8-2.

「……。……けて。誰か……。誰か助けて!」

 誰かの声で目を覚ます。まだ意識がはっきりとしない。おぼろげな視界には重なり合った木の葉と厚い雲が見える。体を起こして周りを眺めると、明らかに神社とは違う場所だ。深い森の、少し開けた場所にいるようだ。

 よく分からない。夢でも見ているのか。

「あーれー。誰かお助けをー」

 なにやら古風な口調で助けを求める声がする。先ほどの声の主だろうか。

 声のする方向を向いてみると、なにやらきらびやかな姿をした女性が走っている。それから、その後ろを追う頭が豚になっている巨漢。

 助けを求められれば見て見ぬふりのできない性分の駆人は走り寄って巨漢の前に立ちはだかった。

「ブヒブヒ。なんだおめえは、邪魔するならおめえも食っちまうぞ」

 頭が豚なら喋り方も豚のようだ。豚がしゃべるのを聞いたことはないが。

 言い終わるが早いか、巨漢はこちらへ向けて突進してきた。駆人はひらりと身を躱し、持っていた羽子板で巨漢の頭を思いっきりひっぱたいた。

「ブヒー!」

 巨漢は悲鳴をあげると、煙と共にどこかへ消え去る。やっつけたのだろうか。

「ああ、どこの誰とも知らぬ方、助けていただきありがとうございます」

 追われていた女性が、妙に恭しい口調で礼を述べた。

 振り返ってまじまじとその姿を見ると、きらびやかなドレスに、豪華な冠、それを乗せた長い金髪。しかし、その顔には見覚えがあった。

「あれ、天子様? やっぱりここは神社? と言うかその恰好は……、羽根突きは……」

「何をおっしゃっているのですか? 私は今ここに来たところですが」

 ただ、その顔以外が明らかに違う。口調も物腰も丁寧で気品があふれる。あの天子とは似ても似つかない。他人の空似、だろうか。

「あの、失礼ですが、名前を伺っても?」

「今お呼びになったではありませんか。私の名前はテンコです」

 聞き間違いではない。確かにテンコと名乗った。だが、駆人の事を知らない人だとも言ったし、そもそもあの天子がこんな喋り方をするはずはない。

 駆人が腕を組み、思いきり首を傾げていると、テンコの視線が駆人の手に向いた。

「あ! その手に持っていらっしゃるものは!」

 言われて気が付いた。駆人の手には羽根突きの時に使っていた天子の描かれた羽子板がそのままある。

「あなたはもしかして我が国に伝わる勇者では!?」

「ゆ、勇者?」

 急に顔を近づけるテンコに面食らう。期待の混じった目の輝かし方は、冗談で言っているようには思えない。

「であれば、私を知らないのも無理はありませんね。では改めて、私はこの国の王女、テンコ姫です」

「お、王女?」

「民は私のことを『プリンセス・テンコ』と呼びます」

「なんか奇術師みたいですね」

 ハッ、とすかさず口をふさぐ。うっかり天子と話してる時の気分で茶々を入れてしまった。仮にも王女を名乗る相手にそれはまずいかと思ったが。

「よく言われます。それでですね……」

 特に気にしていないようだ。よかった。

 ただ、そこから続く言葉は理解しがたいものが続いた。

「あなたは王国に伝わる勇者なのです。その手に持つ剣がその証」

 剣と言っても、持っているのは羽子板だけだ。

「我が国には『王国が混迷に陥りし時、姫の描かれし剣を持つ勇者が異界より来りて王国を救う』という……」

「……」

「都市伝説があるのです」

「都市伝説! ただの伝説じゃなくて!?」

「都に伝わる伝説ですから、都市伝説です」

 テンコは表情一つ変えずにそのまま話を続ける。

「ここはあなたのいた世界とは別の世界です」

 となると、ここは所謂『異世界』というものだろうか。

「そして、この国の名は『ミエの国』」

「ミエ……」

「おうどんやお餅が有名です」

「いや、それって伊……」

「神宮にはもう行かれましたか」

「それ『伊勢界』だよ! 『異世界』じゃなくて!」

「そういう呼び方をする方もいらっしゃいますね」

 駆人の頭こそ混迷に陥っていた。勇者とか、異世界とか言われてもいまいちよく分からない。

「そして、都市伝説はこう続くのです。『勇者はその姫の描かれし剣で魔王を討つ』と」

 確かに羽子板の天子と、目の前のテンコ姫は瓜二つだ。なんとも都合のいい……。

「あの、その都市伝説の通りなら、この国は危ない状態なんですか?」

「は。この国は今にも滅びそうになっているのです」

 テンコ姫は憂いを帯びた表情で俯き、消え入りそうなか細い声で語る。

「株価の下落。失業率の増加。少子高齢化……」

「ずいぶん現実的な危機だな! ていうか、それ魔王を倒してどうにかなるものなのか!?」

「それはもう。ささ、勇者様。我々の城へ参りましょう。魔王討伐の支度をせねばなりません」

 駆人の手を取ったテンコ姫は今にも走りだしそうな姿勢。

「ちょ、ちょっと待ってください。まだやるとは……」

「報酬も用意しますよ」

「じゃあやります」

 即答だった。

「現金ですね。それでは行きましょう。都市伝説の勇者様」

「その呼び方どうにかなりません?」

 テンコの案内の下、城に向けて歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る