001. appearance

「いらっしゃいませ」


 と、金髪金眼の受付嬢は薄く微笑み、自動ドアをくぐってやってきた男に常套句を投げる。彼女の事務的な声に彼が微笑み返した刹那、受付嬢の笑みに惚けの色が混じった。


 美意識高き欧州某国製のスーツに包まれている見事な長身に、端正でありながらも何処かオリエンタルな色香漂う顔立ち。端々に知性を感じさせる所作に、その涼やかさをより一層引き立てる黒いセルフレーム眼鏡、加えて、


「こんにちは。モント・リヒト社のジョウジ・ミドウと申します。国内流通一課のバルシュミーデ氏を……」


 薄い唇から零れた心地よい低音に、受付嬢は完全に酔わされてしまった。


「あの、どうかなさいましたか?」


 茜色の瞳に気遣いと労りを滲ませて、来訪者たる男は彼女に呼びかける。

 受付嬢は、はたと我に返り、小さく頭を下げた。


「も、申し訳ありません。あの、お約束はお済みですか?」


 照れが混じった受付嬢の態度を優しく見守るかのような「はい」という返答を受け、彼女の頬に益々滲む桃色。緊張混じりに「では、お呼びしますので少々お待ち下さい」と発せられた声に、「いや、その前に」と“待った”が掛かる。


「女性にこんなことを言うのも大変失礼なのですが――お手洗いをお借りしても? もう我慢できなくて」


 おどけたように微笑みながら眼鏡を正す彼に、受付嬢は「まあ」と、再度赤面した。


 


 数分後。


「やあ、お待たせしてしまってすみません」


 いえいえ、と受付嬢は笑みを返し、二の句を継いだ。


「バルシュミーデなのですが、現在不在でして。申し訳ありません」


「そうですか……残念です」


 正直な話、残念も糞もない。何故なら訪問前に出向システムにハックし、現時刻不在であることを見越してバルシュミーデという人物の名を出したのだから。受付嬢とお近づきになるには十分な時間稼ぎ、そして十全な下拵えである。

 ……といったふうに、彼が心の中では舌を出していたことに気付くことができていたなら、受付嬢の運命も変わったかもしれない。


 だが、何も感じ取ることができなかった彼女は、「伝言等あれば」と喋り始めようとする。


 続きの言葉を紡がんとした彼女の唇に人差し指を押し当てて、彼は「しかし残念ではないこともありました」と意味深かつ艶を含ませた声を彼女に浴びせた。

 そして、フロント越しに受付嬢の細い肩を引き寄せ、期待に鳴る早鐘に耐えきれぬ様子で頬を紅潮させた彼女の金色こんじきの双眸を、茜色の双眸で捕らえる。


ああ。難攻不落とばかり思っていた城に、どうやら僕は辿り着いたようです」


 甘い言葉と自らを射貫く赤い瞳にてられて恍惚の溜息を漏らす彼女に、彼は「しかし」と囁く。


「何せ番犬が人懐っこすぎたものですから。普通なら、城の門には、優秀な番犬を置くべきでしょう。確実に敵を見抜く嗅覚を持ち、賢明で、色恋の類に流されぬ番犬を、ね?」


「――っ!」


 受付嬢もとい、番犬が夢幻から醒めやるも既に遅く、彼女の意識はそこで途切れる。


 鈍い音を立ててフロントの向こう側に倒れた受付嬢を見下ろして。彼女の首に手刀叩き込んだ残心の侭、彼は言う。


「それに、寄せて上げるブラで無理矢理ってる女性はタイプじゃねーのですよ」


 何処となくシニックに笑いつつ、彼――三春みはるれんは、黒縁眼鏡のブリッジを押し上げた。



   ***



 遡ること約七分。


 くぁ、と欠伸をし終わらない声で「行きますかー」と呟きつつ、彼は背伸びをした。


 以前はよく着ていたが最近ご無沙汰な所為せいもあってか、どうもスーツというのは肩が凝る。首を軽く右に曲げ、小気味よい音を立てて鳴ったそこを押さえながら、眼前の建物を仰視。

 やや中型に分類されるであろうそのビルの玄関上には、真鍮色の刻印。異国の言葉で記されているが、訳せば、


「貿易会社、ねェ?」


 言って、人を食ったように笑う。


 貿易会社と言うのは世を欺く仮の姿で、真の姿は例の“悪の組織”。とはいえども、末端には違いないが――物を運ぶ仕事をしていれば運べないものも運べる、という露骨な程の常套手段に、喉が鳴るのを殺せなかった。

 微笑に歪んだ面を正し、緩慢、然れど伶俐さを滲ませた一歩を踏み出し、手招くように開いた自動ドアを潜る。ジョウジ・ミドウという仮面を己の一部のように纏いつつ、シンプルかつ高級感漂う受付ロビーを行く。

