第35話 村の朝
俺たちが村に戻ったのは深夜の3時過ぎだった。俺もメリルも今日の朝早くにシルバーフレイムに向けて出発する予定だったので、宿屋到着後すぐに二階の各自の部屋で床に就いた。
そして朝。スマホのアラームが鳴り響く。
俺がその音に気付いて起きるより先に、部屋の天井に引っ付いていたクモモがボトッと顔の上に落ちてきた。
「うぉぉっ!」
俺は驚いて飛び起きる。クモモは床上にコテンと転がった。
「ふぁ~あ。クモモ、おはよう。さすがに夜更かししすぎたせいで少し寝足りないな」
クモモは起き上がって軽くあくびをした。クモモも少し眠たいようだ。
「シルバーフレイムに行くのは明日に延期して、今日は休もう!」と言いたいところだが、あまりゆっくりしてはいられない。
部屋の隅に置かれた唐草模様の風呂敷には昨日の朝取れた農作物が詰まっている。農作物は鮮度が大事。シルバーフレイムの商人に高く評価されるためには早く農作物を届けたほうがいいだろう。
俺はベッドから起き上がり、クモモと一緒に部屋を出た。
階段を下りて一階の酒場に出たところで、金髪の男性とばったりと出会った。吟遊詩人のエドだ。
「やぁ、おはよう。昨晩は大変だったようだね」
「えぇ、まぁ、大したことはないですよ……って、もしかして誰かから話を聞きました?」
「ああ。ここの女主人から事の顛末は聞いてるよ。城に巣くっていたモンスターを一人で倒すなんて、凄いじゃないか。話を聞く限りだとシルバーフレイムの騎士団でも手に余るような相手だったようだけど、やはり君は只者じゃないな」
俺たちが寝る前にメリルが事の顛末を宿屋の女主人に説明していたが、その話がエドに伝わっていたらしい。城のモンスターを一掃したことに、いたく感心している様子だった。
「たまたま効果的な魔道具を持っていただけですよ。そんなことより、エドさんのそのマント……もう出発するんですか?」
エドは普段の華美な服装の上から地味なマントを羽織っていた。見るからに旅立ちの服装だ。
「そうだよ。次の町への道程は長いからね。私の歌を早く届けるためにも早く出発する必要があるのさ」
エドはそういうと宿屋の出口の方を向いた。
「というわけで私はもう行かせてもらうよ。君たちはシルバーフレイムに行くんだったね。昼前に出れば暗くなるまでにはたどり着くだろう。君たちの旅の幸運を祈ってるよ。それじゃ」
エドは大きな扉を押し開けて去っていった。
エドが行く町は俺たちの行くシルバーフレイムとは反対方向だから、この先当分会うことはないだろう。昨日知り合ったばかりの人だが、別れるとなると物寂しい気持ちになる。
さて、俺たちも出発を急がないとな。そしてそのためには、まず朝食を食べないと。
今俺たちは、メリルにキングスケルトンの骨を売った代金として1000ゴールド持っている。カウンターに立っている女主人に聞いたところ、朝食は15ゴールドらしい。
俺は1000ゴールド金貨をコトンとカウンターの上に乗せた。
「これで、朝食一人前をお願いします」
「なんだい。あんたお金を持ってるじゃないか」
宿屋の女主人が怪訝な表情を浮かべた。
「ははは。臨時収入があったもので……」
「朝食は一人前かい? そっちのクモの分はいらないのかい?」
俺もクモモも深夜に脂っこいトンコツラーメンを食べてしまったので、そんなにお腹が空いていない。一人前を二人で分けて食べるつもりだ。
「クモモと二人で分けて食べます。あまりお腹が減ってないもので」
「そうかい。シルバーフレイムはここから近いようでいて遠いからね。途中でお腹が空いても知らないよ。はい、お釣り」
宿屋の女主人はカウンターのお釣り受けの上に銀貨と銅貨をジャラジャラと置いた。銀貨が一枚30ゴールドで、銅貨が一枚1ゴールドとのことだ。
こんなに大量の小銭をポケットに突っ込むと落としそうだ。ここはクモモに頼もう。
「クモモ、小銭入れの袋を作ってくれないか?」
クモモは『おっけー』とジェスチャーで返事をすると、お尻を高速ミシンのように動かして瞬く間に巾着袋を作ってしまった。さすがは天才グモのクモモだ。仕事が早い。
