006. antagonism

 斬撃音と銃声。その残響がこだまする最中さなか


「嫌に無防備だとは思いましたが、不可視の盾があるとは」


 テオドールの刃は煉を貫くことあたわず、


「流石俺だろ? けど、おいおい冗談じゃねーっつの。んな低く踏み込めるかよ普通」


 煉の銃はテオドールを仕留めること能わず。


 初手、互いのそうは相手に届かなかった。


「しかし、一体いつの間に実行したんです? 何の命令コマンドも唱えていませんでしたが」


 テオドールは一旦バックステップで距離を取りつつ、煉に尋ねる。


 相手の攻撃手段の絡繰りを問うということは、即ち、己の力量不足を自ら申告することにほかならない。それでも、胸中きょうちゅう渦巻き脳駆け巡る疑問の所為せいで、テオドールは問わずにはいられなかった。


 命令コマンドを発語入力せねば、中立子ちゅうりつしは一切の構築式プログラムを実行できないはず。一度の命令コマンド入力で継続的に作動する自動実行構築式オートラン・プログラムを使用しているという可能性もあるが、それを書き上げるのは至難の業。仮に書くことができたとして、そのデータ量・実行時の負荷は恐ろしく莫大なものとなろう。故に、作り上げたとて実際に動かせないのがオチだ。


 加えて、開錠ログイン時に必ず表示されるはずのモニタも、テオドールのそれ以外は何処にも見当たらない。されど、テオドールが繰り出した斬撃を阻んだ、超硬質の“不可視の盾”――ほんの一瞬だけ姿を現した、赤く縁取られた黒いハニカムが纏っていた光輝は、間違いなく情報バイナリこう開錠ログインしているのであれば、モニタがないことなど有り得ない。


 しかし。しかし、である。


 そもそも――。


 そもそも、この赤目の東洋人はいつの間に開錠詠唱を行ったというのか?


 原初たる疑問にして、最大の違和感。


 名状しがたい得体の知れなさに、怖気が身を駆け上がる。胃は鉛を流し込んだが如く重くなり、視界は揺らめき明滅する。


 テオドールの白磁を冷や汗が一筋流れたことに気付いているのかいないのか、対敵する黒髪の男は溜息を吐いた。それから、


「ンな敵に手の内晒す馬鹿がいると思うのか君は? ただ、俺は慈悲深く心がひっろーいから答えてやんよ。しかと聞きたまえ」


 と。魔の如く悪逆に、鋭い犬歯ひらめかせ笑う。


「君の剣を防いだ構築式プログラム。こいつァ、敵性個体による攻撃を感知次第、自動的に防御壁を展開――そう設計した防御構築式プログラムだってだけだ。そして、俺は発語入力なしで命令コマンドをブチ込める。それと、君が知ってるかどうかは知らねーがよ、モニタの絶対表示、開錠詠唱ログイン必須などなどその他諸々エトセトラ……中立子の“おきまり”を操作できるのは、歪曲空間上に定義された最上特権スーパバイザだけだ。俺はその辺りに若干諸々を不可視化してある。ただそれだけのことよ」


 先刻の愉快そうな雰囲気はどこへやら。今まで何度もその台詞を喋ってきたかのように、煉は気怠げに告げた。


 その言葉に、テオドールは唖然とする。無茶苦茶だ、と言いかけたのをどうにか堪えたが、西洋美を体現したかんばせにその驚嘆が隠しきれず滲み出てしまっていた。


 運用などできず使用できず、最早“架空”とも呼ぶべき自動実行構築式オートラン・プログラム


 己の眼前に居る黒髪の侵入者は、それを実際に


 加えて、なんと言ったか――「発語入力なしで命令コマンドをブチ込める」と言ったではないか。言い換えれば「無声で構築式プログラムを実行できる」、更に言えば「意のままに構築式プログラムを操れる」ということになる。


