第10話 召喚の儀

 敷居を飛び越え、飾り立てられた絢爛な大広間へと躍り出る。


 一瞬の眩しさに目を細めるも、その足だけは止めなかった。



 目指すは大広間の向こう側。


 大勢の招待客たちが作り出す花道の先に待つ、家族のみんなと、召喚魔法の魔法陣。

 穏やかな顔の彼らの背後に、妖しげな青い光が煌めいて、こっちへおいでと手招きしているようだ。



 あらん限りの喜びが全身を巡るのを感じる。頰が火照って破裂しそう。


 会える、会える、もうすぐ会える。1秒だって待ちきれない。



 待っていて、私の愛しいギルバート!



 逸る気持ちにほんの少しだけ駆け足を早めれば、スカイブルーのドレスが夢のようにふわりと膨らみ、さらりと舞い上がった髪の毛からは柑橘の香りがパッと弾けた。



「ああ、プリンセスの登場だ」


「なんて可愛らしい。天真爛漫が形を持ったような娘だわ」



 貴族たちの微笑ましげな視線も会話もなんのその。そんなこと、これっぽっちも気にしてなんていられなかった。



「あんなに急いで、よほど今日この日が楽しみだったのでしょうね」


「私たちもあの時のことはよく覚えている。

 初めて今の相棒と出会った時の、胸の高鳴りといったらーー!」



 もうすぐ、もうすぐ。


 あと、1メートル。



「クロエ、おいで!」



 お父さまが、手を広げて待っていてくれている。



 私は思いっきり地面を蹴って、お父さまの腕の中に飛び込んだ。



「お父さま!」


「クロエ……まったく、せっかく身なりを整えてもらったのに走ったりして。

 そんなに『召喚の儀』を楽しみにしていたのかい?」



 ドレスを崩さないように気をつけながら、お父さまが私をぎゅっと抱きしめる。

 横からお母さまとお兄さまの手が伸びてきて、乱れた髪を直してくれた。



「クロエ嬢、おめでとう!」


「おめでとうございます、クロエ嬢!」


「記念すべきこの日に乾杯!」



 招かれた貴族の方々も口々に声をあげ、大広間はしばし祝福の声で沸き返る。



「ありがとう皆さま! 本当にありがとう!」


 みんなに手を振る私をそっと降ろし、お父さまは



「さて!」



と大きく声を張り上げた。会場の騒ぎが少し収まる。



「紳士淑女の皆様、本日は我が娘、クロエの誕生パーティーへお越しいただき、本当にありがとう。

 クロエはこの通り、大変元気よく健やかに育ってくれた」


 お父さまはちらりとこちらを見下ろして、ぱちっとウインクをしてみせる。



「今日この日、愛娘クロエは6歳を迎える。

 よって、『召喚の儀』を執り行いたいと思う」



 一斉に拍手が湧き上がると同時、激しい興奮が私をぶわりと包み込む。



 ーー来た!



「さあクロエ、こちらへ」



 お父さまの大きな手に誘われ、私は背後に光るそれと向き合った。



 全長1メートル程の、青白く光る魔法陣。


 複雑怪奇な細かい文様がびっしりと引かれており、よく目を凝らせばそれらは、どうやら僅かずつだが動いているようである。

 恐る恐る側へとにじり寄ると、魔法陣から清涼な風が吹きあげて、私の髪をさらっていった。



 お父さまは私の耳元へ口を寄せる。


「さあクロエ、ここからが肝心だ。

 ゆっくりと目を閉じて、大きく深呼吸。

 心が落ち着いたら、魔法陣に

『魔法陣、魔法陣、私の獣を喚び出しておくれ。寂しい私を慰める、温かな獣を喚び出しておくれ』

と呼びかけなさい。そうすればお前の喚び声に応じてくれる獣が姿を現してくれるはずだよ」



 それだけ言うと、お父さまは私のもとを離れ、離れたところで待つお母さまとお兄さまのところへ戻って行ってしまった。


 不安になって家族や客人らを見回すも、皆一様に微笑ましげな表情でこちらを見返してくるのみである。



 魔法陣、魔法陣、私の獣を喚び出しておくれ。


 寂しい私を慰める、温かな獣を呼び出しておくれ。



 覚悟を決めて、目を閉じる。

 大きく息を吸って、吐いて、また吸った。


 どく、どく、と脈打つ心臓の動きが、段々と穏やかになっていくのを感じる。

 前世でいつか経験した、坐禅を組んだ時のような心地になる。意識がふんわり、ぼんやりと掠れ、ただ目の前に敷かれた魔法陣へと集中して行く。



 乾いた唇を濡らし、私は口を開いた。



「魔法陣、魔法陣、私の獣を喚び出しておくれ……」



 瞬間、強い光が魔法陣から発せられた。


 その光は閉じた瞼を貫き、私の瞳をジリジリとつつく。

 大広間にいる人々が、一斉に息を飲んだのがわかった。



 青から黄金色へ変化したその光に怯みつつ、私は呼びかけの言葉を再び口にする。



「寂しい私を慰める、温かな獣をーー」



 魔法陣の輝きが強まる。


 黄金色だった光は、燃え盛る炎のような紅へと変貌していた。

 広間のどよめきがいよいよ強くなり、あちこちで押し殺した悲鳴のようなものも聴こえる。



 それでも、私は。



「喚び出しておくれーー!!!」



 鮮血のような紅が視界をグツグツと塗り潰し、弾け、そしてーー消えた。



 荒い息を吐きながら、私はゆっくりと目を開く。



 何事も無かったかのように静かに光る魔法陣の中心、そこに鎮座していたのはーー



ーープルプルと震える、1匹のスライムだった。

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