第116話 6日目夜・彼女の秘密・下

 重いものが地面に落ちる音が響いた。誰かが小さく悲鳴を上げる。

 一応落とす寸前に袖を引いて衝撃をある程度は抑えたから大した怪我じゃないだろう。

 

 乙類は武器で戦うから体を鍛えるし武器の扱いも習う。魔素で作った装備を使うのは自分の体だ。

 師匠と組討や模擬戦をやるときには当たり前だけど鎮定は使ってない。

 ダンジョンの外なら魔討士は無力かといえば、少なくとも乙類には当てはまらない。


「大人の怖さがなんだって?」


 勝田が転がったまま、何が起きたのか分からないって顔で僕を見上げる。

 普段、何を相手に戦ってると思っているんだ。

 こんな奴、図体がデカいだけだ。鎮定を使うまでも無く、魔獣に比べたら弱すぎて話にならない。


「背が高いだけだな。こういうの、でくの坊っていうんだっけ?」 

「このガキ……」


 勝田が僕を睨んで体を起こそうとしてくるけど。

 隙だらけで倒れてるうちに10回は蹴れた。追撃を食らわせなかったことを感謝してもらいたいくらいだ。


「片岡!」


 どうしようか迷ったところで、漆師葉さんが走ってきて僕の手を引いた。

 つられて僕も走る。

 

「待て!コラァ」


 勝田の叫び声が後ろから聞こえてきた。



 しばらく走って人通りのない路地で漆師葉さんが足を止めた。

 走り続けたから少し息が切れた。

 深呼吸すると肺に冬の冷たい空気が入ってきて、熱くなった体が冷える。


 しかし……なんとなく逃げてしまったけど、根本的な所で問題の解決になってない気がする。

 逃げてよかったんだろうか


 というか、ここはどこだろう。

 周りはマンションが立ち並ぶ静かな住宅地って感じで人通りは無い。暫くは僕と漆師葉さんの呼吸の音だけが聞こえていた。


「なにか……」

「うん?」


「何か……言いたいことがあるんじゃないの?」


 漆師葉さんが言う。


「何が?」

「……さっきの、あいつらが言ってたこと」


 震える声で漆師葉さんが言う。

 あいつらが言っていたことは断片的で詳しいことはわからないけど……なんとなく察しはつく。

 ただ。


「聞いてないし、聞こうとも思わない。聞いていても誰かに触れ回ったりしないよ」


 人のゴシップを嗅ぎまわる趣味は無い。僕にもプライドはある。そんなゲスな真似をしようとは思わない。

 漆師葉さんが疑わしげに僕を見る。というか怯えたような感じだ。


 内容が何なのか知らないけど、絶対に知られたくないことなんだろうな。信用できない、とその目が言っていた

 どう答えるべきか、頭の中で言葉を探す。


「乙の上位に知り合いがいるんだよ。宗方さんと風鞍さん。

どっちも人の弱みを握って誰かを脅すなんてことは絶対にしないタイプなんだ。二人とも小細工なしって感じの人なんだよね……僕もそういうふうになりたいと思ってる」


 そう言うと漆師葉さんが俯いた。

 静かな路地は相変わらず人の気配はない。マンションの中から小さくテレビか何かの音が聞こえた。


「……かわいいねって、格好いいねって言われて嬉しかった。強いね、凄いねって褒められて……うれしかったの」


 長い沈黙の後に、小声で漆師葉さんが言う。


「そういうの……悪い?」

「いや、別に悪くないでしょ。戦う理由はそれぞれだし」


 四宮さんは家族の為。伊達さんや伊勢田さんは多分理想の為。三田ヶ谷はルーファさんのため。

 七奈瀬君はダンジョンの敵への復讐心なんだろうか。

 宗方さんが戦う理由は良く分からないところもある。


 多分、金の為だけに戦ってる人もいるだろう。

 いわゆる稼げる魔討士というのもいるって聞くし。


 たまたま僕はいろんな人の戦う理由を知ることが出来た。

 戦う理由は人それぞれだけど、多分其処に優劣はない。戦えばその分誰かが助かる。なら理由は別になんだっていいと思う。



 タクシーを拾って漆師葉さんを送ってホテルに帰った翌日。

 スマホがアラームとは違う音を鳴らした。


 時計を見るとまだ7時半。アラームが鳴るより少し早い……というか、これは呼び出し音だ。

 画面には伊達さんの番号が表示されている。


「おはよう、片岡くん。申し訳ないんだけど、すぐオフィスに来てほしいの。迎えをやったわ」


 硬い口調で、何かトラブルがあったと言う事は何となく察しがついた。

 急いで身支度を整える。着替えが終わったころに、ドアがノックされた。

 出てみると、ギルドのバスのドライバーをやってくれている人がドアの前に立っていた。


「すまない、時間がない。これをつけてくれ」


 周りを伺うようにして、その人がニット帽とマスクを渡してきた。

 今は理由を聞いている暇はなさそうだ。言われたとおりに帽子とマスクをつける。


「行こう。詳しいことはオフィスに着いてから」


 

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