第36話 戦慄

「さあ!!ミオンちゃん!!無情の猛雨を降らしましょう!!愚かな人間達に天上と地下から同時に水を与えてあげるの。雨音が奏でる旋律を戦慄に変えて、沈む街に葬送曲を響かせましょう!!音楽葬!これは街の音楽葬だわ!!」


 奏和ちゃんの叫び声と共に暗雲が垂れ込み、遠くから雷鳴が聞こえだす。

 そして天空から肌を突き刺すような冷たい雨が大量に落ちてきた。


 絵の具で顔を真っ赤に変えた奏和ちゃんは走りながら宇治橋の方に向かった。

 それを僕達より先に機動隊が追う。

 だが……。


「グワッ!」

「ウワッ!」


 次々と切られていく。誰も近づく事も武器を構える事すらも出来ない。

 機動隊は為す術なく後退していく。


「た、助けてくれ!家族が……家には赤ん坊が居るんだ!頼む!やめてくれ!」


 奏和ちゃんに切られて地面に倒れ込んだ機動隊の1人が懇願する。

 それを聞き、奏和ちゃんは立ち止まって鬼の形相で叫んだ。


「助けて?奏和も何度も助けて!助けて!助けて!助けて!助けてッ!って叫んだわ!!でも誰も助けてくれなかったじゃない!!それなのに自分達だけ助けろって?厚かましい。それは厚かましい話だわ!!」


 叫ぶと同時に地下から大量の地下水が吹き上がり、その機動隊員は遠くに弾け飛んだ。


「アハハハ。無様。これは無様だわ。アハハハ……」


 機動隊だけでなく、地下水の吹き上げでパトカーまでもが、まるでオセロの駒のようにひっくり返されていく。

 僕達はコヨリさんの防御で何とか守られているが、奏和ちゃんの元へ近づく事は困難で、この状況を呆気にとられながら見つめるしかなかった。


「平安時代の橋姫も叫んだのよ!愛する人に裏切られ、悲観してたのに誰も助けてくれなかった。助けてくれたのは貴船の水の神様だけだったのよ。奏和も一緒。助けてくれたのは水の神様のミオンちゃんだけだったわ。人間なんて要らない。不要。これは不要だわ」


「ミオンの歌を作っているのは人間だ!!沢山の人間によってミオンは存在している!!君を傷つけたのは沢山の人間かも知れない。だけど君の心を救ってたのも沢山の人間なんだ!!」


 僕は再び走り去ろうとする奏和ちゃんに向かってその場で叫んだ。

 彼女は首を振りながら、こちらを睨む。


「違う……ミオンちゃんは神様よ。それを証明してあげるわ。今からミオンちゃんと世界中の人間を消すの。穢れた人間世界を全て水で清めるわ。先ずはこの街から。浄土。これは浄土だわ」


 奏和ちゃんはそう言って走り去る。


 後を追いかけようとした僕達は、地下から噴水のように吹き出した泥水に遮られた。


「ツナ!ヤバい!空がッ!」


 ペトリコールの香りがしたと思ったら、一瞬で掻き消された。

 香りもへったくれもない。信じられないほどの土砂降りがいきなり襲ってきたのだ。

 不気味な暗やみと共に激しい雷光と雷音に包まれた空は、嵐のように荒れ狂う。

 まさに天の怒りを買ったかのようだ。


 狼狽する警察の人達の声が飛び交う。


「君達は高い所に避難しろ!このままじゃ宇治川が氾濫して流されるぞ!」


「こんだけ地下水が溢れて来てたら何処に逃げても一緒や。奏和止めんと解決せんわ!」


 豪雨に僕達の声も届かなく成ってきていた。

 奏和ちゃんは橋の欄干に上り天を仰ぐ。

 その姿はまるで雨乞いの儀式みたいだ。

 僕の脳裏で、比企野さんが死んだ時と重なる。


「降りるんだ奏和ちゃんッ!!」


 下は物凄い勢いで濁流が流れている。

 しかもこの寒さだ。落ちたら一溜りもない。


「今、嫁と連絡が取れた!市内も土砂降りらしい。鴨川と桂川も氾濫する勢いだそうだ」


「先生!!奏和ちゃんを早く橋から降ろさないと……」


 警察の装甲車が橋に突進しようとしたが、水で道路が崩されて進めない。

 この雨と雷だ。ヘリコプターとかも近づけないだろう。


「駄目だ!これじゃ自衛隊やレスキュー隊も瀬尾には近づけないぞ!」


 誰も止められない。

 水を操れるという事は無敵なのか?

