残暑の陽炎

ながのさん

〜罪と罰〜

今朝は渡り廊下で雀が死んでいた。7月の猛暑にやられたのだろうか。皮肉なくらい晴れた空を眺めたら、私は教科書のニーチェを机に叩き伏せ、眼前の白い首筋に目を向けた。

「何か付いてる?」

同級生の遥香が首を擦りながら聞いてきた。彼女は脚を閉じ、机の背もたれに手を乗せている。あまりにも純粋に聞かれるものだから、胸の内の核に触れられたような気がして、咄嗟に嘘を言った。

「ああ、小バエがね」

もう少し何かあったろうに、飛び出したのはお粗末な嘘だ。

「本当?気付かなかった。次は早く言ってね」と穏やかに笑う彼女だが、私の心を蛇が戸愚呂まいてぐるっと締め付けた。私は彼女の白くて綺麗な首筋を舐めるように見ていたのだ。彼女を独占し、消えない跡を付けることを頭で描いている。

「ああ、申し訳ないね。」

私は自分さえ騙すようにヘラヘラとおどけて見せた。欲望の対象にされているとも思わない遥香は「翔子は意地悪だよ」と笑い立ち上がる。

「それより、次体育だからさ。着替えちゃおうよ」と言いながらブレザーのボタンを外し始めたのだ。

その仕草は日本舞踊のように美しく、ドブ川のように汚らしい私の腹の奥をグツグツと沸かす。瞬きすらできなかった。

「何見てんのよ、スケベ」と冗談交じりに彼女が胸を隠すので、「ごめんって」となんとか正気を取り戻して着替えを始めた。

私がボタンを外し始めたその時、バシン!と後ろで大きな打撃音が鳴った。

「痛い!!やめて、叩かないでください...」振り向くと泣きそうな声で訴えるクラスメイトが蹲っていた。

遥香はすぐに私の肩を掴み「見ちゃダメ」と囁くので、私は無言で頷いた。そのイジメに異を唱えるようなことをするなら次の標的にされてしまう可能性があるからだ。

入学して1年以上経つが、このクラスではイジメが絶えない。定期的に変わるターゲットに対する暴力や無視が行われており、それを止めるものもまた標的にされてしまうため、誰も助けたがらないのだ。

しばらくすると、次の標的の席には花瓶が置かれる。それを確認したクラスは全体で無視、一部が攻撃を始める。担任の教師は面倒事を避けて見て見ぬふりだ。それは正しく獣の檻である。

私達はすぐに着替えを終え、その場を離れ体育館に向かった。

私達は到着すると端の方に座り込んだ。

「さっきは危なかったね、肝を冷やしたよ」と遥香が囁いた。

私は「うん、助かった。ありがとね」となるべく自然に抱擁をした。

ただ、何を隠そうこのクラスのイジメを作り上げたのは私だ。実行犯に援助交際で稼いだ金を渡してこの環境を作り上げてきた。

何故そこまでしてと思うだろうが、答えは単簡なものである。遥香を私のモノにするべく、ゆくゆくは彼女を標的にし、そこから私の手で救い出すというシナリオの準備だ。なるべく自然な流れを作るため、実行犯にはかなり前からイジメをさせている。

最早真性のクズであり、あまりのクズ加減に我ながら圧巻している。

ちなみに、実行犯は家が貧乏な連中を集めており、理由は確実に金で釣るためだ。

この一年半は学校で遥香と喋り、それ以外の時間は援助交際で金を稼ぎ、実行犯を買収することの繰り返しだった。

だが幸いなことにこの生活が終わるまで秒読み。夏休み明けに私は遥香にイジメを仕掛け、完璧な勧善懲悪を演じ切る。

7月19日。悲鳴のように蝉が鳴いていた。


夏休み。私は無心で体を売り捌いていたが、何故顔も名前も知らない男とセックスすることにこんなにも無関心でいられるのか自分が不思議で仕方がなかった。

自分のルーツはどこにあるのか。まあ、知らない男とセックスすることが「自分」であると言うにはあまりにも悲しすぎる気はするけど。

私はそっと目を閉じて追憶した。

私は冬に関東の田舎でも都会でもない病院で長女として産まれる。当然女として育てられたものの、私の心の一部は男で形成されている。・・・少し言葉を間違えたかもしれない。寧ろ、基本的に恋愛対象が女だということだ。俗に言うバイセクシャルというやつだろうが、どちらかと言えば女の方が好きって感じ。

