第31話 村の夜

俺とクモモは村の宿屋で昼飯をごちそうになった後、少し休んでから一緒に村の中を見て回ることにした。


始めて訪れた異世界の村なので、何があるのか観光を兼ねての調査だ。


まず最初に、村を縦に流れる川へと向かった。川のそばには木造の水車小屋が建っており、水車がザブンザブンと勢いよく水をかき分けていた。


小屋のドアが開いていたので、ちょっと中を覗いてみる。部屋の中央では水車とつながった歯車が石臼をゴリゴリと回していた。石臼の中央の合わせ目からは白色の粉が湧き出るようにこぼれ落ちている。おそらく小麦だろう。


水車小屋のように自動で作業をしているのを見るのは面白い。自宅の畑の収穫も自動化できたら楽なのにな。


次に向かったのは村の周りを取り囲んでいる広大な畑だ。そこでは村人が牛にすきを引かせて畑を耕していた。さすがに魔法のトラクターなんかはは無いようだ。


額に汗をかきながら働いている村人を見ていると、人力で農業をするのは大変そうだと感じる。俺の農具に異世界の祝福があって助かった。


そのあとは村から少し離れて、近くの小さな山の麓のほうまで自転車で向かった。


森の手前のほうでは斧を持った木こり達が木の伐採をしていた。しばらく観察していたが、木を一本を切るのに何十分もかかっている。


俺の持つのこぎりなら10秒かからずに切り倒せるのだが……。一瞬手伝ってみようかと思ったが、大騒ぎになりそうなので止めておいた。


その時、森の奥からシカを背中に担いだ人がやってきた。ここでは狩りもやっているようだ。


俺はこの異世界に来てからシカやイノシシのような野生動物に出会っていない。だが、この辺りの野山には動物が生息しているらしい。機会があったら野生動物のジビエ料理にもチャレンジしてみたいな。


このリバーサイドの村は農業、畜産、林業、狩猟といろいろとやっている村のようだ。確かに宿屋の女将が言っていたように、豊かで落ち着いた村だ。


俺は山の斜面にあった切り株に腰かけて村のほうを眺めた。クモモはその隣に座った。


村の中央通りには馬に乗った商人らしき人が、幾人か行き来していた。人通りはそれなりにあるようで、特にさびれた感じは受けない。


もし今の日本にこの村があったら、住みよさランキングで一位になるだろうな。


そんな取り止めのないことを思いつつ、俺は異世界農村観光をゆっくりと楽しむのだった。



―――



俺とクモモが宿屋の前に戻ってきた頃にはもう日がほとんど沈んでいて、あたりは暗くなっていた。


宿屋の窓からは明かりが漏れている。話し声も多く聞こえる。かなりの人が集まっているようだ。


俺は宿屋の入り口の扉を押して中に入った。


宿屋の中は多くの村人でにぎわっていた。席は8割方埋まっていて、そのテーブルの上にはソーセージの盛り合わせやローストチキンなど様々な料理が並べられていた。


部屋の奥の一角ではリュートで音楽を奏でている金髪の男性がいた。吟遊詩人のエドだ。


村人達はビール片手にエドの語る英雄譚に聞き入っている。せっかくだから俺も一緒に聞かせてもらおう。


近くにイスがなかったので、俺とクモモは壁の近くで立ちながらエドの演奏を聴くことにした。


う~ん、いい曲だ。内容に関してはざっと言って、勇者が魔王を倒す英雄譚のようだな。


正直、エンタメ天国の日本から来た俺にとってはありきたりな内容に思えた。だが村人たちは、「そこだ! やれ!」とか「あぁっ、危ない!」などと、話の内容に一喜一憂しながら楽しそうに聞いている。このライブハウスのような空気感の中にいると俺も楽しくなってくる。


