002. anticipation

 暫しの静寂を破って、


『……パンタレイのアクセスが拒否されました。これ以上の操作を実行すると、深刻なエラーが発生するおそれがあります』


 滑らかではあるものの何処か機械じみた女の声――天啓メッセージの声が無慈悲にも告げる、本日三回目のエラーと警告。


 そこに混じって背後から聞こえた舌打ちに、予言者プレディクタパンタレイの肩が小さく跳ねた。声の震えを隠せぬ侭、施錠ログアウトを済ませる。


 今日はもうパンタレイが事象予測を実行できないということが解ると、先程まで予測を強要していた“大人達”の内の一人が、パンタレイを乱暴に突き飛ばした。

 軽く頼りない体は簡単に吹き飛び、背後の棚に激突。一拍遅れて、雨の如く落下してきた書類やら何やらが、パンタレイの体を容赦なく打つ。


「クソが、使えねぇな」


 手をはたきながらありきたりな言葉を吐いた屈強な男。

 男は更に蹴りを加えようとしたが、それを長身の優男が制す。


「おいおい、我が国の主要予言者様になんてことをするんだ? この方は貴重な予言者プレディクタの中でも極めて貴重な、序列一桁の個体だ。傷でも付いたらどうする? 丁重に扱え」


「ちッ……わかったよ」


 苦々しげに首肯する男に対し、美しい青年は柔らかに笑んで頷いた。

 それから青年は、身を強張らせたまま床に転がるパンタレイの方へと歩み寄って体を屈め、


「パンタレイ様、大丈夫ですか?」


 労りの言葉を口にしつつ、そっと抱き起こす。


 丁寧な言葉遣いに、人攫いらしからぬ紳士的気遣い。しかし、それら全てが形式的なものとしか思えない何か――強いて言うなら、雰囲気のようなものがあった。

 人の良い風で何処となく胡散臭い、まるで狐のようなこの優男やさおとこ。親切そうな彼の紺碧の双眸、その最奥、邪慳じゃけんの色が閃いたのをパンタレイは見た気がした。


「お怪我は?」


「……」


「お答えにはなれないのも無理はありませんね。怖かったでしょうに、パンタレイ様。しばし、お一人でゆっくりなさると宜しいかと」


 小首を傾げて微笑する優男の横を通り抜け、他の〝大人達〟が部屋の外へと出て行く。

 やがて優男も彼らに続き、先程と変わらぬ柔和な笑みの侭、「ごゆっくり」と扉を閉めた。


 自分以外の人間がいなくなった部屋に、錠の落ちる音が重々しく残響する。


 打撲の痛みに目をすがめつつ、パンタレイは扉へと緩慢に近寄る。そっと手を当てて、耳をきつく押し当てた。

 足音は遠ざかり、しばらくすると何も聞こえなくなった。外に人の気配は感じない。

 パンタレイは、後退できるだけ後退した。素早く息を吸い込んで、覚悟と一緒に己の中に留める。それから足を踏み出し、駆けた。

 一目散に向かう先は、この部屋の扉。助走の勢いを乗せて、肩から体当たりを仕掛ける。

 だが、子供の体では大した威力は生まれず、頑丈なそれはびくともしなかった。どうにも破れそうにない。


「ッ――!」


 先刻肩をしたたかに打ち付けた痛みと、背中やそこかしこに残る痛み。未完成で小さな体を襲う苦痛は非常に大きく、顔が苦悶に歪む。咄嗟に扉に手を突いて体を支えたが、ぶわりと嫌な汗が滲んだ。


 もしも、自分の体格がもう少し良かったなら。

 もしも、自分が大人だったなら。

 もしも、自分がだったなら。

 叶う筈もない仮定ifが頭の中を縦横無尽に駆け巡る。


 そんな悲嘆に思考を支配され、冷静になるのに暫くの時間を要した。そして、パンタレイはる違和感を思い出す。

 最後に予測を実行したとき、エラーが弾き出されるまでの所要時間が延びたのだ。

 延びたと言っても三秒程。だが、普段ならば天啓メッセージによるエラー通知は即時。尚かつ、同構築式プログラムの実行にも関わらず所要時間が増加している。

 このことが意味するのは、先程開錠ログインしていた歪曲地点の通信速度低下。


 時折、歪曲地点の通信速度が低下し、重くなることは起こる。その際には、開錠ログイン中の中立子のモニタに通信速度が低下している旨が大々的に表示される。

 だが、しかし。あの時パンタレイが開いていたモニタはたった二つ。

 予測実行構築式プログラムのモニタと、基本情報ステータスモニタのみだ。


 更に――歪曲地点の通信速度は、通常であれば徐々にゆっくりと低下する。だが、今回は急に低下し過ぎている。

 開錠ログイン中は恐怖と不安が胸中にせめぎ合い、全く気が回らなかったものの、今思えば不可思議なことこの上ない。まるで、外部からの干渉により強制的に通信速度が下げられたかのような――。


 それを思い出したのは現実逃避したさからだったのかもしれないが、パンタレイにとっては偶然であれ逃避であれ何だって良かった。もし、そこから突破口を見出すことが出来たなら、これ以上のことはない。


 と、自分に言い聞かせたそのとき。


 「――!?」


 歪曲地点独特の気配が、完全に消えた。

 今起こったことが自分にとって幸いとなれと、そう願わずにはいられなかった。



   ***



 地下一階、とある部屋の前にて。

 主要な廊下でなく、サブの内の一つを進んだ突き当たりにその部屋はある。

 ろくに人が立ち寄らないのか薄暗く、空気は煤け澱んでいた。長い間交換を忘れられたライトの放つ弱い光と、舞う塵芥とが起こすチンダル現象を見つめているのは、埃を被った監視カメラ。


 だが、そのは次の瞬間、別の物を映し出すこととなる。

 突如、ライトの真下で青白い雷光が爆ぜた。続いて、青く発光する円環アニュラスが生まれ、上下に分離。中立子の行使する基本構築式プログラムがひとつ、《転移テレポート》に伴う現象だ。


 一拍遅れて円環アニュラスの間に滑らかに滑り出たのは、上等なスーツを纏った黒髪茜眼の男――煉だった。円環アニュラスの消失と同時、獣の如く軽やかに舞い降りる。


 煉は、息を吸い込んで気を切り替えようとした。が、


「けふっ。ごほッ! ちょっ、ごふッ」


 埃っぽさに喉がやられ、せ込む。

 涙目になりながら「換気くらいしっかりしとけよ」と呟いた言葉には、建築的にどうのこうのを攻める意識はなく、純然なる私怨しかもっていない。


 気を立て直し、命令コマンド入力を行う。通常は発語でしか入力出来ないが、例外たる彼の場合、開錠ログインと同様に無声で命令コマンド入力を行うことができた。


 ――マップを視覚情報とリンク。


 瞬きをして次に目を空けたとき、彼が視認する景色が一変した。

 まるで透視のように、壁の向こう側にある筈の廊下を見通し、そこに存在する物・人間を認識できるようになったのである。先刻にジャックしたカメラが映すリアルタイム映像と、図面とを自らの視野に組み込ませた結果だ。


 ――通信妨害構築式プログラムの出力を最大へ。歪曲地点通信、遮断実行。


 そして次に、歪曲地点への妨害を最大に引き上げた。

 それが実行された直後、ぼんやりとあった歪曲地点固有の雰囲気が完全に掻き消え、続いて天啓メッセージの『只今、歪曲地点783264196に通信障害が生じています』という声が響いた。

 転移前に封鎖しておいてもよかったのだが、早くやっておいても面白くないという至極愉快犯的な理由で、ようやく完全封鎖完了。


 中立子は天啓メッセージの声を聞くことが出来るが、普通のヒトに天啓メッセージの声は聞こえない。故に、建物内の普通のヒトノーマルは平然としているだろう。

 だが、中立子達は天啓メッセージが告げた歪曲地点の通信障害に対し、「珍しいこともあるものだ」といったニュアンスの感想や疑問を脳内で一斉に呈している頃合い。

 これに乗じて、これから何かが起こるなどと知らずに。


 何かを引き起こす担当である煉だが、今日起こる何かがこれだけだとは思っていなかった。

 パンタレイ及び機密情報奪還次第、依頼主の行使する権力が何らかのお題目を掲げ、このビル、ひいてはこの犯罪シンジケートを制圧しにかかる可能性は充分ある。

 煉に先陣を切らせて末端を弱らせ、末端からの情報で本体を混乱させ、これ幸いと言わんばかりに組織を丸ごと叩く――などということをやりかねない。鉄は早い内に打ちたがる、あの依頼者ならば。


「早いばっかの男は宜しくないぜ? 遅すぎんのも駄目だけどな」


 軽い蔑みを孕んだ溜息と共に吐き出しながら、煉は堂々と歩み始めた。


「重要なのは技術テクニックだろうがよ」


 慎重さや隠密行動といった類の意思は全く感じない。


 一歩進む度により深くなる、大胆不敵な笑み。黒い光の粒子を引き連れて構築式プログラムを起動させては不可視化ステルス状態にし、彼以外に認識できぬようにしていく。


 右折し、T字路へと差し掛かった。

 その時彼の視界は、左右それぞれからやってくる人影を透視していた。


 右手で銃の形を作り、その侭腕をゆっくりと肩の高さまで持ち上げる。持ち上げ終わるその前に、分岐点の右側・左側それぞれで黒い雷光が閃き――。


「ばぁん」


 たちの悪い肉食獣の如き笑みで言い放たれた擬音語に、本物の銃声が二つ被さった。

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