8-素手
「…………」
突然に沈黙が訪れた。
沙羅は動きを止めてこちらをじっと見ていて、私も沙羅が袋の中から取り出すのをじっと待っている。
しばらくして沙羅が再び動き始めた。
緊張が高まり心臓が早くなる。
今まで微かに聞こえていた外の音はもう聞こえない。
白いナイロン袋を開ける音だけが、私の耳に入り込んでくる。
――早く、中身を出してほしい。
しかし、白いナイロン袋の中からまた白いナイロン袋が出てきた。
中身の透けていなさ加減を見ると、まだまだ何かに覆われてそうだ。
と言うか本当にあの画像のものが入っていると言う証拠はないのだった。
沙羅は一度も袋の中身を明言していない。
「私、帰ってもいい?」
わざと少し突っぱねるような口調で言った。
本当はのところは帰る気なんて更々ない。
しかし、だからと言って茶番に付き合っていられるほど私の知りたい欲の気は長くないし、早くホラーから開放もされたい。
「せっかく面白いと思ったのになー。恐怖のマトリョーシカ。まだまだあるんだけど。もう帰る?」
「出すなら出しなさい! 何が恐怖のマトリョーシカよ。何枚重ねてるわけ?」
沙羅が片付けるそぶりをした。
見たい気持ちと見たくない気持ちが入り混じっている私にとって、これほど心臓に悪いものがあるだろうか。
出すなら出す。出さないなら出さない。ハッキリして欲しい。
――いや、出さないのはやめて欲しい。気になったままにされると眠れないどころか勉強も出来なくなってしまう。
沙羅は袋から袋を取り出す。またその袋の中から袋を取り出す。四回繰り返してようやく最後の袋が取り出された。
中身が透けて黒い何かが見える白いナイロン袋に、背中から全身に広がるように鳥肌が立つ。
「せっかくのマトリョーシカがー……」
ぶつぶつと呟きながらつまらなそうに袋の中身を取り出す沙羅。
あの画像に映っていた、私が子供の手だと結論づけた物と同じく毛に覆われた細長い物体が私の机の上に置かれた。
一体これはなんだろう。
私の中で知りたい欲が先導して、謎の物体へと手が伸びる。
あと数センチ。
もう少しで指先が謎の物体に触れる。
「あ、千花。それ触るときは手袋したほうがいいっておじさんが言ってたよ。出来れば2重。あれ、3重だったかな。重ねてつけないと呪われるんだって」
すんでのところで手を引っ込める。
顔から血の気が引いていくのがわかる。
――危ない。もう少しで呪われるところだった。
心霊なんて信じていないけれど、警戒するに越したことはない。
しかし、沙羅のおかげで冷静になれた。わざわざ自分で触る必要もない。沙羅が取り出したわけだから、沙羅が持って見せてくれればいい……。
そこで、凄まじい違和感が私を襲った。何かおかしい。
「沙羅。あんた、いま私が触ろうとしたときなんて言った?」
「えっと、呪われる?」
「違う、ちょっと前」
「おじさんが言ってた?」
「それはそれで後で問い詰めるから待ってなさい! で、私が言ってんのはその前よ。あんた言わなかった? 手袋したほうがいいって」
「言ったよ? だから、千花が素手で触りそうになったから注意したんだけど」
「それはありがとう。助かったわ。じゃあなくて! あんた手袋してないじゃない!」
沙羅は手袋をしていなかった。
あろうことか、素手で。小さく柔らかい子供みたいな手で。呪われた何か――いわゆる呪物を掴んでいたのだ。
「バカなのあんた! 呪われるわよ! 早く手を洗ってきなさい! 石鹸で! っていうかこれどけなさい! なんでこんな危ないもの私の机に直で置いてるのよ! 机が呪われたらどうするの!」
私が半分パニックになりながら言うと、沙羅は渋々呪物を掴みナイロン袋の上に置いた。
「また素手で! 洗ってきなさい! 石鹸で!」
「えー。大丈夫だって。そんな簡単に呪われないってば」
「いいから洗ってきなさい!」
ぶつぶつ言いながら沙羅は教室から少し離れた手洗い場に手を洗いに出て行った。
ありえない。
信じていないけれど、こんな危険な呪物を沙羅は素手で掴んだのだ。
しかも私の机の上に直で置いた。ありえない。
しばらくすると沙羅が帰ってきた。
「本当に洗ってきたんでしょうね?」
「洗ってきたよ。ほら、ハンカチ濡れてるでしょ?」
そう言ってハンカチを差し出してくる。確かにハンカチは濡れている。
それもかなり。
恐らくこいつはハンカチを濡らしただけで手を洗っていない。
それに洗ったところで呪いが消えるかどうかもわからないし、もしかしたらハンカチに呪いが移っていて受け取ったら私も呪われるかもしれない。
「ほ、ほんとね」
返事をするだけで私はハンカチを受け取らなかった。
たとえこの世に心霊現象が存在しないとしても、警戒しているに越したことはない。
「で、おじさんって誰?」
呪いについてはもう何を言おうが引き返すことができない。私は諦めて、さっきの話で引っかかったもう一つのことを切り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます