第9話 マフラーの女

「ああ。それ、比企野って子だろ」


「比企野?タクの恋人だった比企野さんですか?」


「そう!俺もその時、初めて会ったんだけどな」


 僕達は昼休み、食堂の片隅で一人ラーメンを啜る阿部先輩を捕まえた。

 先輩は友達と連れ立って行動するのを嫌うので、よくここで一人で居るのを見掛けていたから、探すのは非常に楽だった。


 先輩の話によると、姫川先輩が入院した次の日の昼休みに、部員達が心配して集まってないかが気になって、鍵を持って部室に向かったらしい。部室の前に立っていたのは部員ではなく、顔の半分以上をマフラーで隠した見知らぬ女生徒だった。阿部先輩は声を掛け、その女生徒を部室に入れた。その女生徒は「比企野」と名乗り、タクの事や僕達の事を聞いてきたらしい。その時先輩は、タクの彼女だった事に初めて気付いたらしいのだ。


「俺もあんまりタクの話を聞いてなかったから、最初は気付かなかったのよー。『あー、そう言えば彼女出来たって言ってたなー』って感じ」


 5分ほど先輩がその女生徒と話をしている時、奏和ちゃんが扉を開けて現れたらしいのだ。奏和ちゃんが直ぐに戸を閉めたので、先輩は後を追ったのだが……。


「瀬尾と比企野ちゃんは、顔見知りなんだろ?俺は顔を隠してるから、瀬尾は比企野ちゃんだと気付かずに出て行ったんだと思って、呼び止めに別館の入口まで追いかけたんだけど、結局瀬尾は走り去って行っちまったんだよ。仕方なく部室に戻ったら、比企野ちゃんも居なくなってた」


「……メモリーはその時どうでした?パソコンは開いてました?」


「あれ?どうだったろ?メモリーは俺が出る時は無かった。けど、俺が部室に入った時は有ったかなー?無かったかなー?悪い、記憶があやふやだわ。あっ!そうか、お前達が探してるメモリーは、比企野ちゃんが持って行った可能性が有るのか」


「先輩、それ本当に比企野さんですか?比企野さんは3学期が始まってから今日まで、ずっと学校休んでるんですよ」


「えっ?そうなの?それは知らなかった」


「部長!その女の髪型は、軽いウェーブのセミロングやった?」


「いや、ザンバラのショートやった。美容院でカットしたと言うより、自分で適当にカットしたみたいな……」


 僕とチャリオは顔見合わせた。

 あんまりコイツと顔を見合わせるのは、気持ち悪くて嫌なんだけど。


「その比企野さんは何を聞いてました?僕達の事を聞いてたんですよね?」


「そうだな……特に瀬尾の事、瀬尾とタクに男女の関係が無いかを聞いてたよ」


「えっ?!」


「あっ!これ、喋るなと言ってたな。まっ、いっか!」


「……他に何か気に成る事ありませんでした?」


「うーん。悪い、覚えてねえ」


 そう言って阿部先輩は、残ったラーメンの汁をレンゲで掬って啜りだした。


「何か思い出したらメール下さい」


「分かった。それよりお前ら、歌餓鬼大作戦のチケット手に入れたんだってなー。羨ましいぜ」


「先輩は抽選落ちたんですか?」


「おうよ!京都の真冬で行う野外コンサートだぜ!まさか3万枚のチケットが瞬殺だとは思わなかったよ!府外から来る奴は、京都の寒さを侮ってやがるよなー。なあなあ、ツナよー、チケット余ってないか?タクも行く予定だったんだろ?」


「あー残念です。タクの分は友達にあげちゃいました」


「マジかよー?しまったぜ。もっと早く声かけりゃ良かった。お前ら知ってるか?今、転売屋が調子にのって、歌餓鬼のチケットを1枚十万円で捌いてやがるんだぜ」


「そうなんですか?!すごく話題に成ってるんですね!」


「まあな、カミゼンのプレゼンだからな。盛り上がり間違いないっしょ」


 先輩はそう言うと、空になったラーメン丼をレンゲでチンチン鳴らして、リズムを刻んだ。


「お前ら歌餓鬼行くなら気を付けろよ。何か、世間じゃ得体の知れん病気が流行ってるって噂だからな。タクや姫川先輩は、その病気だったのかも知れないし、出歩く時はうつされないようにな」


「先輩も気をつけて下さいね」


「俺は大丈夫。歌餓鬼にも行けないし、殆ど家で曲作りしてるだけだからな」


 それが一番危ないんだけど……。



 僕達は阿部先輩と別れ、中庭のベンチに座った。

 先輩の話しに気に成る点がいくつか有ったが、特に気に成った事は僕もチャリオも共通だと思う。


「どう思う……チャリオ?」


「そうやな……まさか歌餓鬼のチケットが十万円の価値に成るとはな……コヨリにやるんじゃ無かった……」


「えっ!?そこ?!」


「冗談やがな。部長が会った人物が本当ホンマに比企野だったかやろ?」


「たとえ本人だとしても、授業にも出ず、なんで電音部の部室に行ったんだろ?」


「髪型変わってマフラーしてたにしても、奏和が気付かなかったのは、おかしいよな?」


「……あと、奏和ちゃんとタクって付き合ってたのかな?男女関係とか言ってたけど……」


「さあな。俺らにナイショで何か関係有ったんかな?」


 僕は少し胸が痛んだ。


「もし、タクが奏和と比企野を騙して、二股交際してたんなら、俺は犯人に拍手送るわ」


「おい、チャリオ!」


「だから冗談やて。まあ、タクが奏和と男女関係が有ったかは疑わしいわ。だいたい部長は、まだ何か隠してるっぽいしな」


 僕もそれは思った。

 急に歌餓鬼の話題に変えたのは怪しかった。

 そもそも阿部先輩は容疑者だ。

 比企野さんが帰った後、メモリーを盗む事もパソコンを編集することも出来るし、ミオンを扱う事も出来る。

 パソコンの知識が高く、家に居る時間も長い。僕が描く犯人像に一番近いのだ。

 僕達の身を案じてくれた人を疑うのは、少々心苦しいが……。


「あっ!雨や……」


 振り出した雨が、僕達の鼻に石の香りペトリコールを運んでくる。

 その匂いが、僕の脳裏にあの時の事を蘇らせた。

 そうだ……この場所だ……。

 あの子を初めてベンチここで見かけた時も、石の香りペトリコールの匂いがしていた。

 初めて声を掛けた時も……。



「ツナ!校舎の中に入るで!」


 雨音が聞こえ始め、僕達は駆け足で本館校舎に入った。

 前髪から雫が垂れるほど、雨は強くなっていた。


「通り雨やな。すぐ止むやろ」


「そうだ、チャリオ。海野さんと吉賀さんって、比企野さんと仲が良かったよね」


「ああ、よくつるんでたな」


「比企野さんの事を聞きに行かないか。何か知ってるかも知れない」


 僕は姫川先輩との約束を思い出した。

 まだ、先生にも友達にも比企野さんの事を相談していない。

 事件のことが有ったので、すっかり忘れていた。


「そうやな。あの二人のことや、昼休みは教室で駄弁だべってるやろ」


 ♪♪〜♭♬〜♪♪〜♫♬〜――


 教室に向う途中、廊下のスピーカーから電子の歌声が流れて来た。


「おっ!『グリーンレインブリンガー』やんけ!!雨が降り出してすぐ流すやなんて、放送部も気が利くなー」


「あー!コレ聞くと、夏休みの土砂降りライブを思い出すよ!4人で、ずぶ濡れになって帰ったやつ!ライブは楽しかったけど、あれは最悪だったよ」


「しゃーないやんけ!ミオンさんのコンサートは絶対雨なんやし、歌餓鬼も覚悟した方がええでー」


「天気予報がなんと言おうと、傘は絶対持っていく」



 __________



 僕達は楽しかったライブの思い出話に花を咲かせながら廊下を歩いた。

 話に夢中だった……。

 この時、もっと思案深く行動すべきだったのだ。

 そうすれば、あんな事には……。

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