第31話 迷宮の奥で対峙したもの

 絵麻がくるりと一回転してこっちを向いた。


「絵麻を助けて、兄さん!」


 絵麻の頭上と手のひらにバレーボールくらいの黒い球体が浮いていて、まるで球体に吊り下げられているかのように見える。

 いつも快活な表情を浮かべている顔には何の感情も感じられなくて、別人にしか見えない。

 焦点の合わない目が僕等を見ていた。


 伊勢田さんが銃を構えて狙いをつける。

 とりあえずあのあからさまに怪しい頭の上の球を壊せばいい。


 間違えて絵麻を傷つけるわけにはいかないんだけど……風の刃の狙いをつける感覚は難しい。

 普段、強く切ることを意識することはあるけど、正確に切ることはあまり意識しない。

 ダンジョンで戦う魔獣は総じてサイズが大きいし、どこに当ててもダメージはダメージだからなんだけど。


 刀を構えている僕等を見下ろすかのように、絵麻、というか絵麻の上に浮かんでいる球は動こうとしない。

 無表情な目が僕等を見ているだけだ。動かないならこっちとしては好都合。


「一刀!破矢風」


 刀を横薙ぎに払う。いつも通り手のひらに手ごたえがあって、風が飛ぶ。

 でも……その風が球に届く寸前で掻き消えた



  防がれたとか、外れた、とかじゃない。消えた。

 見えない風の刃だけど、僕にはどこに飛んだとかは感覚的にわかる。だから、消えたのは分かった。

 防がれる、ということは何度もあったけど。こんなことは初めてだ。


 伊勢田さんが手にしたライフルの引き金を引く。

 光弾が飛んで……これも黒い球の前でライトが消えるかのように不意に消えてしまった。


「どういうことだ?」


 もう一度伊勢田さんの銃から光弾が飛ぶ。でも同じように消えてしまった。

 防御壁に当たったとか、そんな感じじゃない。

 顔を見合わせる。もう一度伊勢田さんが銃を構え直した。僕も刀に意識を集中する。


≪交戦の停止を推奨します≫


 突然絵麻が声を発した。



 話した、という感じじゃない。機械とかシステムが音声メッセージを発した、という感じだ。

 声は間違いなく絵麻のものなんだけど。


≪個体・քամի及び個体・հրացաններ、個体・կախարդ。複数回の交戦により攻勢は解析済みです≫


 絵麻、というか絵麻の中の何かとしか言いようがない何かが言葉を続ける。

 聞きなれない音が混ざっている……


≪再通告します。交戦を放棄を推奨します。こちらの要望は本有機体の安全な接収であり君たちの制圧ではありません≫


 同時に左右の手が上がって、球体が光った。レーザーが威嚇するように地面を抉って、伊勢田さんが飛びのく。

 タイルのような床に黒い傷跡が刻まれた。 


≪君たちが遺伝的情報を共有する集団ユニットを形成し、特別の存在と見做していることは認識しています。本個体は君たちのいずれとも遺伝情報の共有はありません≫


 そう言って絵麻が僕等を一瞥した。


≪再通告します。交戦の放棄を推奨します。撤退する場合、妨害は行いません≫


 中の人がどちら様だか知らんけど……家族は遺伝子だのなんだの、そんなもんじゃない。


「どういう理屈か分からないが……俺の弾は通じないようだ……君の刀で切るしかない」


 銃の狙いをつけたまま伊勢田さんが言う。

 絵麻の頭の上に浮いている球体の位置丁度僕の背丈と同じくらいだ。十分に届く。


「援護する」


≪警告します。交戦は目的外ですが制圧を躊躇することはありません≫


「お願いします」


 こっちの様子を察したように絵麻の口からもう一度警告の言葉が出てくる。

 絵麻の上に浮かぶ球を見て、師匠の言葉を思い浮かべた


「いいか、斬れると思えば斬れるほど実際は甘くはねぇ。漫画や映画みたいに信念の一太刀が奇跡を呼ぶなんてことは起きねぇよ。だから俺たちは日々修業するわけだが」


 素振り5000本とかいう気が狂ったトレーニングをさせられた時に言われたな、確か。 


「だが。斬るときは。それでも、必ず斬れると信じろ。斬れると思っても斬れるとは限らねぇ。だが斬れないと思ってたら斬れるものも斬れねぇよ。分かったか」



 まっすぐに踏み込んだ。

 光が僕を追い抜いて行って床で炸裂した。グレネードみたいなもんだろうか爆炎が上がる。煙幕代わりか。

 炎の後ろでサイドステップした。いまいた場所をレーザーが射抜いていく。


 巻き上がった煙を踏み越える。絵麻まであと5歩。

 無感情な目が僕を見て、左右の手が狙いをつけるように上がった。球がきらめく。

 左に踏み込んでレーザーの一本目を躱した。


 時間差の二本目がまっすぐ僕に刺さった。

 でも、目の前が光ったけど、身体能力覚醒フィジカルアデプトの防壁がレーザーを止めてくれた。

 一気に光が薄くなるけど、一瞬でもとに戻る。

 あと三歩。

 掲げた左手の球がまた波打つ。


「させるか!スペイドクイーン!」


 牽制するように伊勢田さんの銃弾が飛んだ。

 光が絵麻の手前で掻き消える。狙いを迷うように左手が動いた。

 ぎりぎり届く。レーザーを撃たれるより早く左手の球を切り払った。


 球が水滴が弾けるように消える。

 絵麻が表情を変えないまま、滑るように後退した。

 逃がさない!


