第30話 死霊術師の住処
メリルは薄暗い地下通路の中を進んでいた。
日の光が届かない地下ではあるが、通路は歩くのに支障がない程度には明るかった。
通路の石壁には燭台が設置されている。その先にはこぶし大の水晶ようなものが埋め込まれており、足元を照らす程度の光を放っていた。昔から魔術師がよく使っている魔法のライトだ。
それに加えてメリルには魔力感知のミストの効果が残っている。魔力感知のミストには暗視の効果も含まれているので、メリルにとってここを歩くのは昼間の街道を歩くのと変わらなかった。
「それにしても、いやな予感が当たりそうね……」
メリルが通路を進むごとに周囲の瘴気が濃くなっていく。城の探索をしていた時は全く感じなかったのだが、地下室への扉を開けた瞬間からメリルの身に邪悪な気がまとわりついてきた。
「この先にいるのは、まず間違いなく死霊術師。そして200年前にこの城の住人を消し去ったのも、そいつの可能性が高いわ」
言い伝えでは、この城が放棄されてからしばらくの間はゾンビやスケルトンなどのアンデッドモンスターが出現していたという。これは大規模な死霊術を行使した後にみられる現象だ。
おそらく死霊術師は城の住民全員を生贄に捧げるような死霊術を行ったのだろう。それほどの大規模な術式をどのようにやってのけたかは知らないが、かなりの実力者であることは間違いない。
「備えあれば患いなしってことで、戦いになった時の準備をしておかないとね」
メリルは立ち止まって腰にあるバックの口を広げた。そして、その中からサクランボ大の赤色の玉を10個ほど取り出した。
これはチェリーボムと呼ばれる小さな爆弾だ。扱いやすくてそこそこの威力を持っている。
メリルはチェリーボムを腰のベルトにぶら下げて、すぐに使用できるように装備した。
次にバッグから取り出したのは青みを帯びた銀色に輝くバトンだ。普段は小さく収納されているが、伸ばすとショートソード程度の長さになる。
ミスリルで出来たこのバトンは高価だが、軽くて強い。メリルのような戦士ではない者にとっては最適な武器だ。
メリルはバッグから取り出したバトンを腰のベルトに差した。
最後に取り出したのは魔法のスクロールだ。
このスクロールには上級魔法のファイヤーストームが収められている。これを使うことで魔術師ではないメリルでも魔法を行使することが可能になる。
これもバトンと同じく、使いやすいように腰のベルトに差しておいた。
「さーて、こんなものかな。これ達が活躍する事態にならなきゃいいんだけど」
戦いの準備を済ませたメリルは再度、歩を進める。
少し歩くと通路の先は行き止まりになっていた。そこにあったのは黒光りする頑丈そうな大扉だった。扉の隙間からは異様な濃さの瘴気があふれ出ている。
メリルの身がぐっと引き締まる。
「すぅーっ、はぁ~っ。……よしっ!」
息を整えたメリルは、バァーン!っと扉を勢いよく開け放った。
「もしもーし。誰かいませんかー?」
メリルは声をかけながら、そろりと部屋の中に入った。と、そのとき!
バタンッ!