 このままじゃ……このままじゃ京都は水に沈む……こんな大惨事に成るとは思わなかった……僕一人で彼女に会って説得するべきだったんだ。

 彼女の気持ちをもっと考えるべきだった……。

 


 天空では雷鳴がゴロゴロと轟く。

 川は激流でゴウゴウと唸る。

 地面は濁った地下水をゴボゴボと吐き出す。

 そして辺りは大量の雨がザーザーと全ての物を必要以上に濡らして行く。

【f分の1ゆらぎ】とは真逆の不安に成る水の音達が、不協和音と成って恐怖の演奏を行い出した。

 この演奏は死に至る曲なんだと、DNAの中の記憶が教えてくれる。

『逃げないと確実に死ぬ』と……。



「「「「オン、バロダヤ、ソワカ!」」」」


「急急如律令!」


「畏み〜畏み〜!」


 石英さん達が、そして先生とコヨリさんが、それぞれの呪文を唱える。

 だが水の勢いは止まらず、増すばかりだ。


「今、おそらく京都中の術者や神託者が祈っているはず……だが治まる気配は無い……」


 石英さんが意を決したように先生達に言った。


「仕方ない……禁忌だが我々が呪詛返しを行う。それしか手は無い」


「はあ?俺の教え子を呪い殺す気か?」


「やめとき。呪詛返しが効く相手ちゃうわ。返り討ちにあって無駄死にするだけやで」


 の、呪い殺す?

 奏和ちゃんを?


「ま、待って下さい!!彼女は誰も殺してません!人を切り裂いたりしましたが、誰も致命傷までは与えて無いんです!なのに殺すなんて!!」


「……少年。残念だがあの子はもう君の知ってる少女ではない。手遅れなんだ。今までどうやって抑えていたかは謎だが、最悪の怨霊に取り憑かれたのだ。もう救う事は出来ないだろう。供養は我々がちゃんとする」


「彼女は元々優しくて良い子なんです。その優しい心が今まで怨霊を抑えていたのかも知れません。今も良心が有るから向かってくる警官隊の人達を殺せないでいます」


「時間の問題だ。平安時代のハシヒメがそうだったように、そのうち復讐相手だけでなく、誰彼構わず殺すように成る。例え今この水の惨劇を止めても、いずれあの子は殺戮マシーンと化すんだ。そうだ。人間の心を持たない機械のように人を殺しまくるように成るだろう。そんな彼女を君は見たいか?今、成仏させてあげよう。人で有るうちに……」


「彼女は機械でも鬼でも無い!!人間です!!勝手に見捨てないで下さい!僕が、僕が説得してみせます」


「石英さん……」


 僕達の間に先生が割り込んで来た。


「瀬尾はこのツナにだけ心を開いていた。瀬尾を殺しても、今度は瀬尾が新たな怨霊に成るだけだと思う。だったらツナに任せてみてくれないか。もしかしたら憑依したハシヒメ共々抑えられるかも知れない」


「どうやってだ?近づく事も出来ないのに、どうやってあの少女を説得するんだ?」


 その時だった――


 ♪、♪、♪、♪、♪、♪、〜


 天空のあちらこちらでバチッバチッとスパークが起こった。

 閃光は雷と言うよりまるで静電気のようで、弾く光も音も小さい。


「ミオンちゃんだわ……」


 奏和ちゃんの声がコチラに微かに届いた。

 ミオン?


 天空のスパークは、やがて「キュイーン」という音に変わる。まるで電子楽器がハウリングを起こしているような奇妙な音だ。

 そして……。


 ♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜


 何だこの音は?

 電子音か?

 今度はいったい何が起こるんだ……。





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