 そして、その先にあるフロントへと真っ直ぐ歩を進めた。



 それから二分後、受付ロビー内の男性トイレにて。


「さーて。ちゃっちゃと把握しとくか」


 受付嬢がバルシュミーデなる人物の呼び出しをし、三春煉演じるジョウジ・ミドウのことを考えてぼうっと惚けている内に。

 先程の紳士とはまるで別人のように呟きながら(というか、こちらが素なのだが)、個室に入って鍵を掛ける。その侭便座の蓋を閉めてそこに腰掛け、発語入力なしの――意識下の開錠詠唱ログインで以て構築式プログラムを起動。


 すると、黒光こっこうの粒子が炭酸水の泡の如く浮かび、複数の黒いモニタが顕現した。


 やっておくべきことは三つ。

 一つ目。現在建物内にいる中立子の開錠ログインを妨げ無効化し、外部から新たな中立子が戦力として投入されるのを避ける為の「建物内の歪曲地点封鎖」。

 二つ目。万一の機密情報漏洩を阻止する為の「ネットワーク封鎖」。

 そして三つ目は、「監視カメラのジャック」。


 彼は鼻歌でも歌うような容易さで、それぞれ異なる攻撃を同時に進めてゆく。何の造作もない作業に思えるが、宵闇色のモニタの中を超速で踊る深紅の英数字――膨大な演算と浮かぶ命令コマンドが、この作業の異常性を物語っていた。


 歪曲地点をパンクさせる作業一つを取ってみても、非常に高負荷。通常であれば、ものの数秒で強制施錠ログアウトされてしまうほどの情報量。それを易々と、驚愕の処理速度で以て片付けてゆく。


 この歪曲地点封鎖が成功したとて疲弊必須であるというのに、加えて更に難易度の高い――否、「構築式プログラムでは不可能」とすら言われる電子機器干渉を二つも行うという並列処理マルチタスクをこなしている彼の顔は涼しげだ。寧ろ、まだまだ余裕が感じられる。


 それもその筈。

 彼は莫大な容量、超高速の処理速度、特別製の頭脳CPUを保有した規格外ハイエンド

 しかし、高級指向であれども最高性能ではないし、何より性格OSに少々問題があるが。


「こんなもんだろ」


 呟くと同時、全ての処理が終了。

 先程まで表示されていた三つのモニタが、黒く輝く粒子となってほどけ、消える。のだ。


 新たに二つのモニタが立ち上がった。

 一つは、事前に得た建物内部の図面が映し出されており、もう一つには、全監視カメラのが映っている。


 地上階と地下階があるのは事前情報から解っていたが、を見るに、地上はあくまでも普通の会社。ありきたりに地下がどうも焦臭きなくさい。ジャックしたを元に、図面が削られたり新たに足されたりし、再構築されてゆく。

 そして、図面上に四つのマーカーが点滅した。


 の情報、それからシステムダウンさせるついでにチェックした電子情報から割り出した、他と比べセキュリティが堅牢な場所――予言者パンタレイと機密情報のありかと考えられる場所だ。マーカーは、一つが地下一階、残り三つが地下二階の図面上で瞬いている。


 監視カメラの録画データを漁ってみたが、賓客が訪れるはカメラを一時的にオフにすることを徹底しているらしい。誘拐した予言者パンタレイがどこに閉じ込められているのか、機密情報の入った媒体がどこに運び込まれたのか、決定的な手掛かりは存在しない。


 ゆえに、様々な情報を照合して“当たり”である可能性の高い場所を四つに絞り込んだ。だが、最悪全ての部屋を直接訪問せねばならない。


「まー、やるしかないかね」


 全てのモニタを閉じ、構築式プログラムを終了させ、彼は立ち上がった。


 それにしても、


「あの受付嬢おねえちゃん、見栄張ってんなー」


 そこら辺の男なら騙すこともできよう。しかし、煉の目を欺くことはできない。


「見た目こそEカップだが、実際はCの65ってとこかニャー」


 制服の上からも解る、デコルテラインの不自然さ。

 やや上気味にあるトップバスト。

 横から見た際のボリュームが、正面から見て推測したカップ数と釣り合わない矛盾。


 別に“寄せて上げる”を謳い文句にしているブラジャーを付けているだろうことは構わない。世の女性達がこれまで悩みの種でしかなかった自分の一部に自信を持ち、生き生きと輝くきっかけになるという点で賛成だ。

 しかし、寄せて上げるブラを身に付けるだけでは飽き足らず、パッドを無理矢理詰めている(多分、三枚は詰めている)ことが煉には許せなかった。

 狭い場所にぎゅうぎゅう押し込めては育つものも育たないし、双丘が持つ本来の美しさと柔らかさを歪めてしまう唾棄すべき行為にほかならない。


 何故、ありのままの乳房を慈しみ、正しい下着選びを行い、育てることをしないのか。

 生まれ持つ“宝石”を自ら石ころに変える愚者は、断罪されるべきである――否、聖者たる何者かによって啓蒙されるべき、か。


 そんなことを考えながら、彼は悠然とフロントへ向かう。番犬を誑かし、首に手刀叩き込む為に。

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