第7話 農業を始めよう
運良く通勤電車は動いていた。ちょうどホームに電車が入ってくるところだった。
電車のボディを見ると赤黒い血の跡がこびりついていた。人を轢きまくってダイヤが大幅に乱れているからな。洗浄する暇がないのだろう。
電車にすぐ乗れたおかげで早めに会社に着くことができた。早すぎたので職場に誰もいないかと思っていたが、俺の隣の席に小木曽が座っていた。
小木曽の机の上には白い封筒が置いてある。その横で小木曽が紙に何かを書いているようだ。
「小木曽、何を書いてるんだ?」
「辞表だよ。僕は今日でここを辞めるつもりなんだ」
「え……えぇっ! や、辞める?!」
会社を辞める。世の中の多くの人が心の中で思っていながら、おいそれと口に出すことができない言葉だ。
「君だってここの安い給料で働くのは割に合わないと思わないか?」
「確かにそうだとは思ってるんだけど……」
「僕の実家は農業をやっててね。田舎に帰って両親の手伝いをしながら暮らすことにしたんだよ。この街に住むのはお金がかかるから、給料を削られてまで居る意味はないよ」
始業前に小木曽は大和田部長に辞表を提出した。
小木曽は部長に恫喝された挙句、さんざん嫌味を言われていた。だが、涼しい顔でそれを受け流すと荷物をまとめて出口へ歩いて行った。
小木曽は去り際に俺の前で立ち止まった。
「君も早めに見切りをつけたほうがいいよ」
そう言い残して小木曽は去っていった。
そんなこと言われてもな。
俺は今まで会社人間として生きてきた。今の生活が嫌だと思いつつも、決断できないままずるずると最後まで行く感じしかしない。
小木曽は農業をするらしいな……。自給自足の生活ができれば自分に自信がつくのだろうか。
異世界ではリンゴが大量に採集できるので飢えはしない。そういう意味ではすでに自給自足ができているのだが……人はリンゴだけでは生きることはできない。他の食べ物も必要だ。
なんとなく俺のやるべきことが見えてきた気がする。
今週一週間、有給休暇を取ろう。そして異世界で農業を始めるんだ。成功すれば働いて稼ぐ必要がなくなる。
この会社は一応休む前日までに有給休暇の申請を出せばよいことになっている。まぁそれは建前で、そもそも有給を取らせない会社なのだが。
俺はすぐに有給休暇の申請を書いて大和田部長に提出した。
もちろん部長は俺を散々脅してきた。だが、すでに異世界で生活するあてのある俺の心には響かない。
最後に部長は「休み明けに貴様の席があると思うなよ」と吐き捨てた。
そうは言っているものの、この会社は人材に余裕のある会社ではない。ただの脅しだ。
俺は部長の言葉を聞き流し、定時で退社した。
―――
会社のビルを出て横を見ると道の奥に夕日が見えた。いつも帰るころには真っ暗になっているのに。
現在は午後の五時。何年ぶりかの定時退社だ。
よーし、農業を始めるぞー。
農業を始めるにはまず農具が必要だ。そして当然、作物の種も。どちらもホームセンターで見かけたことがある。帰宅前にいつものホームセンターに寄っていこう。
ホームセンターの前に到着。自動ドアをくぐって農具コーナーに直行だ。
棚には様々な農具が陳列してあった。最低限必要なものだけを買っていこう。
シャベル、クワ、カマ、ジョウロ、ホース……っと、こんなものかな。
農具を買い物かごに突っ込んで床に置いた。次は種を探そう。
農具コーナーの近くには種の袋が大量に並んだ大きな棚がある。その前でパッケージを一通り眺めてみた。
んー、同じ野菜でもいろんな品種の種があるんだな。どの品種がいいかなんて分からないから、普通の見た目の物を選んでいくとしよう。
え~っと……小松菜、白菜、レタス、カボチャ。それに、ニンジン、玉ねぎ……。
ニンジンと玉ねぎといえばカレーだ。カレーにはジャガイモが必要だよな。
ジャガイモは小さな種の袋としては売られていない。種芋が10個ぐらい入った大きめの袋が近くの台に山盛りに積まれていた。こいつを何袋か買っていこう。
さて、これだけ買えば十分農業が始められるだろう。レジに持っていこう。
値段を計算しながら品物を買い物かごに入れていたので、レジに行く前でも合計金額が分かっている。税抜きでちょうど10000円分だ。
これに消費税30%が加わる。痛いなぁ……消費税が10%だったらいいいのに。
だが、レジの人からは予想外の言葉が飛び出した。
「全部で15000円になります」
「あれ? 10000円プラス消費税30%で13000円ですよね?」
「今日から消費税が50%になったんですよ」
な、なんだってー?! 今朝のネットニュースを見ていたが、そんなニュースは見た覚えがないぞ。
「正確に言うと今日の午後5時からですけどね」
すぐにスマホを取り出してニュースサイトを確認する。ニュースサイトのトップには消費税アップのニュースが並んでいた。なんてこったい。
今は午後の5時半過ぎだ。あぁ、会社を早退しておけばよかった。
俺はしぶしぶと15000円を払って店を後にした。
アパートに帰った後はすぐに農具を持って異世界に渡った。
異世界と現実世界との時刻はリンクしている。現実世界と同じく異世界は夜になりかけていた。
今はちょっと暗いから畑づくりは明日にしよう。だがそれまでにやることがある。
パソコンを立ち上げて農業ポータルサイト『あぐるなび』にアクセス。寝るまでにネットで農業の勉強だ。さぁ、農業やるぞー。
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