「ぶべっ!」
突然、メリルのお尻が何か固いものに突き飛ばされた。その勢いで石畳の上に、びたーん、っとうつぶせに倒れこんでしまった。
「いったぁ~っ。いきなり何なのよ……」
メリルが少しすりむいた鼻頭をさすりながら起き上がる。押された方向をふと見ると、今入ってきた扉が閉まっていた。この扉に押されて転んでしまったようだ。
さらにメリルの目には扉全体を覆う青いオーラが見えていた。強力な魔力による封印だ。どうやらこの部屋に閉じ込められてしまったらしい。
グルゥルルル……
薄暗い部屋の中に気味の悪いうなり声が響いた。猛獣とはまた違った感じの声だ。
「あれ……もしかして私ヤバい?」
この低い声にメリルは聞き覚えがあった。以前に古戦場を通った際に遭遇した、飢えた亡者の声だ。
メリルは腰のベルトからミスリル製のバトンを引き抜いた。すぐにバトンを伸ばして迎撃の構えをとる。
部屋には明かりが灯されておらず真っ暗だ。暗視の効果でメリルの周囲は確認できるが、奥の方は暗くて見えない。
メリルは部屋の奥の方を見て目を凝らした。揺らめく人影がいくつか見える。それらはゆっくりとこちらに近づいてきた。
そのうちの一体の歩み寄る速度が増した。小走りで一直線にこちらに向かってくる。
その人影が5、6歩程の距離まで近づいた瞬間、メリルに向かって飛びかかってきた。
「グルゥワァァツ!」
「せぇぃっ!」
メリルは襲い掛かってきた人影を落ち着いてバトンで払いのけた。人影が床に崩れ落ちる。
メリルは下を確認した。そこには白と黒の長いワンピースのような服を身にまとった人間が横たわっていた。
今では見ない、とても古いデザインのメイド服だ。おそらくこの人はこの城でいなくなった使用人の一人だろう。
服から露出したその手足には血の気が全くなかった。さらに所々裂けていて赤黒い肉が見えていた。このメイドは最初から既に死んでいる。呪いの魔力で動かされているだけだ。
腐った体を持つ呪われた怪物、『ゾンビ』。巷ではそう呼ばれている。
メイドゾンビが全身をビクビクと震わせた。まだ起き上がってくるようだ。
メリルはメイドゾンビが完全に立ち上がる前に、その頭に向かってバトンを思いきり振り下ろした。
グチャァッ!っと気味の悪い音が響く。メイドゾンビの頭がつぶれ、その体が床に再度倒れこんだ。そしてそのまま動かなくなった。
「ふぅ」
メリル一息をついた。だがそのまま休んでいるわけにはいかない。顔を前方に向けると、二体のゾンビがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
メリルはバトンを構えなおす。
「さぁ! 来なさい!」
ゾンビ達がふらふらとした動きで近づいてくる。ある程度近づいてきたところで、今度はメリルのほうから踏み込み、片方のゾンビの体をバトンで殴りつけた。
ボゴッ!
殴りつけられたゾンビはよろけて床に倒れこんだ。
もう一方のゾンビがメリルに向かって掴みかかった。メリルはそれを素早く回避してゾンビの後ろに回り込む。
「はぁっ!」
メリルは無防備なゾンビの背中にバトンの一撃を叩き込んだ。ゾンビは体勢を崩して転倒する。
そのまま追撃しようとしたが、最初に倒したほうのゾンビが起き上がってきている。メリルはその場から距離をとった。
「さすが不死者だけあって耐久力が高いわね。このまま殴ってると腕が疲れそうだから、これを使わせてもらうわ」
メリルは腰のベルトにつけたチェリーボムを二つ手に取った。
赤い球の先には緑の柄がついている。これを取り外すせばチェリーボムが点火し、しばらくのちに爆発する。
起き上がったゾンビが二体、一直線になって襲い掛かってきた。
メリルは二個のチェリーボムの柄を取り外す。ゾンビの突進を横にかわして、その隙に赤い球をゾンビの口の中に放り込んだ。
「よーく味わって食べなさい」
しばらくの間、ゾンビは何をされたのか分からずに戸惑っている様子だった。だが次の瞬間、
ボォゥンッ! ボォゥンッ!