そう認識したのは中学一年生の冬休みだった。

女の子の友人の家に招かれ、夜は一緒に湯船に浸かったのだが、冷えた体を温める彼女に形容し難い感情が込み上げてきたのだ。それは一時の気の迷いではなく、ハウリングの如く時が経つごとに鳴り響いている。

気色が悪いもので、それからと言うもの女体に対して奇妙な胸の高鳴りを覚えるようになったのだ。最初は何が起こっているのか分からなかったが、背が伸びるに連れてそれが性的な脈であることも、本来は異質なものであることも心の奥底に刻まれていった。いずれにしても隠さねばならないものであるとも。

そして時折、腹の奥のぐちゃぐちゃしたものが激しく呻き出すようになった。自分では御せない鈍ましい化け物だ。何とか掻き出して鎮めようとするのだが、如何せん酷いときは収まらない。

そしてそれが学校で始まるなら厄日で、予感がした途端に保健室に駆け込み、体調不良を理由にして一目散に帰宅する。自室では遠足の写真に写る同級生の女子を穴があくほどに視姦するのだ。まるで暑い日にアイスを好きなだけ貪るような時間だった。その様は宛ら獣である。

そんなくだらない人間が私なのだ。それ以上でも以下でもなく、それ以外に説明は不可。

いや、一つだけあったかもしれない。私は幼い頃、義父に悲しいことを教えられ、犯されていたのだ。というのも、物心つく前に両親が離婚し、実母とその再婚相手である義父との3人暮らしになるかと思いきや、実母は結核ですぐに亡くなり義父と二人暮しになった。

人としては歪に形を成し、私は欲望に忠実に従い女子校に入学した。

そんなことを考えていると携帯からメッセージの通知音が鳴った。見てみると今日の相手からのものだったため、私は無味乾燥な言葉で返信し、待ち合わせ場所へと向かった。夏休みは遥香と会う以外そんな日々だ。



長い夏休みが幕を閉じ、9月の開始を告げるチャイムが鳴り出すと同時に私の本性は暴れだした。

実行犯に依頼した通り、花瓶は遥香の席に置かれており、その様子を教室のドアから隠れて見ていた私の腹の奥は小さく呻いていた。

遥香は恐る恐る席に着いたが、顔面は蒼白し冷や汗もかいているのが目視できる状態だった。

彼女が椅子に座るやいなや、実行犯の一人がペットボトルの水を頭からぶっかけた。反抗的な目をする遥香。

「喧嘩売ってんの?」と実行犯が口にしたのも束の間、鈍いビンタの音が教室に響いた。

他の3人は新たな玩具を見つけたように取り囲み、非常に楽しそうにして髪を掴み平手打ちを食らわせたりし始めたのだ。普通なら見るに堪えない光景であるはずが、不思議と私の腹はこれ以上ないほど呻いていたし、更には呼吸も品を失って乱れていた。これから彼女が私のモノになると思うと興奮が収まらなかったのである。・・・いや、違うかもしれない。あろうことか私はボロボロになっていく遥香に対して性的興奮を覚えていたのだ。自分でも不思議でならなかった。罪悪感に紛れて黒い獣が垣間見えてしまうことに、我ながら驚いていた。