 後ろ足で地面を蹴る。普段より軽くなった体が前に大きく進む。絵麻が一気に近くなった。

 右手の球が光る。レーザーが今度は胴に突き刺さった。

 光がフラッシュのように閃く。


 ……これがもし。トロールのハンマーとかそんなのだったらひとたまりもなく吹き飛ばされていただろうけど、レーザーに重さは無い。

 絵麻の表情がわずかに乱れた。というか絵馬の中にいる何かが舌打ちしたのか。


 右手の球が揺らめいた。もう一歩踏み込みながら、とっさに足を引いて半身になる。

 球が砲丸のように今いた場所を突き抜けた。

 読み通り。こっちだって攻撃パターンは学習する。


 もう武器は無い。

 踏み込み様に刀を突き出す。

 逃げるように下がろうとした絵麻の頭の上の球を切っ先が貫いた。



 球がわずかに震えて、今まで倒したのと同じように消えた。

 吊るされるように浮いていた絵麻の体が傾く。慌てて受け止めた。ずしっとした重みと体温が腕に伝わる。

 目は閉じたままだけど……見守っていると小さな唇から吐息が漏れた……意識を失っているだけっぽい


「絵麻、大丈夫か」


 体をゆすると、絵麻が身じろぎして目を開けた。ぼんやりした目に光が戻ってくるのが分かる

 僕の顔を見て絵麻がぎゅっと抱き着いてきた。華奢な体が震えているのが伝わってくる。


「アニキ……怖かったよ」

「もう大丈夫だ」


 絵麻もとりあえずおかしなところは無い。良かった


「兄さん……ありがとう」

「君は平気かい、片岡君」


 檜村さんが僕の体に触れるけど。


「大丈夫です」


 防壁もそうだけど、身体能力覚醒フィジカルアデプトは大した防御力だと思う、二度の被弾をモノともしなかった。

 欠点もあるんだろうけど、個人の戦闘力が高い伊勢田さんとかには相性がいい能力だ。


「しかし……君達、どうやって生き延びたんだ?」


 伊勢田さんが不思議そうに聞く。確かに、この階で何度もあの球体と戦った。

 絵麻と朱音は二人とも魔討士の素質持ちではあるけど、戦闘能力については無きに等しいはずだ。


「私は治癒術使いですけど、少しだけ結界とか防壁も貼れるんです」


 朱音が答える……治癒術以外にそんな能力もあるのか。


「それは素晴らしい。稀有な人材だ」

「あ!もしかして伊勢田蔵人?」


 絵麻が嬉しそうに言う。いつもの調子の戻ったかな。


「すごい、有名人だ」

「ありがとう、君たちが無事で何よりだよ……来た甲斐があったってもんだね」


 伊勢田さんが配信者口調で言って七瀬さんの方をみて合図した。

 七瀬さんがポーチにいれていたハンディカムを構える


「皆さん、素晴らしい知らせをお伝えします。三階層でついに二人の遭難者を発見しました」


 伊勢田さんがカメラに向かって話す。


「ですが、ここは極めて危険な場所です。一度探索を切り上げようと思います」


 そこまで話して、七瀬さんがカメラを下ろした。


「ライブ配信なんですか?」

「生憎だが電波が悪くてね。あとで配信ってことになるな。きっとみんな見たがっているはずさ」


 でも……気になることがある。

 ダンジョンマスターを失ったダンジョンは崩壊する……はずだ。でもその気配が無い。

 さっきのあれがダンジョンマスターだと思ったんだけど・・・・・・ということは……ダンジョンマスターは別にいるんだろうか。

 

「よし。喜ぶのはあとにしよう。まずは脱出だ。歩けるかい?」


 伊勢田さんも気づいているのか、さっと話を切り上げて二人を促す


「はい」

「大丈夫です」


 絵麻と朱音がうなづいた。絵麻が立ち上がって大丈夫だとアピールするように軽く飛び跳ねる。

 ダンジョンアプリを見て戻り路を確認しようとしたその時。

 絵麻と朱音の表情が固まった。



 後ろから恐ろしい圧力を感じた。

 トラとかそういうのが間近に迫ってきたらこんな気分になるだろうって感じの雰囲気。

 ホラー映画の殺人鬼が現れたような、血の気が引く、背筋に氷でも当てられたかのような感覚。

 配信風の明るい口調だった伊勢田さんも黙り込む。


 ……後ろを振り向くと、あのスクランブル交差点で見かけた黒い球が浮いていた



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