 なおつ、中立子をりっしているにアクセスしクラッキングを仕掛け、構築式プログラムとモニタを不可視化してみせるという神業の如し芸当をやってのけている。


 そんなものは、全ての中立子をしばおきてを無視した規格外の存在、埒外の存在でしかない。


 有り得ない、と呟きかけたテオドールの言葉の先を読み取ったかのように、煉が言う。


「漫画の台詞だったか何だったかは忘れたけどよ、『有り得ないなんてことは有り得ない』のさ」


 人を喰った微笑に、テオドールは背筋が薄ら寒くなったのを感じた。自身も微笑みを返しつつ「成る程」と独り言のような相槌を打ったが、その背後に隠したまどいを読み取られやしなかったか、悪魔の目をした侵入者に全てを見透かされてはいないか、急に不安が襲い来る。


 尚も天魔のように笑うこの侵入者、恐らく侵食者ハッカーでありながら構築者プログラマであるという、特殊な個体――俗に言うハイブリッド個体なのではないかとテオドールは推測する。


 複雑極まる構築式プログラムを作成し実行する技術、発語入力不要、常人に触れ得ぬ体系深部への接触と改竄実行という冗談の如し存在。中立子としては明らかに、格上。床の染みへと楽に変えられる相手ではない。


 そう思うと同時、やることは決まっていた。


「4.《Ausführenラ ン》.」


 構築式プログラム4の起動及び実行。テオドール自身もまた、侵食者ハッカーかつ構築者プログラマであった。


 そして、今実行したこの構築式プログラムこそが、テオドール――中立子ヘゲモニーを、当支部最強たらしめる所以である。




   ***




 入力の直後、テオドールの右前方にまばゆい粒子が収束し、新たなモニタが起動した。


 優形の外見に似合わず、どうやら相手は根っからの構築屋気質らしい。物質名と構築式プログラム名は、入力時間が短く済むようアルファベット、または数字を用いるのが定石。それを律儀に採用しているのが構築屋気質である証拠。


 煉は、少し考えるようにしながら眼鏡の位置を正した。


 アルファベットや数字で命名を行うメリットは、入力時間短縮だけではない。“相手に名から手の内を推測させない”。実戦にいて、そのメリットは非常に大きなものとなる。


 初動で対処し損ねたり、テオドールに畳み掛けられたりすれば、一気に不利となるだろう。だが、床を蹴り駆け出した相対者見据え、尚も煉は不敵に口の端を歪めた。


 この最強の盾は決して崩せぬ、と。


 瞬間、耳をつんざかんばかりの金属音。


 先程と同じく、煉が誇る防御壁ウォールは、斬撃を完全に殺した。衝突のエネルギーが反発力へを変わるその前に――テオドールが回避行動を取ることが可能となるその前に、煉はテオドールの右胸に発砲。


 剣と腕をはじめ、テオドールの体は慣性の侭防御壁ウォールの方に引き付けられ身動きが取れない。


 着弾。


 と、思われたその時。


 再び、甲高い金属音が鳴り響く。


「……ああ?」


 と煉がいぶかる声を漏らしたのも無理はない。零距離と言っても差し支えない超近距離から打ち出したそれを、テオドールは左手の短剣にて見事弾いたのである。その芸当、勘や偶然では最早説明が付かない。


 こちらの驚嘆を知ってか知らずか、剣客は再び間隔を取りつつ、


「仕留められませんねえ……」


 などと、飄々ひょうひょうざかしそうに呟いた。


 そして、


「出力、二パーセント上昇」


 4なる構築式プログラムへと追加の命令コマンドを吐き出すと同時、再びこちらへと迫撃。


 寸毫置かず、刀剣と防御壁ウォールの激突によって、澄んだ硬音が奏でられる。


 防御壁ウォールは決して破れない、それ故に煉が斬られることはない。だが、異様な程の速度ヴェロシティ精度アキュラシィ、そして、剣さばきと気迫に圧倒され僅かに抱く焦燥しょうそう