溢れ出る性欲を抑えるべくなんとか理性を手繰り寄せ、席に座ると「ウケるー。こいつの写真ストーリーで流そうよ」という声が聞こえてきた。

やめろ。それだけは困る。こんなにも唆る遥香の写真を世界に公開されては、それをネタにして自らを慰める連中が出てくるじゃないか。如何せんそれだけは許し難く、焦燥を感じ彼女らの方を見てしまった。すると、どうだろう。遥香と目が合ってしまったのだ。

私はボロボロの彼女の姿やこれ以上ない絶望を感じる目に吸い込まれるようにして視線を逸らすことができなかった。

彼女の眼からは痛いほどのSOSが伝わってくる。しかし、まだ引きつけなければならない。本当の絶望のどん底から救い出さなければ意味がないと思い、助けることはしなかった。

2秒ほど目が合うと、実行犯達は視線を送る私に気が付いた。異変に気が付いた彼女らは

「てか先生来るじゃん。放課後続きやるから逃げんなよ」と釘を刺して席に着いた。

結果として助けてしまったような気はしたが、その日遥香は一度も話しかけて来ることはなかった。

日課の4時間に及ぶ援助交際が終わり帰宅すると、自宅の家電から実行犯達の家に「学校付近の高架下に来てくれ」と連絡した。

ちなみに家電から連絡するのにも高架下に呼ぶのにも理由がある。どちらも証拠が残りにくいからだ。

携帯から連絡すると目に見えて証拠が残ってしまうし、コンビニやファストフード店だと監視カメラに映ってしまう可能性がある。もしものことを考えれば妥当な判断ではないだろうか。

私は義父に「コンビニへ行ってくる」と伝え、足早に指定の場所へ向かった。


「おっ、早いね。」

「まあ、金は欲しいから...」

早歩きで家から歩いてきたが、実行犯達4人の飛奈、瑠璃、咲良、七海は先に到着していた。

「でさ、今朝の件なんだけども証拠が残るようなことは絶対にしたらダメだからね。いつ誰が見てるか分からないんだから」と私は少し強めに言った。

「あのとき視線を感じたからストーリーには上げなかったけど、そういうことね」と飛奈が言っているが、無論それが理由ではない。単純に遥香を独り占めしたいという願望を叶えるためである。どこの馬の骨とも分からんやつが遥香に惚れでもしてイジメによる心を少しでも癒されようものなら、恐らく馬の骨の方に心が動くはずだ。それだけは何としてでも避けなければならないと思った。

