第21話 わちゃわちゃ

「……で、その後お兄さまに何か言われたりしたの?」


「いや。ただ、『妹をよろしく』、とだけ」


 談話室の柔らかなソファに沈みながら、ギルバートは大きく息をついた。



 決闘後、私たちはお兄さまたちと別れてこの談話室に戻ってきたのだった。


 行きがけには元気よく燃えていた暖炉の火は既にとろとろと微睡み、時間の経過を感じさせる。

 広い窓から差し込む日光も先ほどより暖かさを増して、広い談話室をぽかぽかと慈しむように照らしていた。



 侍女が持ってきてくれたホットミルクを傾けつつ、私は先ほどの戦闘を思い返してふと呟いた。


「アツいわね……」


 先の戦いはまさに"男同士が感情をぶつけ合いながら拳と拳で殴り合う"タイプのものだった。


 綺麗な顔面の男と精悍な顔面の男が#表情__かお__#を歪めてぶつかり合う様は、オタク的には非常に"アツい"、つまり心が滾る戦いだったのである。



「熱い?」


「えっ」



 ……私はそういう意味で「アツいわね」と言ったつもりだった。決してホットミルクが「熱い」と言ったわけではない。


 しかし、ギルバートがこれを耳ざとく聞きつけた。そしてあろうことか、



「冷まそうか」



と手を伸ばしてきたのだ。



 ギクリとして彼を見る。聞き間違いではなかろうか。



 冷ます……?


 それは、もしかして、



「……フーフーしてくれるってことですか……?」


「無論だ。他に何がある」



 フーフー!!!



 あまりの衝撃に、私は思わずソファから立ちあがりそうになった。



 突然のラッキースケベ(違う)フラグ。


 夢女(推しと付き合う夢を見る女)の道を通った者なら一度は夢想するシチュエーションが、突然私に降ってきた。



「どうした、息が上がっているが」


「いや……なんでもない……でもちょっとまって……」


 私は空いた片手を額に押しつけ、そのまま背もたれに倒れ込む。


 フーフー。推しのフーフー。


 動悸がやばい。全身の血管が破裂しそう。



 "推しが私のミルクをフーフーしてくれる"。


 受け入れがたい現実に、私の頭はショート寸前だ。



 想像してみてほしい。推しが私のミルクをフーフーしてくれるのである。



 前世で冬が来るたびに妄想していたシチュエーション。

 友人にはよく「来世に期待」と言われていたが、本当に来世で夢が叶うとは。N子、見てるか。私は夢を叶えるぞ。



 天を仰いだまま動かない私を心配して、ギルバートが声をかける。


「おい、大丈夫か。顔が赤いぞ、まさか熱があるのでは……」


 カチャカチャという金属音。聞き覚えのあるこの音はーー


 ーーガントレットを外す音。


 ガントレットを外すということはつまり素手を晒すことで、「熱」と「素手」といえばーー



「やめろーーッ! それ以上近付くな!! 飛び降りるぞ!!!」


「どこから……?」


 慌てて飛び起きギルバートを見ると、案の定彼はガントレットを外し終え、私の体温を測ろうとこちらに身を乗り出しかけているところだった。


 知らぬ間に近づいていた最推しの姿に、危うく心停止しそうになる。



「あっっっっぶなお前……危うく死ぬところだったじゃん……」


「俺が触れると貴様は死ぬのか」


「死ぬよ……いとも簡単に死ぬよ……」



 ギルバートの困惑したような顔。距離が近づいたことにより、美しい顔の造形が細部までつぶさに観察できる。


 長い睫毛、透き通った瞳、ハリのある肌、スッと通った高い鼻、潤んだ唇……。



 まさに『推し』。



 至近距離で浴びるには致死量だ。間違いなくこれは死ぬ。



 息をするように夢女が喜ぶことをする……。これだから乙女ゲーの男は……そういうとこだぞ……!



 ……昨夜彼の掌に顔をすり寄せたり手の甲にキスをもらっていた奴は誰だ、という声が聞こえてきそうだが、あれはノーカン。

 おセンチな雰囲気に流されてたまたま死ななかっただけで、ある程度正気の今やられたら確実に死ぬ。


 オタクとは推しに何かされるたび死にかける繊細な生き物なのだ。迂闊に触らないで欲しい。ありがとう。



 胸を抑えてのけぞる私に、ギルバートは奇妙なものを見るような目を向ける。



「貴様、先ほどからやはり変だぞ。

 父君に言って医者を呼んでもらったほうが良いのでは?」



 ギルバートの口から出た「医者」という単語に、ヒートアップしていた私の心が少し正気に戻った。



 ……落ち着け。一旦落ち着け。最推しからの不審者ゲージが溜まっている。



 私は深呼吸を2、3回繰り返してから、何事もなかったかのようににっこりと微笑んだ。


「いえ結構。もう熱は下がりましてよ。なんならお確かめになられます?」


「触ると死ぬんじゃなかったのか」


「ほほほ、何をおっしゃいますの、そんなワケないじゃないですか。さあどうぞ!」


 前髪をぺろんとめくると、不審そうな顔をしたギルバートがゆっくりと手を近づけてきた。



 うわ……近……っ!



 不審そうに顰められた眉根、上目遣い気味の瞳に私の姿が映り込む。


 ぴと、と私の若干汗ばんだ額に、ギルバートの乾いた大きな手がくっついた。


 先ほどまで外に出ていたからか、彼の手はまだひんやりと冷えている。

 興奮で火照った体に、それはとても心地いい。


「あ"~~つめたい、きもちいい」


 気持ち良さから思わずおっさんみたいな声が出た。いっけね。


 ギルバートは呆れたように短く息を吐き、それから僅かに表情を緩める。


「それは僥倖。しかし、やはり熱があるではないか。医者を……」


 医者を諦めないギルバートに、私は慌てて弁明をした。心配してくれるのは嬉しいが、何もないのに医者を呼ばれたら大変だ。


「大丈夫ですわよ本当に!! わたし人より体温が高いの。だからこれが平常運転よ、ねっ。心配してくれてありがとう」


 安心させるように笑いかける。


「そうか……?」


 納得いかない顔をしながらも、ギルバートは私から体を離してくれた。手が当たっていた場所が、じんわり熱をもっている。



(この辺しばらく洗わないようにしよ……)


「それならいいが、もし何かあればすぐに言え。俺にできることならしてやれる」



 再びガントレットをカチャカチャ付け直しながら、ギルバートは言った。



 ギルバートにできること。



「そ、それじゃあ……」


「む、なんだ?」



 熱なんかないけれど、ちょっと頼みごとをしようかな。



 私はしばらくもじもじした後、ホットミルクの入ったマグをギルバートに差し出した。



「これ、冷ましてもらってもいいかしら……」



 ……正直に言うと、その後のことはほとんど覚えていない。記憶に鮮烈に焼きついたのは、ギルバートの青い瞳に映り込む純白のホットミルクだけ。


 人間は極度の興奮状態に達するとその時の記憶が吹っ飛んでしまうらしい。残念といえば残念だが、しかし、別にそれでいい。



 何故なら、このホットミルクが、推しのフーフーによって冷まされた事実が揺らぐことはないから!



「もういいだろう」


「ありがとう!!!」



 手渡されたマグを受け取る。喜び勇んで震える手で口へ運ぼうとした瞬間、突然談話室のドアが叩かれた。

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