 引き金を絞り打ち出せども打ち出せども悉く弾かれる。加えて、太刀筋が見えず、白光の閃きだけがそこに刃があったことを物語るのみ。


「冗談じゃねェぞオイ」


 カートリッジを送受信アップ・ダウンロードによって直接交換しつつ、狐につままれたような声で吐き捨てた。


 その時。


 ふ――、とテオドールの長剣を握る右手が大きく後方に引かれる。溜めにより剣先が見え、生じる隙。間髪置かず発砲したが、果たせるかな、左の短剣により叩き落とされる。


 遅れること一拍、引きによる膨大な溜めを解き放つテオドール。それを押しの力へと変換。バネの如し反発力を乗せて突き出されたきっさきは、空気を裂いて煉の顔面へと迫る。だが何も焦る必要はない。これまでと同じく防御壁ウォールが全て弾き返してくれる。後はタイムラグを付けるように拳銃を直接背後に――。


「……ん?」


 防御壁ウォールが反応した気配がない。それを肯定するかのように、しろがねは勢いを増し、軌道を微塵も乱さず面を突かんと迫る。


「ちょ!?」


 突きの攻撃線を外し、寸でのところでかわした。だが、からすいろの髪が数本はらりと舞い落ち、刀身につるすくわれた眼鏡がそのまま引っかかって攫われる。


 それを気に留める暇も余裕もなく、煉は後ろ足へと重心を移動させ、身をひるがえし一気に距離を取ろうと試みた。


 しかし、思惑を読み取ったかのようにテオドールは一歩踏み込み距離を詰め、煉の脇腹を掻ききる為に短剣を繰り出す。


 その気配を感知するや否や、上体を僅かに捻って回避姿勢を取りつつ、左手五指間にスローイングナイフ受信ダウンロード。ぢッ、とスーツの横っ腹を刃先がかすめたのを聞くか聞かぬか、更に踏み込もうとした剣客の足下にナイフ投擲とうてき。四つの刃が床に爪先を縫い付ける直前、テオドールは前方踏み込みの為に載せた体重を後方のそれへと変え、結わえた髪を靡かせ退いた。その間に煉は後ろ向きに跳躍。


 再び間合いが取られ、しばし両者は差し向かう。


 間髪置かず、場違いも甚だしく煉の右前方――不可視化ステルス済みのあるモニタから、閉店時間お馴染みのあの曲が流れ出した。そして、それをBGMに何やら告げ始める機械音声。


『本日は当防御構築式プログラムをご利用頂き、誠に有り難う御座いました。一定時間内の規定防御回数に達しましたので、大変申し訳ありませんが百秒間の休止スリープ状態に――』


 舌打ち混じりに音声中断。休止スリープに追い込むまで酷使はしないだろう――と、茶目っ気たっぷりな設計、もといふざけ腐った設計をした過去の自分を蜂の巣にしてやりたくなった。唯一評価できる点があるとすれば、この音声を自分以外には聞こえないよう指向性を持たせておいたことか。


 おもてに滲んだ苛立ちを別の物として取ったのか、テオドールは柔らかくも皮肉な微笑を浮かべてみせる。


「盾はどうなされました?」


「ちょっと家出だってよ」


 適当な説明に対し、「そうですか」と剣客は返答。そして、刀身に付いた露(或いは血)を振り払うような仕草をした。刀身に引っかかっていた眼鏡が、床に叩きつけられるように落ちる。続いて、ぱき、という音が響いた。


「うああああ!? 俺の眼鏡ーッ!」


 眼鏡蒐集癖しゅうしゅうへきのある煉が思わず叫んだのも無理はない。ブリッジが割れ、眼鏡が左右ほぼ真っ二つに分離したのだ。してやったり、と言わんばかりに口角を上げた優男を呪いそうになったが、あの時に零コンマ数秒反応が遅れ、脳天を貫かれていたよりは大いにマシである。


 眼鏡は犠牲になったのだ、己の身代わりとして。


 と、自分をなだめるように言い聞かせつつ、直ぐさま胸ポケットに手をやり、予備の眼鏡を装着。表こそ先程御釈迦おしゃかになったラウンドの黒縁と変わらないが、僅かに顎を引きブリッジを押し上げた瞬間、裏のビビッドな蛍光緑がちらりと覗く。


 眼鏡に指をやった侭、目を細め、煉は覚悟を決めるかの如く息を吐く。


 ――壁なしでヤんの苦手なんだがなー。最悪、に変えっかよ?


