡君。頼みがあるんだが」
「なんです?」
週の真ん中の水曜日、檜村さんと電話で話していたら言いにくそうな感じで檜村さんが切り出してきた。
「トゥリイに代々木の訓練施設に連れてって欲しいと言われているんだが……付き合ってもらえないだろうか」
「いや……それは……ヤバいのでは?」
代々木の訓練施設は東京でも一番大きな魔討士の訓練施設だ。
トレーニングジムとかが一般開放されているから、平日でもかなり人が多い。
「確かにそうなんだが……外を見てみたいと言ってるんだよ。危ないのは分かっているが……本部に閉じ込められたまま、というのも気の毒でね」
確かに週末とかに八王子ダンジョンに行くときも車で移動していたから、トゥリイさんは本部と八王子ダンジョンくらいしか見ていない。
せっかく別の世界に来ているのに、気の毒と言えば気の毒ではある。
食事は楽しんでいるようだけど。
「獣耳さえ見られなければまあ何とかなると思うんだ」
「木次谷さんはどう言ってるんです?」
「少人数で目立たないように、短時間なら、ということらしい。一応代々木では魔討士協会から一人ついてもらう」
まあ確かにVIPよろしく周りを魔討士協会の人で完全防備する方が目立つか。
人ごみに紛れてしまえば案外目を引かないかもな。
許可が出ているならいいんだろうか。
「まあ……そういうことなら」
「ありがとう。じゃあ日曜日に」
◆
そんな感じで日曜日になった。
トゥリイさんのたっての希望で、新宿の本部で合流して代々木まで歩くことになった。
新宿はダンジョンが現れた関係でそもそも人が少なくなっているうえに、日曜だからさらに人は少ない。多分大丈夫だろう。
「おはようございます」
駅で檜村さんと合流して本部まできたら、トゥリイさんが準備万端で待っていた。
今日はいつものソルヴェリアの中華風衣装じゃない。
丸首で白地に黒の横じまのボーダーシャツとすこしゆったり目の黒のパンツにベージュの長めのひらひらしたコートを着ている。
腰にはベルトのようにあの黒い飾り紐が結ばれていた。
編み上げられた紐の先端には拳より少し小さいくらいの漆黒の丸石が付いている。宗片さんとのあのやり取りを見る限り、あの飾り紐は護身用の武器なんだろう。
頭にはつばがついた大きい黒い丸い帽子をかぶっている。キャスケットっていうんだっけかな。
落ち着いた大人って感じのいでたちだ。そういえばこの人、年はいくつなんだろうか。
「今日は我がままにお付き合いいただき……ありがとうございます、
深くお辞儀してトゥリイさんが言う……なんか口調が明るくなった気がするな。
オドオドしてるよりはわがまま言う位の方が良いのかもしれない。
「綺麗で静かで……ほんとうに美しい世界ですね。あの塔は皇帝陛下の居城の10倍は高いです」
歩き始めてすぐにトゥリイさんが感心したように言う。
朝の太陽が旧都庁とかの西新宿のビル群を照らして、ガラスが煌めいている。抜けるような冬の青空には白い雲がまばらに浮かんでいた。
天気はいいけど肌寒い。でも震えるような寒さというより、ひんやりした感じで心地いいな。
「それにこの黒い石畳。雨が降っても道路はぬかるみませんし、あの馬が引かないのに走る鉄の馬車といい……何もかも素晴らしいです」
トゥリイさんが通り過ぎる車や交差した道を見ながら感心したように言う。
ソルヴェリア皇国は行ったことないけど、ルーファさんの話を聞く感じ僕等の世界基準では中世とかそんな感じっぽい。
遥か未来に来た感じだろうな。
時々ランニングしたりする人とすれ違う。こっちはなんとなく緊張するけど、向こうは気にする様子はない。
僕等が気にし過ぎなんだろうか。
「みなさん祖人なのですね。私たちのような者はいないのでしょうか?」
「いないんですよ。見つかったら大騒ぎになりますから。絶対に帽子は撮らないでくださいね」
「はい」
そう言ってトゥリイさんが顔を隠すようにキャスケットを深くかぶりなおした
「今日行くところは、皆さんの練武場とお聞きしましたが……道術師の方もおられるのでしょうか?」
「勿論だよ」
檜村さんが応じる。
代々木の訓練施設は瞑想室があってそこでイメージトレーニングすることができる。
魔法使いの訓練施設としては京都の方が有名で、陰陽師や修験道とかを修めた人が指導してくれるらしい。
「すばらしいですね……ソルヴェリアでは鍛錬の方法は家ごとの秘事で門外不出でした。道術師の鍛錬が体系化されているのですか?」
「うーん……どうだろうね」
檜村さんが困ったような顔で言葉を濁す。
魔法使いの訓練はまだ魔討士協会でも確立されてないのが現実だ。
ルーファさんによれば、向こうの世界ではどこでも魔法が使えるらしい。
ルーファさんのグーリや僕の鎮定も向こうならずっと実体化させることが出来るっぽい。
でも、ここではそこらで魔法を実際に撃って練習なんてことはできないわけで。魔法の練習なら向こうの世界の方がやりやすいだろうな。
この点では、乙類の武器の訓練はハードルが低い。普通に武器を持ってトレーニングすればいいわけだし。
でも僕の風とか漆師葉さんの影とかはダンジョンの中でしか練習しようがない。
結局は場数を踏むという意味でも、魔討士にとっては実戦が一番の稽古なのかもしれない。
「素敵な旦那様が見つかるといいのですが」
歩きながらトゥリイさんが呟く。
……そう言う目的なのか?
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