第8話 疑惑
勿論授業なんか上の空だ。
平常心を保てるほど、僕は大物ではない。
近くに大量殺人犯が潜んでいるかも知れないのに、呑気に授業を受けれる奴が居るなら見てみたいものだ。
いや……居た。
まさかの目の前に居た。
授業中なのに蒿雀ミオンのクリアファイルを見ながら、涎を垂らしてる男がいる。
心臓に剛毛が生えてるとしか思えない。
コイツに緊張感という物は無いのか?
「おい、チャリオ。お前よく平静でいられるな」
「はん?ビビっても、しゃーないやろ。なるようにしかならんのやから」
僕は斜め後ろの席を見た。
その席の女生徒は、今日から欠席している。
彼女がいつ戻ってくるかも分からない。
早く戻って来る事を切に願った。
「なあ、チャリオ。コヨリさんの言ってた怨霊って、本当に事件に関係あると思う?」
「さあな。俺らじゃ考察しようがないわ。それはコヨリに任せよ。俺らはメモリーの行方を探すだけや」
教壇に立つ教師が「んッ、んー」と咳払いをして、僕らに静粛するよう促す。
僕はごまかすように、教科書で顔を隠した。
あれから再びグループメールで、メモリーの行方を知らないかを聞いた。
だが、誰も心当たりが無いようだ。
現部長の阿部先輩は、顧問の源田先生にも聞いてくれたらしいが、メモリーは預かってないそうだ。
でも、もし電音部に犯人が居るなら、誰かが嘘をついている事に成る。
駄目だ……。
疑心暗鬼で誰も信じられない。
思考回路がうまく働かない。
こんなので、犯人を見つけられるのか?
いや、必ず見つけなきゃ。
気持ちで負けちゃ駄目だ。
♪♪♪♪〜――
終業のチャイムが鳴り、日本史の教師は教壇を後にした。
黒板には薄っすらと、『吾妻鏡』という文字が残されている。
この鎌倉時代の史書『吾妻鏡』に、コヨリさんの言っていた曾我兄弟が出てくるらしいのだ。
1193年、富士の裾野で源頼朝が大規模な狩猟を行なった。この時に曾我兄弟は、旅宿に泊まっていた父親の仇を討ち、頼朝も殺害しようと暴れた為、兄はその場で討たれ、弟も捕まって死罪にされた。
兄弟が死んだ後に、富士の裾野で
この音の怨霊を音霊と名付けたそうだ。
正直800年以上前の話だし、音楽も全く関係ないので、今回の事件に結び付ける事には僕はいささか疑問である。
事件は電子音とインターネットを使った近代的呪術殺人だ。
共通点は音を聞いて切り裂かれた位だろう。
いや、800年前の怨霊は、今回と同じく内臓だけを切り裂いたのか実際わからない。
コヨリさんは何を根拠に、この二つの事件を結びつけたのだろうか?
「おい、ツナ!次の授業が始まる前に渡しに行くんやろ?ボサッとすんな!」
「あっ、そうだ!忘れてた!」
僕とチャリオは急いで隣の教室へと向かった。
「あれ?居ないや……何処行った?」
僕が隣の教室であの子を探していると――
「ワッ!!」
「ぎゃああぁぁあああああああああ!!」
不意をつかれて背中を押されたもんだから、僕は恥ずかしくも、3教室分は響き渡るほどの声量で叫んでしまった。
僕の声で驚かした当の本人が、目を丸くして逆に驚いている。
「ビックリ!これはビックリだわ!」
「コッチがビックリだよ!心臓が切り裂かれたかと思った……」
「心臓が切り裂かれる?」
「あっ、ち、違う。心臓が止まるかと思った……」
「何事だ」と集まったギャラリーに、チャリオは「何でもない、何でもない」とひたすら弁明をしていた。
「どしたのツナキチ?昨日は『時代劇やサスペンス映画を見ちゃいけない』とか、
「いや……実はね――」
僕は思い切って真相を話そうとしたが、チャリオが首を横に振った。
僕はジレンマを感じ、思わず拗ねた顔になる。
奏和ちゃんも容疑者の一人だと、チャリオは言う。
僕は「それだけは無い」と言うのだが、チャリオが言うには、蒿雀ミオンの信者で有る奏和ちゃんには、九藤裕岩を殺す動機が有るとの事だ。黒文字Pさんは、最近ミオンを使わなくなり、他のボーカロイドで作品を発表していたのだが、これに奏和ちゃんが怒り心頭だったらしく、これも動機に繋がるとか。そして曲がりなりにも奏和ちゃんはミオンのソフトを扱える。電音部でミオンのソフトを扱っている人間は、僕達と部長の阿部先輩、あと顧問の源田先生だけだ。他にも実は居るのかも知れないが、少なくとも僕達が知っているのは、それだけである。以上の点から疑わしい人物から奏和ちゃんは外せないとのことだ。
だが、僕はチャリオのこの考えを否定する。奏和ちゃんが殺人なんか出来るわけがない。奏和ちゃんの事を、よく知っている僕にはそれが分かる。そんな大それた事が出来る子ではないからだ。
だいたい殺人の動機がそれなら、チャリオも容疑者の一人だ!
でもなあ……奏和ちゃんの口から僕達が掴んだ情報が漏れて、奏和ちゃんやコヨリさんが危険な目に遭うのは避けなければいけないし……ここは本当の事を言うのは、やっぱり控えた方が良さそうだ。
「ツナキチ!『実は』何?早く言ってッ!催促。これは催促だわ!」
『いや、実はね。これを渡そうと思って――』
僕はコヨリさんから預かっていた、奏和ちゃん用の御守りをポケットから出した。
コヨリさんが奏和ちゃんも呪いの呪文を聞いてるので、僕達と同じ状態だからと用意してくれたのだ。
「御守り?」
「コヨリさんからプレゼントだよ」
「コヨリソから?何で?」
「ああ、えーと……そうだ!最近、奏和ちゃんが恋愛で悩んでるっぽいから、叶うようにとの事だよ!うん!」
「ふへっ?!」
奏和ちゃんの顔が急に耳まで真っ赤に成った。
「えっ?本当に恋愛で悩んでいるの?」
「な、悩んで無いわ!それはちっとも悩んで無いわ!でも、御守りは貰うわ」
そう言って御守りを貰うと、なんかソワソワ、モジモジしだした。
「いいかい、奏和ちゃん。何か危険な時や怖い時が有ったら、必ずこの御守りにお祈りするんだよ」
「わ、分かってるわ。恋愛に危険はつきもの……でも、魅力。そこが魅力だわ」
いや……分かっちゃねーだろ。
「ツナキチもコヨリソから御守り貰ったの?」
「ああ、僕も持ってる」
「ふ〜ん。ツナキチも好きな人が居るんだ……歌餓鬼の日に、その人からチョコ貰えるように祈ってるの?」
「いやいや、違うよ!僕は身を守る為に――」
「身を守る為?嫌な女子にストーカーされてるの?」
「そうじゃなくて。だから、この御守りの本当の目的は――」
「本当の目的!!本当の目的はやっぱり姫川先輩からチョコを貰う事だったのッ!!」
急に怒りだした。
何故、そうなる?
「イチャイチャしてるとこ邪魔するでー」
「邪魔だわ。とても邪魔だわ。退学して」
「そやな。そしたら退学届けを職員室に――何でそこまでせなアカンねん!!」
チャリオは僕達の間に入り、御守りはコヨリさんが最近不幸続きの電音部の為に、お祓いの意味を込めてプレゼントしてくれたのだと説明した。
「そういう事だったの。リョ。これはリョだわ」
「そ、そういう事なんだ。ごめん、紛らわしい事言って」
流石、チャリオは機転が利く。
僕は本当、ダメダメだ。
「んで、奏和。お前、メモリーの事はホンマに知らんのやな」
「知らない。それは本当に知らないわ」
「何か気付いた事なかった?あのタクの曲を聞いた日」
「う〜ん。言っていいのかな……」
「何?」
「あの日のお昼休みね、奏和は部室に行ったの。ツナキチ達が居るかもしれないと思って。けど、居たのはアベベだった」
「阿部先輩?」
「そう。誰か知らない女の人と一緒だったの。後ろ姿だったし、顔にマフラーを巻いてたのでよく分からなかったけど、たぶん部員じゃなかったわ。奏和、人見知りするし、何か気まずかったので、中に入らずに直ぐ出て行ったの」
「知らない女の人……」
「二人は何してた?パソコン触ってたか?」
「分かんない。立ち話してたみたいだけど、一瞬だったからパソコンまで見てないわ」
僕とチャリオは顔を見合わせた。
考えは同じだろう。
誰なんだ……その女性は……。
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