そしてクライマックス。英雄が魔王を倒して大団円。一度曲が盛り上がった後、静かに音が閉じられた。


観衆からは拍手と称賛が巻き起こる。エドは各方向を向いてお辞儀を何度も繰り返した。


俺はテーブルのほうに近づいてきたエドに声をかけた。


「良かったですよ。大人気じゃないですか」


「君も聞いていたのか。楽しんでくれて光栄だよ」


「やっぱり英雄が活躍するお話が人気あるんですかね?」


「まあね。今のように平和な世の中でも、皆大なり小なり問題を抱えているからね。いつの時代も英雄は求められているのさ」


異世界とはいっても、人々の考えは現実世界とそう変わらないようだ。


「ところで君はお金がないんじゃなかったかな。夕食はどうするつもりだい?」


「農作物は持ってるんで適当に焼いて食べますよ」


「それだけだと寂しいんじゃないかい? 皆から投げ銭を多く頂いたし、私が夕食をごちそうするよ」


「さすがに二回もおごってもらうっていうのはちょっと……。遠慮しておきます」


「そう固いことを言わないで欲しいな。人の好意は受け取っておくものだよ」


自分がエドの申し出を受けるかどうか迷っていたその時、いきなり一人の村人が大声を出して喋りだした。


「俺の飼っていた牛がシルバーフレイムの商人にいつもの倍額で売れたぞー!。いい演奏も聞けたことだし、今日は気分がいい。今夜は全部俺のおごりだ!」


オオーッ! とその場が沸いた。宿屋にいる人たちの飲み食い代金はこの人が支払ってくれるようだ。


「どうやら、私がおごる必要はなさそうだ」


とエドは笑みを浮かべた。


「ははは……。ラッキーでしたね」


これでまともな夕飯にありつけるぞ。



―――



空いているテーブルについた俺とクモモの目の前にごちそうが運ばれてきた。あの儲けた村人のおごりだ。


同じテーブルには他の村人、それにエドもいた。


ビールがなみなみと注がれたコップが俺の前に運ばれてくる。俺はそれをグイっと飲み干す。


ぷはぁーっ! 美味しい。お酒なんて久しぶりに飲んだな。


今の日本では酒の値段の95%が税金になってしまっていて、一般庶民が気軽に買える値段ではなくなっている。飲み会文化は完全に廃れていて、俺みたいに晩酌をしないタイプの人はお酒を飲む機会が全くない。