「あと2週間。今までにないくらい本気で遥香を追い詰めてほしい。」

「いや、良いけどさ...。アイツ1人で悩んで死んだりしないよね?」と飛奈が問う。

そう。賭けではあるのだ。遥香が鬼のような2週間で精神を崩壊させてしまう恐れがある。

「まあ...。2週間くらいなら...。」

「責任は飽く迄も私達にあるんだからさ。いくらアンタがお金払ってるとは言っても人の命の責任なんて取れないから。そのときは全部暴露して道連れだよ。」

それくらいは覚悟の上での計画だ。

「ああ、問題ない。取り敢えず前払いで1週間分ね。」

「一人頭4万...合計16万。どんだけ体売ったらこんなに用意できんのよ。」

「援交なんて放課後の日課だからね。」

「貞操観念ぶっ壊れてるよ。」

私は鼻で笑った。「傷つくって。」

あまり長い時間外にいると義父に何を言われるか分からないため、切り上げることにした。

「そんじゃ。1週間よろしくね。来週また家電かけるわ。」

「気軽なもんで...。アンタが何考えてんのか本当に分かんない。金払ってまで色んなヤツを虐めさせてるけど、結局何が目的なの?」

そう言えば実行犯には目的を伝えていなかった。だが、別に言う義理もない。

「再来週には分かると思うけどね。」

「何するつもり?こっちには流れ弾来ないでしょうね?」

私は視線を外にやって少しだけ考えた。

「勧善懲悪ってやつじゃない?」

一瞬沈黙が流れたものの、久しぶりに橋を通過した車が静寂をかき消したので、私はこの場を去ることにした。




翔子が去った後の高架下には集められた4人だけが残った。

「かんぜんじょうあく...って何か知ってる?」

そのうちの一人である瑠璃が初めて口を開いた。

「勧善懲悪ね。分かりやすく言うと、ヒーローが悪役をやっつける、みたいな...。」

物憂げに答える咲良だったが、飛奈が「それって私達のイジメを上の方に告発するってこと!?」と被せてきた。不安に駆られているのだ。

「それはないと思う。」

七海も初めて口を開いた。

「なんで?」と飛奈。

「あちらから見れば私達に金を渡して虐めさせている証拠を取られてる可能性があるから、そんなことはできないはず...。もし告発しても主犯であることがバレたらタダじゃ済まないだろうからね。私達に危害は加えられない。」

「確かに」と一同は納得。

「じゃあ勧善懲悪っていうのは...?」

少し間が空いてから瑠璃が問い、七海が答える。

「多分...遥香をイジメから救うように見せかける...とか?」

「何のために?」と瑠璃。

七海は10秒ほど考え込み、静寂に風の音だけが流れた。

「これ以上2人が仲良くなったところでメリットなんてないはずだけどね...。」

不安と疑問、車と風の音が混ざり合い、残暑特有の気色悪さが四人の心臓を撫で回していた。

「悪魔みたいだよな、アイツ。」



4人との取引の帰路。今、遥香に対し何をすれば自然なのかを考えていた。

突き放す振りをして一気に助けるか、或いは今から手を差し伸べておくか。前者であれば助け出したときはよりドラマチックではあるかもしれないが、後者の方が自然ではあるだろうし、今から依存させておけば性別の壁を越えられる可能性が出てくる。