二回の破裂音が続けざまに起こった。そして二体のゾンビの頭は粉みじんに吹き飛んだ。
ドサッとゾンビの体が床に倒れこむ。だがまだ安心はしていられないようだ。部屋の奥のほうからさらに二体の人影がこちらに歩み寄ってきた。
「次から次へと、お忙しいことね」
その人影は整然とした動きでこちらに近づいてくる。あれはゾンビの動きではない。
「今度はスケルトンか」
部屋の奥から現れたのは、動く白骨死体の『スケルトン』だ。しかも騎士団の鎧を身に着けていて、片手にはロングソードを握りしめていた。
スケルトンの着ている鎧にはクレメンス家の紋章が刻まれている。こいつらも大昔に消えたこの城の住人らしい。
二体のスケルトンは骨と鎧とをガチャガチャとこすり合わせる音を立てながら、ゆっくりと近づいてくる。
「さすがにこの装備で相手するのは危険そうね」
メリルの持っているミスリルバトンはスケルトンの持つロングソードほどの長さは無い。間合いでは不利だ。それに相手は元騎士団員の『スケルトンナイト』だ。普通のスケルトンと違って剣術に長けていることだろう
「もったいないけど、スクロールを使うか」
メリルは腰のベルトに差していたスクロールを取り出した。そして目の前でスクロールをバッと広げた。
スクロールには魔法の呪文が古代の言語で書かれていた。スクロールを広げた瞬間から、その文字たちがチリチリと燃え始める。
その燃焼はすぐにスクロール全体に広がった。そしてついにはスクロールが完全に燃え尽きてしまった。
だがその中に封じられていた魔力はメリルに移っている。メリルの両手には燃え盛る赤い炎が宿っていた。
「これで成仏しなさい! ファイヤーストーム!」
メリルの構えた両手からスケルトンに向かって、火炎の渦が放出された。その炎の渦はスケルトン達に命中し、その周囲が爆発にも似た業火で覆いつくされた。
スケルトンたちは、ウォォーンという嘆きのようにも聞こえる声を上げて焼け落ちる。炎が静まった後に残ったのは灰だけだった。
メリルは軽く部屋を見回した。もうこちらに向かってくる人影はないようだ。
「おかしいわね。こいつらを操ってる死霊術師がいるはずなんだけど……。大昔のことだし、もう死んじゃっていないのかしら」
メリルは探索のために部屋のさらに奥に向かって歩き出した。その時、いきなり強大な魔力がメリルに襲い掛かった。メリルの小柄な体躯が吹き飛ばされ、バンッ!っと石壁に打ち付けられた。
「がっ、はっ!」
メリルは一瞬息が出来なくなる。さらに不思議なことに、メリルの体は地面に崩れ落ちず、そのまま壁に張り付けになってしまった。
”これはテレキネシス! こんな強力な……”
メリルが壁に貼り付けられたままもがいていると、部屋の奥から甲高い男の声が聞こえてきた。
「お見事です。素晴らしい腕前です。そして洗練された魂をお持ちのようですね」
暗闇から現れたのは……骨だけになった豚だった。
「ぶ、豚のスケルトン?!」
とメリルが驚きの声を上げると、豚の骨は顔をこわばらせた。
「豚と言うな!!!」
豚の骨が喝破すると、メリルの身体が石壁にバンッと強く叩きつけられる。
「うぐぅっ!」
「これはこれは、大切な生贄に失礼いたしました。この姿には少々コンプレックスをもっていましてね」
豚の骨は豚の身体に合うように作られた特別な法衣を着ていた。その背中には歪に捻じれた奇妙な形の杖が縛り付けられており、メリルに向かって魔力を放っている。そして頭にはクレメンス家の紋章が刻まれた王冠が載っていた。
「私の存在が消滅してしまう間際に、あなたのような良質な生贄が飛び込んでくるとは……。私の命運は尽きてはいなかったようです」
漆黒の法衣を着た豚のスケルトンは、メリルの状態を気にも留めずに淡々と喋った。
「あんたがスケルトンらを操っていた死霊術師ね。そして大昔にこの城の住人を消し去った犯人も。それで私も消すつもりなのかしら?」
「私の名はクレメンス三世といいます。いかにも。その昔、邪神の強大な力を得るためにこの城の住人を利用させていただきました。ですが偉大なこの私の生贄になれたのですから、皆地獄で喜んでいることでしょう。そうそう、貴重な生贄のあなたに手を出す気はありませんからご安心ください。今夜の間だけですがね……ほほほ」
クレメンス三世と名乗った豚のスケルトンは邪悪な笑い声をあげた。
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