第13話 傷

何処どこや!!マフラー女は?」


「奏和ちゃんも居ない!!」


 僕達二人は息を切らしながら、中庭のベンチにたどり着いた。だが、奏和ちゃんもマフラー女も見当たらない。


「クソー……校舎に入ったか?」


「別館の方かもしれない」


 行き先を変えて別館の方に向かって走る。

 できれば奏和ちゃんには、部室に逃げ込んでいて欲しい。音が遮断できるからだ。

 そうだ!部室に行くようメールをしよう。

 そう、思った時……。


 ♫♫〜∷∴∶∵♪♫∵︰♪♫〜――


「聞こえる……」


「どうした?」


「例のノイズの入った曲が聞こえるんだ!」


「どっちや!!」


「体育館の方だ!!」


 幻聴じゃない。明らかにあのノイズが入った曲が雨音に混じって聞こえてくる。

 僕達は別館横にある体育館の方へ進路を変えた。雨の中、足が滑りそうになりながらも全力で走る――

 走る――

 走る――

 走っている最中も「間に合ってくれ」「間に合ってくれ」と、何度も口に出しながら祈った。


「ハァ、ハァ……居たぞ!」


 体育館裏に入った時、その女を見つけた。

 大きな赤いマフラーで顔の半分を覆った、ザンバラ髪の女生徒がこちらに背中を向けて立っている。

 手に持つスマホからは例の曲が流れていた。殺人の曲だ……。


「奏和ちゃん!!」


 マフラー女の前方に、スケッチノートを胸に抱えながら怯えて立っている奏和ちゃんがいた。狙いは、やはり奏和ちゃんか。


「キサマ、誰やッ!!マフラー女!!」


 マフラー女はチャリオの呼び掛けに答えない。

 いや、聞こえて無いんだ。

 何故なら女は耳栓をしていたから。


「瀬尾……お前なんだろ?」


 マフラー女が低い声で喋った。

 その台詞は奏和ちゃんに向けてのもの。


「お前なんだろ……」


 奏和ちゃんが震えている。

 寒さだけではないだろう。

 マフラー女の声と様子は、どす黒い殺気のオーラが漂っている。まるで今にも噛みつきそうな大型犬のような……。


「お前なんだろうッがぁ!!シゲキとタクを殺したのはよぉー!!」


「知らない!それは本当に知らないわ!!」


「おい、マフラー女!!比企野なんか?顔見せろやッ!!」


 気配に気付いたか、女がこちらを向いた。

 目元しか見えないが、比企野さんに似ている。その口調は別人のように荒いが……。


「誰だてめえらぁ?ああ!思い出してやった。タクに付いてたゴミかあ。じゃあ共犯だ。てめらも死ね、てめらも死ね、てめ死ね、てめ死ね、てめ死ね〜てめ死ね〜――」


 女は寄り目に成り、首を縦に何度も振り出した。巫山戯て遊んでる雰囲気ではなく、明らかに異様なテンション。それはまるで何かに……。


「アカン、まともや無い。ツナ!二人で飛びかかってスマホを奪おう」


「わかった」


 チャリオが突っ込み、スマホを取り上げようとしたが――


 ♫♫#〜♪♪〜♫♫〜♪〜――


「待てッ!!チャリオ!!曲が終わる!!」


 ――♪♪〰♪!!


