幕間・京都右京区渡月橋にて
幕間追加。
本章の最後にニュース配信された、ある魔討士の戦いの場面です。
◆
真剣に魔討士を志した、というわけじゃなかった。
たまたま大学在学中に自分にも資質があると言う事が分かったから、登録した。それだけの話だ。
得た武器が蛇骨槍なる、柄を節ごとにバラバラにして操れる槍なんていう妙な武器だったから、当初は扱いにずいぶん苦労したが。
それも今となってはいい思い出だ。
ちょっとした小遣い稼ぎと、あとはランクが上がったり討伐実績を上げたりすると、就職とかにも有利と聞いたから真面目に活動した時期もあった。
実際のところ、学生の時の討伐実績は就職にも有利に働いてくれて、希望する京都の商社に入社できた。
何となく始めた魔討士活動だが、2年間も続けてランクが上がれば何となく自覚も芽生えてくる。不思議なもんだ。
人のために戦う……俺はそんな柄じゃなかったと思っていたんだが。
会社の近くで野良ダンジョンにぶつかってダンジョンマスター……とは言ってもさほど強い奴では無かった……を討伐して拍手喝采を受けた時はやはりうれしかった。
同僚からの賞賛、会社からも表彰され、女性社員からもちょっとチヤホヤしてもらえて、色々と良い思いもした。
仕事中でも野良ダンジョン発生の通知があったら出ていくことを認められた。
魔討士手当なんてものがついて、会社のロゴ付きのジャケットを着て戦ったりもしている。
活動している間にランクも上がって、先日甲の6位に昇格できた。6位と言えばそこそこ実力者として見られる。
何度か危ない思いもしたが、総じて順風な魔討士活動だったと思う。
だが。
◆
『7位以下の交戦を禁止します。速やかに退避してください。6位以上の魔討士も……』
ジャケットの中のスマホが警告を連呼する。
たまたま営業で通りがかった右京区の渡月橋の近くで野良ダンジョンにぶつかった。平日でも観光客が多い嵐山公園に現れた野良ダンジョン。
聞いたこともないアプリの警告。
そして、そこにいたのはムカデのような下半身に上半身が人間のようなもの、という魔獣だった。
人と言っても、正確にはなんとなく人型に近いというだけだ。
体だけなら硬そうな黒い鱗に覆われていて、歪な鎧を着ている人のように見えるが、腕は何本もの触手が鞭のように長く伸びていて、その先端には大きな爪がついている。
いわゆる奥多摩系などと言われる、蟲タイプの魔獣だ。
定着したダンジョンに潜ったこともある。ダンジョンマスターとも戦った
だが、こいつは今まで戦ったどんな奴とも格が違う。
「逃げろ……お前らは7位以下だろ」
右で剣を構えている大学生っぽい男と、後ろで魔法を使おうとしている観光客の30歳くらいの女に声をかける。
二人とも、どう見ても修羅場をくぐってる感じはしない。おそらく8位くらいだろう。
「でも」
「何人か連れて逃げるんだ。俺が隙を作る」
小島の隅に追い詰められて、後ろには20人ほどの観光客、そのさらに後ろは桂川。
ただ、幸運にも目の前のこいつ、ダンジョンマスター以外に魔獣は居ないらしい。
左には橋が見えて、渡った向こうは普通の景色、境界が見えた。
左なら逃げ道がある。この二人と……あと数人ならだけなら逃げられる。
「行け!槍よ!」
槍の節がばらけた。空中を飛んだ節が四方八方からムカデにぶち当たる。
硬い音が立て続けにして、そいつが僅かに怯んだ。
「今だ!急げ!」
「はい!」
「すぐ戻ります!」
二人が観光客の何人かを連れて橋を渡って走っていった。そいつがその背を見て不思議そうに首をかしげる。
頭の中でイメージを浮かべると、ムカデを取り巻くように飛んでいた槍の節が手元に戻ってきて、また槍の形に戻った。
『なぜ逃がすのだ?』
またそいつが声を発した。
さっきも聞こえた気がしたが、空耳じゃなかった。
正直言って逃げたい。恐ろしい。知性がある魔獣なんて聞いたこともない。
だが、後ろにはまだ戦闘力の無い観光客がいる。子供の泣き声も聞こえる。
逃げたら何が起きるか、そのくらいは分かる。
俺が逃げて彼らが死んでも罪には問われない。
魔討士も自衛を優先し勝てない相手からは逃げることが許されている。
そう言う状況を考えたことがなかったわけじゃない。
まあそうなったら逃げるが勝ちだろ、と思っていた。だがいざその場面に立ってみると、そう言うわけにはいかない。
少しでも時間を稼ぐ。そうすれば他の魔討士が来てくれるはずだ。
◆
ガツンと音がして節が次々とムカデにぶつかった。節が弾き飛ばされる。
ゴブリン程度の魔獣なら一撃で頭を吹き飛ばす程度の威力はあるんだが、多少は効いているようだが、致命傷には程遠い。
「これならどうだ!」
槍の形に戻して突きを食らわせるが、鱗を貫けない。
鎧のような外殻の隙間を槍で突いても、そこから粘液のようなものが噴き出してきて、忽ち傷が埋まってしまう。
きりがない。
後ろに目をやる。援護が来るまで何とか守り切れるだろうか。
そいつがすっと一歩下がって、俺越しに遠くを見るように視線をやる。後ろの観光客を狙っているのが分かった。
俺を迂回するように、左右の触手が長く伸びる。
「クソが。槍よ!散れ!」
槍の半分がばらけて節が右からくる触手を弾いた。
左の射線に飛び込む。短くなった槍で飛んでくる触手を弾くが、手数が多い……防ぎきれない。
槍をすり抜けた触手が体を貫くの瞬間が、スローモーションのようにはっきり見えた。
