第37話 信仰 安らぎの教会
俺は聖堂の身廊を歩くシスターとメリルの後ろに続いた。
ステンドグラスから差し込んだ光が、通路の床を色とりどりに染めている。生まれて初めて教会の建物の中に入ったが、想像より華やかな印象だ。
建物の中は白檀のお香のいい匂いが漂っていた。実家の仏間を思い出すな。
先ほどから談笑していた二人がこちらを見やった。シスターが口を開く。
「ところで……こちらの方はメリルさんのお知り合いですか? それに背中の大きなクモさんも……」
さっきまで俺の足元にいたクモモはいつの間にか俺の背中に引っ付いていた。クモモの体重は自称スイカ3つ分だ。地味に重い。
「こちらは農家のカレタさんとその相棒のクモモちゃん。ここに来る途中で出会ったの」
「初めまして。カレタです」
背中のクモモは『よろしくー』とジェスチャーで挨拶した。
「彼女はこの教会の人気ナンバーワンシスターのルナ。見て分かるかもしれないけど、彼女目当てに教会に来る人が多いのよねー」
と、メリルがシスターを紹介した。
一番人気のシスターか。確かに、満月のように大きなおっぱ……じゃなかった、明るい笑顔なので人気があるだろうということは理解できる。
「メリルさん……その紹介のされ方は恥ずかしいです……」
ルナの頬が赤らんだ。可愛い。
「別にいいじゃない。実際にダイナナキッチンは繁盛してるんだから」
ダイナナキッチン? もしかして教会の隣にあった食堂って……。
「もしかして教会の横にある食堂は、ここが運営してるんですか?」
「はい。元は私たちシスターの炊事場でした。町が発展するにつれて食事の用意ができないほどに忙しい人たちが増えて、その人たちに食事を提供するようになったんです。孤児たちも就労支援の一環として大勢働いているんですよ。よろしければぜひ食べていってください」
教会が運営する食堂か。ここで食事をすればご利益がありそうだ。
「ルナは食堂の会計を任されてから、商売っ気が出てきたわね。お客の呼び込みをするなんて」
メリルは意地悪な笑みを浮かべた。
「もうっ、メリルさん! からかわないでください。そんなつもりじゃありません」
「ははは、ごめんごめん。話がそれたわね。ところで、私が今日ここに来たのは、これを渡しにきたの」
そういってメリルはルナに白色の杖を手渡した。
「これは……ユニコーンの角ですね」
ルナの表情が一瞬曇る。
「かなり昔に作られたものだから、そこまで深刻になる必要はないわ。古いお城に巣くってたモンスターが持ってたの」
「この世に救いをもたらすために聖女様とともに神界より来訪したというのに……。その神格ゆえに乱獲され、同胞を失った、可愛そうな神獣。心が痛みます」
ルナはずいぶんと悲しそうだ。ユニコーンは貴重な野生動物ってだけじゃなく、宗教的にかなり重要な存在のようだ。
「んでっ、カレタさんも要件があるんでしょ? 領主様との面会予定を取りに来たんだよね? ねっ!」
場の空気を変えるかのごとく、メリルが俺に促した。
「あ、ああ……俺は領主のオルガに会いに来たんです。少し面識があるだけなので、出来れば教会の方に取り次いでもらいたいと思いまして」
「領主様に言伝なら承っておきますが……。ただ、領主様が来られるのは3日後の予定ですよ」
3日後か。そんなにかかるのなら、一度は自分で行ってみたほうがいいな。
「それほどかかるのでしたら、まずは自分でお城に行ってみます。もし門前払いされたら……、その時はここを頼らせてもらってもいいですか?」
「分かりました。教会の裏には孤児院もありますので、雨露をしのぐだけの場所なら提供できますよ。困ったときは立ち寄ってください」
ルナはにっこりとほほ笑んだ。優しい。これが女神か。
ぐぅぅう~っ
俺のお腹が鳴った。今日は朝からまとまった食事をとっていない。早くまともな昼飯を食わなくては。
「ふふふ。お腹が空いているようですね。もうお昼時は過ぎましたので、食堂は空いてますよ」
―――
聖堂の中には食堂へと続く通路があった。俺たちはそこを通って食堂へと向かう。
通路の窓からは教会の裏庭が見える。あの木造の2階建ての建物は……たぶんあれが孤児院だろうな。
「ここが食堂の『ダイナナキッチン』です。さぁ、どうぞ」
ルナが食堂のドアを開いて俺たちの入室を促した。
「失礼しまーす」
最初に俺と背中のクモモが店内に入る。
「おお~っ」
口からつい感嘆のため息が漏れてしまった。
そこは明るく広々とした店内。木目を生かしたアンティーク調の丸テーブルが整然と並んでいる。現代のおしゃれなカフェのような雰囲気だ。
ルナが言っていたとおり、店員をしている子供たちがたくさんいた。小学校高学年くらいの子が多い印象だ。一番年齢が高い子で中学生ぐらいだろう。
男の子達は白いシャツに黒いベストというタキシード風の服装だ。女の子達は黒のワンピースにフリフリの白エプロンという、いわゆるメイド服を着ていた。
もうお昼をだいぶ過ぎていたのでお客はほとんどいないようだ。休憩中だか遊んでいるのだかわからない子供たちが店内の角に溜まっている。