俺は小銭を巾着袋にしまい込み、部屋の中央テーブルに向かった。
そのテーブルには先着がいた。その落ち着いた藍色の服に身を包んだ赤いポニーテールの少女はメリルだ。俺たちより先に起きていたようだ。
メリルの前にはスクランブルエッグとミルクだけが置いてあった。簡易的な朝食だな。メリルも深夜にトンコツラーメンを食べたのであまりお腹が空いてないのだろう。
「おはよ。昨日は迷惑をかけたわね」
「気にすることはないよ。無事でよかった。俺も冒険気分を味わえたしな」
深夜の探検は少し怖かったが刺激的だった。会社から帰ったら寝るだけの生活をしていた俺にとっては新鮮な体験だ。
メリルは顔をほころばせた。だがその後、何かに気付いたような表情で口を開いた。
「……昨日、ゾンビやスケルトンたちを簡単に倒してたでしょ。カレタさんってそこまで鍛えてる風でもないのにどうしてそんなに強いの? あいつらは訓練した兵士でもてこずる相手なのに」
いきなりそうきたか。どこからどう見ても普通の農民にしか見えない俺がモンスターを簡単にやっつけてたら、確かに誰でも怪しむよな。
ここは長い社会人生活で培った対人能力で俺の素性をごまかし切ってやろう。
「そ、それは……魔道具の力のおかげだよ。実家が魔道具の名家でそれですごい魔道具が手に入るんだ」
「ふーん……」
メリルは微妙な反応を見せる。上手く騙せたのだろうか……。
「それで、出身は? 趣味は? 好きなタイプは?」
メリルは矢継ぎ早に質問をしてきた。商人の性だろうか、いろいろと好奇心旺盛だ。
「出身は……ここから遠い東の方にある島から来たんだ。今は山奥でクモモと二人で農業生活をしてるけどね」
「あっ、ここの大陸の出身じゃないんだ。道理でこの辺りでは見ない雰囲気の人だと思った」
周りはヨーロッパ系の顔つきの人ばかりだからな。やはり見た目だけで怪しまれていたか。
「確かシルバーフレイムに行くんだったよね。町までは私も一緒についてくわ。私はシルバーフレイムの町をよく知ってるし、初めての町なら案内がいたほうがいいでしょ」
昨日聞いたことだが、メリルも今日シルバーフレイムに向かうらしい。右も左もわからない俺にとっては旅慣れしているメリルは心強い味方だ。
「それは有難いな。よろしくお願いするよ」
その時、女主人が俺とクモモの前に大きな皿を運んできた。いい匂いがする。
皿のど真ん中にはまん丸の目玉焼き。その横にカリカリに焼いたベーコンと焦げ目のついたソーセージが添えられていた。縁には二切のパンとベイクドビーンズが盛られている。典型的なヨーロッパの朝食といった感じの料理だ。
女主人が気を利かせて、皿の横にクモモ用の取り皿を置いていった。俺は皿の上の料理を取り皿に分けてから朝食を食べ始めた。
―――
朝食を食べ終わった俺たちは荷物をまとめて早々に宿屋を出発した。
俺はマウンテンバイクに乗って川沿いを下った。背中には風呂敷を担いだクモモがつかまっている。
俺の隣には白馬のスレイプニルが駆け足でついてきていた。スレイプニルにまたがっているのはもちろんメリルだ。
村を出てしばらくしたところでメリルが話しかけてきた。
「それ、変な乗り物ね。見たことないわ」
メリルは俺の乗っているマウンテンバイクをチラっと横目で見た。この異世界ではまだ自転車が発明されてないらしい。
「これは人間の脚力を何倍にも強化して推進力を生みだす『自転車』ていう魔道具だよ。俺の家に代々伝わる貴重な品だ」
「じてんしゃ? ふーん……凄いものばかり持ってるわね。ほんとに不思議……」
いたいけな少女にうそをつくのは心苦しいが、まともに説明しようとすると俺が別世界から来たことがバレてしまう。現実世界の道具は全部、魔道具ということにして押し通そう。
俺のことを興味深げに見つめる少女の視線を振り切って、俺はペダルにのせた足に力を入れるのだった。
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