そう踏んだ私は彼女へLINEを送ることにした。

「今日...大丈夫だった...?遥香の机に花瓶が置かれてたのを見て、どうしようって思ってたらあの4人がすぐに来ちゃって...。私、怖くて何もできなかった...」

こんなもんだろう。既読はすぐに付いて返信が来た。

「大丈夫だよ。翔子は何も悪くない。私のことをいじめてもそんなに面白くないだろうし、すぐに終わるだろうからそれまではお話したりするのはお預けだね。」

「何もできなくてごめんね。何があっても私は遥香の味方だからね。」

すかさず「そんなこと言ってくれるのは翔子くらいだよ。ありがとう」と返信が来た。

ああ、気持ちよすぎる。彼女が着実に自分のモノになっていると思うと、その事実だけでご飯3杯はいけてしまいそうだ。

私はSNSで来週の援助交際の相手を決め、ピルを服用し、眠りについた。



曇天が重く垂れ込んでいる9月の朝。気分は最悪だった。

あれから1週間と4日が経ち、私に対するイジメは日に日に加速していく。

不眠、食欲不振、吐き気などを催すようになり、最近は生きている心地がしていない。ここ数日は食べ物もまるで砂を噛んでいるようだ。

なるべく反応しないようにしているのに、イジメの中心にいる4人は飽きる素振りすら見せない。やはり1ヶ月は耐えるしかないのだろうか。

しかし、何故だろう。今まで傍から見てきたイジメよりかなり過激な暴力をされる。

中でも目立ったのがスタンガンを使った暴行だった。女子高生が行うイジメだとは思えない。

飽きが来たのだろうか...それとも私が反応しないから...?いや、反応しない人が他にもいたことを考えれば前者だと推測するのが妥当だろう。

私がターゲットである間耐えきったとして、次の被害者は耐えきれるのだろうか。その保証はないだろうし、今からエスカレートしないとも限らない。

証拠を残してSNSで流すか...?いや、拡散されるとも限らないし、それが本人達に知れてしまえばその後何をされるか分かったものじゃない。

ああ、まるで正常な思考ができない。逃走本能が研ぎ澄まされて体が正常な動きをしていないことが分かる。

「遥香、早く食べて学校行きなさい」

微塵も事情を知らない祖母が急かしてくる。

「もういい、ごちそうさま」

祖母とは二人暮らしなため、転校は難しいだろうし、根本的な解決にならない。

取り敢えず玄関を出て、なんとか足を引きずるようにして通学路を進んでみたが、いっそのこと死んでしまった方が楽なのではないかと本気で感じている。

踏切が見えた。ここに飛び込めば何も考えなくて済むのだろうか。

私はギリギリの所まで近づいてみた。

踏切の音が鳴り始めたが、心臓の音にかき消されて何がなんだかまるで分からなかった。

そのとき、曇り空から雫が落ちたかと思われたが——

「え...」

涙が溢れていたのだ。これまで流したことがないような大量の涙が零れていた。生から遠ざかろうとしていたかと思ったが、私の体は私を守ろうと警報を鳴らしていたのだ。

「お嬢ちゃん!?ちょっと!?大丈夫!?」

40代前半くらいのサラリーマンに声をかけられていたことに気が付かなかった。

「はい...」

踏切から一旦離れ、周りを見渡すと私の方を見ながらザワつく10名弱の老若男女と...心配そうに見つめる翔子がいた。

私はクラスメイトが近くにいないことを確認し、翔子に近づいて手を握った。

「遥香...?」

私は少しだけ正気を取り戻していた。靄がかかったような思考は晴れて、何が最適解か導き出すことができる自信があった。

「翔子...君は誰よりも大切な友達。絶対に守るから。」

翔子は複雑そうな表情を見せた。

「友達...」と呟く彼女を背に、私は学校へ歩き出した。

これ以上被害が広がらないように。肉を切らせて骨を断つ。

いつの間にか空も晴れていた。



私は教室に到着すると、自分の携帯のカメラを対角線上に窓に向けて置き、YouTubeで動画配信を始めた。これで確実に証拠が残る。数分するといつもの4人が私の周りに集まってきた。