◆
刺されたところが焼けるように熱くなった。膝が崩れる。
触手が抜けて血が噴き出した。
『お前が倒れればどの道こいつらは死ぬ……とは思わないのか?』
後ろで誰かの悲鳴が上がる。立ち上がろうと足に力を込めたが、言う事を聞かない。
不思議なことに痛みはないが、真っ赤な血が白い石畳と赤い光の混ざり合った地面に広がっていく。
そいつが俺を見下ろしてきた。
「やめろ!」
「今助けます!」
左の方から声が聞こえた。橋をわたってさっきの二人が走ってくるのが見える。
黒い槍のような魔法が飛んできた。そいつが全く姿勢を変えないままその魔法を受ける。
槍が体を貫いたが、その傷もすぐに埋まってしまった。
「逃げろ!来るんじゃない!」
8位じゃ勝ち目がない。
腕の触手がまた伸びた。空中で絡んで巨大なムカデのような姿に変わる。
先頭に立っていた男の方が剣を振り下ろしたが、剣をへし折って牙が男の体を切り裂いた。そのままムカデが魔法使いの女に噛みつく。
橋の途中で二人が倒れた。
「てめえ!」
槍を握り直して渾身の力で突くが、穂先が鱗に弾かれた。
衝撃で槍が手から滑り落ちる……握力がもうない。
『ふむ……こういう生態なのか。なるほど、知能が低いのだな』
触手が振り回される。槍で受け止めたが、踏ん張りが効かない。体が後ろに倒れた。
そいつが触手を振り上げた時、突然俺とそいつの間を遮るように白い幕のようなものがかかった。
◆
「遅参をお詫び致します」
落ち着いた女の声が聞こえた。
何かと思ったが……白い小さな紙だ。それが幕のように立っている。幕が渦のように変わって、白い紙吹雪の中から人影が現れた。
どうにか体を起こすと、白と赤の着物を着た奴の背中が見えた。
細い体に鴉の羽根のような真っ黒い長い髪。頭には黒い縦長の冠が載っている。時代錯誤な平安和装のような格好だ。
「汚らわしい鬼よ。汝を折伏するつもりはありません。塵芥のごとく、ただ滅するのみです」
『何者だ?』
「これは稀なり。言葉を解するのですか。では名乗りましょう。
黄泉の渡し守に告げなさい。汝を
聞いたことがある名前。確か丙類最上位帯の魔法使いだ……だがこいつ相手に魔法使いでは厳しい。
こいつは動きが早い。詠唱のためには前衛が必要だ。
立ち上がろうにも情報を伝えようにも体が全く言う事を聞かない。
声を出そうとしても口から熱い塊が溢れるだけだ。焼けるような痛みがいまさら感じられた。
ムカデが首を振るようなしぐさを見せて、威嚇するように長い触腕を振った。
触手が絡んでまたムカデのような形になる。
『お前らは愚かな生き物だ』
「【
彼女が自然な風情で白い符を手に取る。
最期の気力を振り絞った。地面に落ちていた槍の節が飛んで、ムカデの顔にぶち当たる。
『何?』
「【
ムカデがわずかによろめいた。彼女が謡うように短く唱えて符を前に差し出す。
音もなく赤い塊が彼女の前に立ちあがった。赤い塊が解けて、まるで花吹雪のように散ってムカデを包み込む。
『なんだと、これは……!!!』
ムカデが声を発するが、その声もすぐ消えた。
僅かの間のあと、赤い嵐が晴れた後には、ムカデは下半身の一部を残して切り取られたように消えていた。
◆
いつの間にか視界が暗くなっていた……夜かと思ったが、そうじゃない。
もう目も見えないのか。
「……医者は……」
「助太刀に感謝いたします。名は何ですか?」
耳元で落ち着いた女の声が聞こえた。
「吉川……孝之」
「吉川殿。敵は打倒しました。安心なさい。貴方の尽力により皆無事です」
何かが顔に触れる。さっきのあの魔法使いか。
「【
歌うような声がまた聞こえて、痛みが少し引いた。
「治癒を施しましたが……貴方は恐らく助かりません」
一瞬の間があって、はっきりした声が耳に飛び込んできた。
「言い残すことがあったら言いなさい。望むままにしましょう」
助からない。そう言われると実感がわいた。そうだろうな、と思う。胸や腹は焼けるように痛いのに、手足の感覚は無い。死が近づいているのが分かった。
遠くの方からサイレンの音が聞こえる、救急車かパトカーか。
「親父とお袋に……済まない、と」
「伝えましょう」
「二人に……補償は……でるか?」
「無論です。憂いはありません」
「部屋でこっそり猫を飼ってる。名前はニケ」
「責任もって保護いたします」
一年前に拾って、規約違反は分かっていたが捨てられなかった。白黒ツートンのおとなしいが食い意地が張ったやつだ。
今朝も会社に行くときに、早く帰って晩御飯を寄越せって感じで玄関で見送ってくれたが、あれが最後になるとは。
「……死にたくない」
やりたいこと、会いたい人、行きたい場所、色々あった。ここで全て終わるのか。
返事は無かった。僅かに彼女の体が強張ったのだけが感じられた。
「……忘れないでほしい」
これは毎日起きている野良ダンジョンの戦いの一つだったかもしれない。
だが、覚えていてほしい。俺が戦ったことを。その意味を。
「貴方達は多くの命を救った。その者は貴方達を忘れることは無い。貴方達が助けたものがきっとこの世界に良きことをもたらす。それはすべて貴方達の手柄です。
貴方達の名は千年残る物語。幾久しく語られるでしょう。語るものが絶えたなら私が必ずや語ります」
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