そのうち何人かの子供が俺の存在に気付いたようだ。
「お客さん?」「背中に変なものがくっついてるぞ」「あれは……?」
子供たちはおもむろに俺の周囲を取り囲んだ。
皆の興味を引いたのは俺ではなく、俺の背中にいるクモモのようだ。子供たちは俺の背中からクモモを引っぺがした。
「クモだ! でかいクモだ!」「ピンク色だ。かわいー」「おしゃべりできないのー?」
いきなりクモモが大人気になってしまった。好奇心の強い子供たちはクモモのような謎生物に引き付けられるのだろう。
子供たちはクモモを取り囲んで胴体をぺしぺしと叩きまくっている。もみくちゃだ。
『レディーの体に気やすく触らないで!』
クモモは懸命にジェスチャーをしているが子供達には伝わらない。クモモのジェスチャーは示唆に富む高等概念を織り込んだ心の所作だ。社会経験の少ない子供達が理解するのは難しいだろう。
「こらこら。クモモさんが困ってますよ」
しばらくしてやってきたルナが子供たちの群れを追い払った。
『カレタ~、助けてー』とクモモが俺のところに駆け寄ってくる。そしてまた俺の背中にピトッとくっついた。
「クモモちゃんは人気者ね。ここで働いてみたら?」
と、メリルが冗談めかして言ったが、クモモは『冗談じゃないわ』とジェスチャーで返した。
―――
テーブルについた俺とクモモとメリルのもとに、金髪のウェーブがかった髪を持つメイド服の少女がやってきた。中学生くらいの子だ。頭の上の大きなリボンが可愛い。
「先ほどは失礼いたしました。お食事をお持ちしました」
少女はぺこりと頭を下げた。
「彼女は孤児院一番の年長者のアリサちゃん。とっても料理が上手なのよ」
とメリルが少女を紹介する。
「そいつは楽しみだな」
「お口に合うかどうかは分かりませんが、誠意をもって尽くさせていただきます」
礼儀正しい子だ。これは期待できそうだ。
料理を持ってきた他の店員がテーブルに皿を並べた。
メインの料理は大きくてふわふわのオムレツだ。隣にサラダが添えてある。見るからにおいしそうだ。
俺はナイフでオムレツを切り分け、フォークで一口頬張った。
「ほふっ、ほふっ。これは美味しいな。ふわふわの卵が口の上でとろけて、上品な甘さが口いっぱいに広がるよ」
「ほんと、おいし~い! 前食べた時より美味しくなったんじゃない?」
と、メリル。
クモモは『なかなかの出来ね』とジェスチャーをする。料理上手のクモモも認める味だ。
そしてデザートはマスカットパフェだ。透明なグラスに黄緑色のクリームとソースが何重にも重なっている。上には大粒のマスカットがこぼれんばかりに飾り付けられ、アクセントとして紫色のブルーベリーソースがかかっている。
「甘ーい! おいしーい!」
『なかなかの……モグモグ……出来ね……モグモグ』
メリルとクモモには好評のようだ。さて、俺も一口……。
う~ん、デリシャス。
この手のデザートは割高すぎて現代日本ではほとんど食べたことがないが、想像通りの美味しさだ。華やかなデザートには人を惹きつける魔力がある。ぼったくり価格でも食べたくなる人がいるのもわかる。
俺たちが料理を食べ終えた頃を見計らって、ルナが俺たちのテーブルにやってきた。
「料理は楽しんでいただけましたか?」
「ええ、大満足ですよ。教会でこんな美味しい料理が食べられるなんて思ってもみませんでした」
「相変わらずいい仕事してるわね~。お店の雰囲気もいいし、かなり儲かってるんじゃないの~?」
さすがは商人だ。店の売り上げが気になるらしい。
普通に儲かってそうな感じがする店だが、俺の予想とは裏腹に、ルナは気まずそうな愛想笑いを浮かべた。
「それが……最近は食材が高くなってきて、そうでもないの」
「そうなの? 確かにシルバーフレイムは発展著しいから、食材の多少の値上がりはあると思うけど……。穀倉地帯が十分にあるから、そう影響が出るほど上がらないはずよ」
「そのはずなんですが……」
「台帳を見せてくれる? 何かおかしなところがないか私が見てあげる」
メリルにそう言われて、ルナはカウンターの裏側から一冊の厚い紙束を持ってきた。店の仕入れや売り上げなどが書かれている台帳らしい。
メリルはルナから渡された台帳をペラペラとめくっていく。その表情は真剣そのものだ。
「全体的に5%ほどの値上がりね。これは町の人口が増えてるからしょうがないけど……うわっ、値上げ幅が50%近いものがあるわ」
町の発展で作物価格が高騰しているみたいだな。農作物を売りに来た俺にとっては好都合だが、ルナが困った顔をしているのを見ると複雑だ。
「これはおかしいわ。誰かが流通を絞ってるんじゃないかしら。この後、商人ギルドに寄る予定だから少し調べておくわ」
「すみません、メリルさん。助かります」
メリルは見た感じ女子高生ぐらいの年なのに頼りになるな。
大都市で商売をするにはいろいろとあるみたいだ。俺も商売を始める前にはメリルに相談しないと。
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