 やれやれ、といった風に薄笑いながら煉は思う。防御壁ウォールを百秒間起動できない以上、送受信等を駆使しつつ生身で戦うより外はない。保険として、数年前に知人から構築式プログラムを水面下で走らせておいた方が得策だろう。実行するにあたり、煉をして強めの負荷が掛かる構築式プログラムであり、完全に使いこなせるわけでもない。しかし、に比べれば負荷も不安定さも些事。


 秘密裏にそれを実行ラン開始させつつブリッジから指を離し、面を上げゆるりと開眼。昏い赤の双眸に眼光がさす。緩慢な動作とは裏腹に、その目がたたえる光は、あだの構えたはくじん二つによく似た閃きを孕んだそれだった。


 時を同じくして、テオドールが伏せ気味にしていた長い睫毛をもたげる。


 瞬間、赤と青の視線が交錯。それが合図であったかのように、停戦解除。


 先程まではその場から動かなかった煉だが、今度は彼も動いた。双方接近し、その距離はやがて零へと近似される。踏み込みと同時、テオドールのたわめられた腕が伸ばされ剣先が喉を突かんと接近。上体を捻ってかわす。その侭横に飛び退くように移動したが、白刃は別の閃きを描きながら尚もこちらを追ってくる。回避・防御は間に合いそうにない。


 ――だったら。


 突如、テオドールの背後でスパークのような音が鳴った。聴覚細胞の興奮を切っ掛けに、テオドールの注意は自然と其方に向けられる。紺碧の眼が其方に向ききる前に、異なる位置に直接受信ダイレクトダウンロードされた二挺が吠える。限りなく同時に近い、然れど絶妙な時間差で襲い来るそれを、テオドールは、避けられないものは左の短剣で以て


 そのかん、煉は距離を取りつつ次の手を考えるのと平行して、先程からのテオドールの違和感について思考する。


 追撃を見切る為、視線は常にテオドールの方に向けていたのだが、こちらが回避動作に入りかけた瞬間、碧眼は既に回避予定方向に向けられ、脚・腕の筋肉を有り得ない速度で以て駆動し、手首の角度を変え袈裟斬りの体勢に入っていた。


 通常、相手に回避行動を取られたとき、生物学的な意味での反射故どうしてもラグが生じ、ミリ秒以上反応が遅れてしまう。しかしこの剣客はそれがない、同時に反応しているのだ。加えて、銃が打ち出したものを、


 異様な程の集中力と、優形の体躯たいくに似合わぬ筋力。そして、それらが生み出す超絶的な反射と、剣さばきを完全に追うこと能わぬ程の速度。くだんの効果でどうにか防御壁ウォールなしで渡り合い、かわすことができる。だが、もしそれがなければ今頃串刺しになっていたに違いない。


 ぞっとしねえなオイ、などと内心呟きながら。再び彼我の距離を詰めんと駆け出したテオドールの所作を認めつつ、咄嗟に拳銃を投げ捨てグルカナイフを受信ダウンロード

 それを長剣の表面に滑らせ、軌道を変え防御。続いて迫り来た短剣、それを叩き落とす為に手首に下からの蹴りを叩き込む――が、矢張りそれは無茶な筋肉の駆動により避けられる。

 蹴りの勢いその侭に、側宙の如き動きで横移動。零コンマ数秒の時間差で、先程まで心臓があった場所をきっさきが貫いた。


 白い首筋目掛けてよこぎにグルカナイフを振るいつつ、或る結論に思い至った煉は言う。


「その構築式プログラム、ドーピングか」


 重々しく空気を切り裂く刃。テオドールはそれを腰から上を軽く逸らして軽やかにかわし、腹筋を使いバネの如く起き上がる。


「ご明察です」


 そう告げた唇の吊り上がりは、狐の如く不気味であった。

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