第6話 お父さまと、お母さまと、お兄さまと、「私」

 ーー香木というものは、得てして軽いものである。それを加工して作った扉などはお子さまでも楽々押し開けられる程度の重さしかない。


 そして、私は張り切りすぎた。



 バターン!!!



「きゃーーーッ!」



 支えを失った両手が空を掴む。

 体がふわっと宙に浮いて、飾り窓から差し込む光が瞬間的に目を射抜いた。



 転ぶーー!



「危ない!」


 後ろから伸びてきた手が私の腰を捉え、倒れこむ寸前で抱きとめる。



 バンジージャンプを飛んだ時のように、目の前で床が揺れている。

 私はしばらく呆然として、助けてくれた誰かの腕の中でぶらぶら揺れていた。



「大丈夫かい、クロエ。どこか痛いところは?」


 柔らかい、優しい声。

 その人は私をそっと抱き上げて、心配そうに顔を覗き込んでくる。



「リロイお兄さま!」


 歓声をあげ、私は彼ーー今世での兄、大好きなリロイお兄さまの首根っこへひっしとしがみついた。



 年若くして王国騎士団副団長を務め、騎士団長の信頼も厚いお兄さまは、とびっきりの美丈夫だ。


 蕩けるような甘いマスク、母親譲りの慈愛に満ちた眼差し。しかしその奥には父にも負けぬ勇敢な闘志が滾っている。

 深い藍の髪色と燃えるように赤い瞳は、私とお揃いのカラーリングだ。よく鍛えられた体躯はすらりとしなやかで、猛禽のように逞しい。



 6歳児に至近距離から飛びつかれたためかお兄さまは少々よろめきながらも、受け止める。

 それから、はしゃぐ私の耳元で、嗜めるように


「こら、危ないだろう?」


と囁く。



 吐息が耳にかかってくすぐったい。

 私は兄の首元から体を離し、


「はあい、お兄さま。ごめんなさい!」


にっこりと笑いかけた。



 ……楽しい、楽しいぞ、妹として過ごす6歳児。



 前世はバリバリの長女だったから、むしろ自分が妹の面倒を見てやる側だった。


 それはそれで結構楽しかったが、でもやっぱり、お兄ちゃんが欲しかったなぁ、と思うことも多々あって。それは決まって誰かに甘えてみたい時で、両親の帰りが遅い我が家にはそんな時、相手をしてくれる大人がいなかった。だから寂しい気持ちを抑えつつ、ほっとくとどんどんドジを重ねる妹の世話を焼いてやっていたのだがーー。


(まさか来世でその願いが叶うなんて……)


 しかも希望した何倍ものクオリティで。



 お兄さまは「困った子だ」と微笑むと、私をゆっくりと床へ降ろす。自分は軽くしゃがむと、私のドレスの裾を丁寧に整え、くるりと両親の座す食卓へ私を向かせた。


「ほら、父上も母上もお前を心配しているよ。挨拶に行って、早く安心させてやりなさい」


「わかりました! リロイお兄さま、ありがとう!」



 善は急げ。ぱたぱたと駆け出すと、背後から苦笑い混じりの「まったく……」という声が聞こえてきた。転びそうになったばっかりなのに、はやくも忘れて駆け出す私に呆れているのだろう。

 だって、早くお行きなさいって言ったのはお兄さまだし!



 ……6歳の精神に引っ張られているのか、家族の前に出ると、どうも言動が子どもっぽくなるようだ。



 私は駆け足を緩めることなく、そのまま両親の待つ食卓の前へと到着した。


「お父さま、お母さま、おはようございます!」


 元気一杯に挨拶をして見せれば、父の顔はほころび、母は穏やかに微笑む。

 2人の傍に控える召喚獣たちも、私の姿を認めると嬉しそうに鳴き声をあげ、耳をピクピクさせた。


「えへへ、ダレンと白兎たちもおはよう!」


『ギューーッ!』


 翼をはためかせるダレン。今日はとても機嫌がいいようだ。機嫌によって変わる体の色が、明るいオレンジになっている。

 側によって、体を優しく撫でてやる。ひんやりとした鱗の感触が気持ちいい。

 ダレンはブルリと身体を震わせると、そのままうっとりと目を閉じた。



「おはようクロエ。

 誕生日にはしゃぐ気持ちもよくわかるが、あんまり慌てて怪我でもしたら大変だぞ」


 お父さまはそう言って、私の頭に大きな手を乗せ、悪戯っぽくウインクする。重くて温かい手が心地よくて、思わずふにゃりと顔が緩んだ。



「クロエ、おはよう。早く席におつきなさい。今日はやることが沢山あるのですから、しっかりとご飯を食べなくてはね?」


 お母さまが向かい側の席で手招きしている。食堂の壁にはめ込まれた窓から差し込む光に照らされて、まるで聖女さまみたいだ。


 私はこくりと頷くと、急いでお母さまの隣の椅子へ腰を下ろした。リロイお兄さまも軽く挨拶をしたのち、お父さまの隣へ着席する。



 家族4人でとる、「私」にとって初めての朝食が始まった。

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