「おっ。なにその反抗的な目つき。腹立つんだけど」とビンタ...ではなく今日は拳を喰らった。痛い。

「やめて!!」

私は初めて4人に対して声に出した。

「なんだ!言えるんじゃん!やめないけどね」

後ろから蹴りを入れられた。机に強くぶつかったが、殴られたときほどの痛みはない。

「なんでこんなことするの!?前からずっと!」

しばらく被害を受けていることをカメラに収める。

「おもしれえからだよ!」とビンタされた。

さて、10分ほど証拠が取れたら上出来だろう。

私は崩れ落ちるフリをした。この教室は3階...落ちても骨折くらいで済むはずだ。一矢報いる準備はできた。

「いや​───────!!!!!」

私は人生で初めて絶叫した。4人は急な事態に硬直。今しかない。

私はカメラから映る窓に全速力で向かった。4人だけでなく、クラスメイト全員の注目が集まっている。

私は勢いよく窓から飛んだ——

「遥香!!」

私が最期に聞いたのは友達が呼ぶ声だった。



「...遥香を救うシナリオ...ね。」

「そう。これで完成。」

遥香へのイジメが始まってから1週間。私は再び4人を高架下に集めていた。

「私がイジメの様子を携帯で撮影したっていう体で4人を追い詰める。君たちは沈黙し、私は遥香の手を握って学校から逃げる。その日は授業に出ない。それだけ。」

「それだけ?」

飛奈は拍子抜けといった様子だった。

「君たちの仕事はね。これで終わりだよ。」

「待った。報酬は?」

飛奈は掌をこちらに向けて言った。

「どうせ普段と同じだと納得しないだろうと思って、2倍用意する。今は普段通りしか渡せないけどね。」

私は16万円ポッキリを彼女に渡した。

飛奈は札の枚数を数え残りの3人に分配した。4人は「はーい」と声を揃えた。

「じゃあ、金曜日に決行ね。よろしく。」

「最終的な目標は?」

飛奈の問いかけに私は応じる。

「遥香を私のモノにする。」

「はっ...?そんなことのために体を売って金稼いでクラスメイトをイジメてたの?」

「そんなこと...?」

私は飛奈を目を睨みつけた。

「性別の壁は...正気の沙汰じゃ越えらんないんだよ!!」

私は飛奈に接近し怒鳴りつけた。彼女は黙ったままだ。

「女が好きなのに男に身体売ってたってこと?」

七海が取引の最中に初めて口を開いた。

「バイだからね。...これ以上踏み込んできたら全部ネットで晒すから。」

携帯を取り出して音声を録音しているのを見せつけると、七海は黙り込んだ。

「君たちは言われたことをやるだけ。それじゃ」

私は彼女らに背を向けて帰路に立った。



「遥香!!」

少し遅れて教室に到着した瞬間、窓から落ちていく彼女の後ろ姿が飛び込んできた。

見間違えではない。確実にそうだ。

私は持っていた鞄をかなぐり捨てて窓から下を覗き込むと、実行犯の4人も遅れて覗き込む。他のクラスメイトは窓から覗いている。

「やばい...」

私は後ろにいた飛奈の肩を退けて、全速力で階段を駆け下りた。

玄関を出ると、既に人だかりが出来ているのが確認できる。

私が着くと少し遅れて中年の男の教師2人が走ってきた。

「やりやがったな。デカい騒ぎ起こしやがって...」

「やりやがったな?」

私は無意識に彼のネクタイを握りしめていた。

「何考えてんだアンタ!頭おかしいだろ、こんな時に自分の心配かよ。救急車を呼べ...今すぐにだ!!」

「うるせえな!分かってるわ」と私を突き飛ばして、のろのろと携帯を取り出した。

私はアスファルトに跪いた。膝にアスファルトの凹凸が突き刺さる。

「なんで...」

野次馬のざわめきが遠くに聞こえていた。



「昨日、高校2年の女子生徒が動画投稿サイトに暴行を加えられる様子を配信し、窓から飛び降り自殺を図った問題で、先程死亡が確認されました。」テレビのコンセントを引き抜いた。遥香が病院に送られる際、出ていく救急車を追うようにして学校からそのまま歩いて帰宅してから24時間が立った。

「遥香...」

生きる気力が一切湧かなかった。好きな人を殺めてしまった罪悪感というにはあまりにも安い言葉のように思える。

Twitterを覗けば実行犯4人の名前と卒アルの顔写真、及び配信されていた動画が上がっている。恐らく、彼女らが私の名前を出してそれが世間に出るまで秒読みと言ったところだろう。完全に私の未来は絶たれたのだが、そんなことは最早どうでもよかった。

「ねえ、翔子」

蹲っていた私はガバッと飛び起きた。聞き間違えではない。死んだはずの遥香の声がしっかりと聞こえた。

「遥香!?ねえ!どこ!?」

声帯が擦り切れるくらいに叫んだ。少しして、誰もいないはずの家のドアから誰かが出ていく音がした。時間帯的に義父ではないだろう。

「待ってよ!!止まって!!」

玄関を出ると、学校へ行く道の方向のずっと向こうに遥香の後ろ姿があった。

「ああ...」

私は全速力で彼女の背中を追いかけた。もう走り終わった後にはくたばってしまっても良いとすら思っていた。

2分くらいだったろうか。肺が破裂するくらい全速力で走り、息は絶え絶えだ。そして、遥香はいつもの踏切で立ち止まっていた。

「ねえ」と声をかけたが、彼女は無言で私の手を引いて前に進む。踏切の中で背を向けて数歩離れた彼女は、背を向けたままゆっくりと私を指さした。

八月が終わった後の空には踏切の音がひたすらに悲しく鳴る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残暑の陽炎 ながのさん @naasann_nagano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