007. answer

 これは或る男の話。


 その男は中立子である。中立子は髪・目の発現色素が豊富という例に漏れず、甘い乳白色の髪に、目が醒めるような紺碧の瞳をしている。


 中立子は中立子でも、彼は上位中立子であった。それも、複数の特性――構築者プログラマにして侵食者ハッカー――を持つ特殊な部類である。


 男は幼少より剣術に熱心に打ち込みつつも、大学入校資格取得試験アビトゥーアで優秀な成績を修め、希望の大学へと見事入学。そこで彼は生物工学を専攻。より専門的な知識を身に付けて行く内、あることを閃いた。


 意図的に集中力や運動能力を向上することは出来ないだろうか、と。


 後者に関しては、無粋な運動選手宜しくドーピングを行えば可能である。しかし、(彼自身情けない話だとは思うが)副作用が恐ろしかった。しょせんは人の手によって作り出されたもの、それを用いることにより不具合が起きても仕方ないと言えば仕方ない。


 ならば、血液供給量や酸素摂取量、更には元々人体の内側で生成されるもの――神経伝達物質の分泌と生成に直接働きかけ、意図的に、尚かつリアルタイムで精密操作すればよい、と男は思い付く。


 能力を持て余す構築者プログラマが多い中、生命情報学バイオインフォマティクスを学んだ経験を活かし、計算機マシンでプログラミングを行うのと同じ感覚で構築式プログラムを書き上げた。とは雖も、作用するのは機械の上ではなく“自分自身”という生体であるため複雑なものや、あまりに負担の掛かるものは作れず、出来上がったのは当初の予定より低機能なもの。


 とはいえ、構築式プログラムを実行すれば、“一秒”という単位時間スケールがその何乗にも感ぜられ、周囲が自分より遅く動いているように見える。合わせて加速する思考と、これ以上無く高まった感覚は冴え渡る。その冷静さを以てして、駆動力が高まった筋肉を駆使・制御することあたうようになった。


 だが、この構築式プログラムを――もとい、“この力”をどう活かそうと言うのか。


 はたと我に返ったとき、男はそう思ったのだった。


 


   ***




 右手を伸ばし、繰り出された長剣の突き。その刀身を折る為に煉はグルカナイフを振り下ろしたが、再び筋力による乱暴かつ精密な軌道変更により躱される。


 こちらが反撃に出る猶予を一切与えぬ速度で長剣の突き、そして変則的に短剣による斬撃を繰り出しながらテオドールは言う。


「アスリートになれば、この構築式プログラムをもう少し有意義に“運用”できたのかもしれませんが、そんな気は更々ありませんでした。しかし、その選択肢を外してしまうと表の世界では最早有効な使い道がなかったのです。ならば、何のてらいも無く暴れられる裏に行こうと思いまして」


「マッドサイエンティストっつーのかバーサーカーっつーのか、酔狂なのな、君」


 煉は軽口を叩きつつ、喉を狙う鋒をしゃがみ込んで躱し、その侭クラウチング・スタートの如し踏み切りで前方のテオドールへと低姿勢で刃を振りかぶる。膝を切り落とそうとしたその攻撃も、やはりの後方跳躍により回避される。こちらが起き上がり体勢を立て直すよりも早く、テオドールは構え直した。


 先手を取らせまいと、再び拳銃を四挺直接受信ダイレクトダウンロード。背後及び左右を取るようにし、逃げ場を作らぬよう立体的に算出した位置からの発砲にも関わらず、剣客はこちらに踏み込みながらそれを短剣で弾き、時に長剣で撫で斬るように叩き落とす。防御動作をしつつも、煉に突き・斬撃を加えることは忘れない。煉が攻撃に出られる余地はなく、後退、時に回り込むようにしながら防御または回避行動をとるしかなかった。


 テオドールは攻撃と防御を器用に行いつつ、更に命令コマンドを叩き込む。


「276, 37, 」


 座標入力――直接受信ダイレクトダウンロードである。煉だからこそ命令コマンドなしに随意実行できるが、通常は高さの座標三つを指定する必要がある。


 ――奴から見て前方、そしてやや右。高さは何処だ、何処に何を降ろす?


 屈み、時に跳躍し、上体を捻り、逸らし、軸移動、と守りを徹底しながら思考する煉。


「300――. 《Direkter Downloadダイレクトダウンロード》. D1 bisから D3.」


 入力終了と同時に迫り来た逆袈裟斬りを回避した瞬間、自分の頭、その真上で乳白色の雷光が爆ぜた。


 ――まずい!


 嵌められた。


 ここまでの剣捌き。全ては、この場所へ煉を誘導する為のものであった。


 反射的に横へ跳ね退いた刹那、自分が先刻居た空間を刺す重々しい貫通音。乳白色の光輝を仄かに漂わせ、重厚な槍が三本、交差して床に突き刺さっていた。


剣士フェッターなのか串刺公カズィクル・ベイなのかはっきりしろよ、」


 オイ、と歯に圧を掛けながら放った斬撃も、


「剣主体ではありますが、『突き』に特化したという意味では後者だとうそぶいてもいいかもしれませんね」


 などと、ひらりとかわされる。そして再び、碧眼の“串刺公”は命令コマンド入力を始めた。


「250, 42, 300. 《Direkter Downloadダイレクトダウンロード》.」


 先程とよく似た座標に、同様の命令コマンド。最早次の手は読めているも同然。


 だが、その読みは浅く、甘かったと知る。


「D4 bisから D10.」


 降り注ぐは、文字通りの“槍の雨”。


 後方に跳躍せんとしたが、それを妨げるように後方及び横に隙間無く直接受信ダイレクトダウンロードされた七槍により、前方へと回避方向を変えざるを得なくなる。


 背後の槍に気を取られがちになっていた、茜色の双眼。その視線と意識を前方に向けた、刹那。


 銀色の閃きが、目前にあった。


 剣先は突きに似た軌道を描き、更に付加されたるはぎの動き。テオドール渾身の一撃は、煉が反射的に構えたグルカナイフの禍々しい刀身を掠め、音をぢりッと鳴らし、を宙へと躍り出させる。一秒にも満たない極短時間の最中、テオドールは残酷なまでに柔らかく口の端を吊り上げた。


 剣客テオドールが切断した


 空中を舞い、緩やかな放物線の動きで落下へと入り始めたは、確かに、煉の右手首であった。

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