『シュリーン』というような音が耳に響く。

 時代劇の抜刀や鍔迫つばぜり合いのシーンに使う効果音みたいな音。長い金属どおしを素早く擦り合わせたような音だ。

 その音を聞いた時、一瞬時が止まったような錯覚におちいり、そして黒板を引っ掻く音を聞いた時のような、もどかしい不快感を覚えた。


「しまった!!」


 前方に居た奏和ちゃんが、その場にへたり込んだ。

 チャリオも動きが止まり、崩れるように片膝をつく。

 チャリオはそれでも手を伸ばし、スマホを取りあげる事は出来なかったものの、女のマフラーを掴む事に成功した。

 マフラーは引きずり下ろされ、女の顔があらわになる。その顔は……。


「ウッ!!」


 僕は思わず息を呑んだ。

 その顔は比企野さんだった。

 だが、顔の下半分は僕の知っている比企野さんの面影を無くしていた。

 おびただしい数の小さな切り傷が、肌の色まで変えている。傷は百以上は有るだろう。頬は中の肉が見え、唇は歯茎まで見えている……痛々しくて目を覆いたくなる。

 一見、ハロウィンの時に使うタトゥーシールか、ホラーメイクだと思ったぐらいだ。

 どうしてこんな酷い事に成ったのか、見当がつかない。


「キャッーハッ〜♪ヤッリッ!ハイッ!お前ら死んだ〜!」


 ホラー顔の比企野さんが喜びながら足元でひざまずくチャリオを蹴ろうとしたが――


「ボケがッ!!」


 チャリオは立ち上がり、比企野さんの右手に持つスマホを奪って地面に叩きつけた。更に何度も踏みつけ、スマホは水たまりの中でショートしながらボロボロに破壊される。


「あんなー、俺はミオンさんを世界一の歌手にするまで死なんのや。あっ!聞こえるかッ!!スマホは木っ端した!!お前の武器はない!!さあ、まずはミオンさんを悪用した事をミオンさんに土下座して謝れ!!」


「あーん!でも、そっちもう要らないから、別にいいよ〜ん〜♪」


 そう言って比企野さんはブレザーの左ポケットから、ICレコーダーを取り出し、チャリオの顔に近づけた。ま、まさか……。


 ♪♪〰♪!!


 再び『シュリーン』って音が鳴った。

 体内から力を奪われたような感覚に襲われ、耳元でまともに聞かされたチャリオは地面に伏せるように倒れる。

 僕もその場に崩れそうになった。


「あれ?お前ら中々死なねーな?まーいーやー!ゆっくり、このまま、ナブリー、ナブリー、なぶりごろぉしぃー♪」


 奏和ちゃんもチャリオも力尽きて倒れ込んだが、まだ息はある。

 コヨリさんの御守りが守ってくれているんだ。だが、何処まで耐えられる?

 僕はまだ立っていられる。

 体に嫌な音を聞いた感覚が残ったままで、うまく力が入らないが、それでも動く事ができる。僕が何とかしないと、このままじゃ二人が……。


 ♪♪〰♪!!

 ♪♪〰♪!!

 ♪♪〰♪!!


 何度も抜刀音が再生される。

 まるで黒板を引っ掻く音と、発泡スチロールを擦り合わせる音と、銀紙を奥歯で噛んだ時の音とを一遍に聞かされたような、とてつもなく不快なゾワッゾワッ感が体内から襲って来る。

 頭と体が『この音は危険だ』と警告しているのだ。

 たが、僕は逃げるわけにいかない。


「ウオオオォォォオオオオ!!僕に呪いは効かない!!呪いは効かない!!呪いは効かない!!」


 大声で叫んだ。

 暗示に勝つには暗示しかない。

 僕は御守りを握りながら、自分に反呪いの呪文をかける。


 ♪♪〰♪!!


「呪いは効かない!!」


 ♪♪〰♪!!


「呪いは効かない!!」


 ♪♪〰♪!!


「僕に呪いは効かない!!僕に呪いは効かない!!僕に呪いは効かない!!」


 降りしきる雨の中、殺人音と僕の声がぶつかり合う。

 不気味な形相で比企野さんは何度も何度も抜刀音を再生した。

 僕はよろめきながらも間合いを詰めていく。

 あと少しでレコーダーに手が届きそうに成った時、比企野さんがこう言った……。


「キモい男。瀬尾のようにイジメ倒してやろうか?」


「えっ?」


 その瞬間、喉の奥から液体が逆流する感触を覚えた。

 その液体が口から滴りだす。

 地面に赤い液が落ちるのが見えた。


「僕は……僕は切られたのか?……」


「ツナ!!アンタは切られてへんでー!!」


 僕の後ろから声がした。

 僕に勇気をくれる声が……。


かしこみ〜かしこみ〜もうす。願わくは〜このもの〜産霊むすび、くくりたまへ〜!」


 体のゾワッゾワッ感が薄らいでいく。

 別の力が内から守ってくれる感覚がした。

 優しくて、暖かい力が……。


「ツナ!よう頑張った!後はうちにまかしいっ!」


 後ろを向くと、更に御籤箋みくじせんが増したコヨリさんが御幣を持って立っていた。

 その凛とした姿は神々しく、本物の神様が降臨してくれたようで、思わず泣きそうに成る。


「比企野!!うちが相手や!!」


 呪いと祝詞。

 強い言霊同士が相対あいたいする………。

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