俺の横でイスに座っているクモモは、目の前のパエリアをスプーンですくって食べていた。エビとアサリがおいしそうだ。後で食べようっと。


俺はフォークで目の前のソーセージをぷすりと刺した。


それからしばらくの間、俺とクモモは村人たちと一緒に料理を食べていた。


お酒が回ってきたところで、俺はエドに少し気になっていることを聞いてみた。


「エドさんのような吟遊詩人って各地を旅しているんですよね? 次は大都市のシルバーフレイムへ行くんですか?」


エドは酒の入ったグラスを置いてこちらに向き直った。


「いや。私は先日シルバーフレイムからやってきたところだからね。次は南下してウィンドストーンの町に向かう予定だよ」


なるほど。別の町に行くのか。それは少し残念だな。


「俺たちはシルバーフレイムに行く途中なんですよ。農作物を売りに行こうかと思って」


「そうか。あそこは大陸の中でも特に活気のある町だ。きっといい成果が出ると思うよ」


捕らぬ狸の皮算用になることを心配していたが、エドにそういわれると期待せざるを得ない。この世界で大富豪になった自分を想像してしまう。


と、そこに酔っぱらった村人がやってきた。


「おい、このピンク色のクモは兄ちゃんのペットか?」


村人はビーフシチューをぴちゃぴちゃと飲んでいるクモモを指さした。


「んー、ペットというか……仲間ですよ」


「どっちでもいいや。このクモはお酒を飲まないのかい?」


お酒ってクモに飲ませて大丈夫だっけ? クモモに聞いてみよう。


「クモモってお酒は飲めるのか?」


クモモは『私は大人のレディーなんだから大丈夫よ!』とジェスチャーで返した。


大人かどうか以前にクモにお酒を飲ませて大丈夫かどうかが心配なんだが。まぁ、クモモがそういうのなら大丈夫なんだろう。


村人は浅いお皿にお酒を注いで、クモモの前に差し出した。クモモはそのお皿を抱えてぐびぐびと一気に飲み干す。おいおい、そんなに飲んで大丈夫か。


お酒を一気飲みしたクモモはすぐに顔が赤くなった。その上、ふらふらしていて挙動不審だ。明らかに酔っぱらっているな。


「おお、いい飲みっぷりだな。ほら、もっと飲め飲め」


村人はクモモにさらにお酒をあげようとし、クモモはまた飲もうとする。


そこからしばらくの間、お酒を飲むのを止めようとする俺と『大人のレディーは大丈夫よ』と言うクモモとの攻防が続いた。


こうして酒場での楽しい時間は過ぎていった。


夜が更けて、村人たちは解散し、エドは宿の自室に戻っていった。今、酒場にいるのは俺とクモモだけになっていた。


クモモは床の上をふらふらと彷徨っている。まだ酔っぱらっているようだ。


俺はスマホの時計を見た。もう深夜の12時だ。しばらくここで休んだら俺も部屋で寝るとするか。


イスに座っていた俺のところに、おもむろにパーマのおばちゃんがやってきた。宿屋の女主人だ。


「ねぇ、あんた。あの女の子を知らないかい? ほら、あの商人の子」


「えーっと、あの赤いポニテの子ですか? メリルでしたっけ?」


「そうそう。あの子、明日は朝早く出発するから、早めに戻ってくるって言ってたんだけど……。まだ姿が見えなくてね」


「確か山の上のお城に行くって言ってましたけど、まだ何か探してるんじゃないですかね」


「あの城にかい? やっぱり止めればよかったかねぇ」


女主人は気まずそうな表情になる。


「あの城って危ないんですか? 今は大丈夫だって聞きましたけど」


「確かに今はもう危ない話はないんだけどね。私は昔からひいひいおじいさんに、『ゾンビが出て危ないから近づくなと』言われてたからねぇ。ちょっと心配だよ」


エドから山の上の城のいわくについては聞いている。村人はあまり近づかない場所のようだが、そこまで心配することでもないように思えた。


その時、クモモがつんつんと俺の足をつついた。


「ん? なんだ?」


クモモは「あの馬がいるよ」とジェスチャーで外の方を示した。


窓から外を眺めてみると、そこには立派な白馬の姿があった。あれは……メリルが乗っていた馬のスレイプニルだ。


俺とクモモは宿屋の外に出る。するとスレイプニルが俺のところによって来た。


「お前のご主人様はどうしたんだ?」とスレイプニルに尋ねてみる。


スレイプニルは顔をふりふりと動かしている。俺に何かを伝えたいようだ。だが俺は馬じゃないし、馬の調教師でもない。馬の考えていることなんてわからない。


どうしよう……と悩んでいたところ、クモモがスレイプニルの前にサササッと歩み出た。


そしてクモモは手足をわしゃわしゃと動かし、スレイプニルとコミュニケーションを取り始めた。


しばらく後にクモモは俺の前に戻ってきた。


「もしかしてクモモは馬の言葉がわかるのか?」


『もちろんよ』とクモモは自信満々だ。


一体どういう特技だ。だが細かいことはどうでもいい。メリルがどうなったかを知ることが先だ。


「で、なんて言っていた?」


クモモは『ご主人様が帰ってこないみたい』とジェスチャーで示した。


んー、やっぱりメリルに何かがあったということか。


俺は夜の帳の中、いわくつきのお城、オレガノ城が建っているはずの山の頂上を見上げた。


幸い外の気温は低くない。夜のサイクリングをしに行くのも悪くはないな。

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