第4話 遺作

 京都の冬は寒い。

 雪が降らなくても寒い。

 京都以外から来た人は、温度計の数字よりも体感が寒く感じるので、温度計が壊れているのではないかと疑うぐらいだ。

 この体の芯まで凍てつく寒さの原因は、京都市内が山に囲まれた盆地だからだそうだ。


 山が風を遮断する為、上空の暖かい空気と下の冷気が混ざらず、冷たい空気は市内に留まって、冷気湖れいきこと言う現象を起こしているらしい。

 又、三方の山から流れた雨水が、市内の地下に潜り込み、琵琶湖の水量に匹敵するほどの地下水と成って溜まっているらしく、そいつが寒さを突き上げてくるのだ。

 つまり僕ら京都市民は、サンドイッチ状態で冷されているという悲しいお話だ。

 でも、この独特の気候のおかげで、京都ならではの美味しい野菜が育つんだとも。肉派の僕には、正直どうでもいい事なんだけどね。恋愛に関しては草食系でも、野菜はあんまり好きじゃないです。ごめんなさい。


 まあ、そんな訳で古都の山々は、比較的降水量が少ないこの街を、地表の底に水瓶を作って長年守っているのだそうだ。

 凍てつく寒さと引き換えに……。

 



「先輩。小雨が降って来ましたよ」


「本当ね。タクが亡くなった朝も、こんな小雨が降ってたわね」


「そうでしたね……」


 ♪♫〜♪♪♪〜♫♫#〜♪♫〜――


 化粧品CMの手タレのように細長く綺麗な指は、驚くほど広がって自在に鍵盤を叩いている。

 子供の頃からピアノを習っていた、姫川先輩の指を動かすスピードは尋常じゃない。

 しかも目を閉じて、楽譜も見ずにテンポの早いボカロ曲を、いとも簡単に弾いている。

 電音部に入るまで、シンセサイザーとキーボードの違いも知らなかった僕が、姫川先輩の凄さを語るのも烏滸おこがましいのだが……。


歌餓鬼うたがきか……来月の十四日につきおか公園で行われる野外ライブよね」


 姫川先輩は曲のリズムを乱す事無く、電子ピアノを弾きながら普通に喋り出した。


「そうです。カミゼンさんと言う有名イベントプランナーが企画した、男女の出会いがテーマのイベントで、チョコレートを中心とした屋台が出たり、沢山のアーティストによるライブコンサートが有ったり――」


「そしてメインは女子からのフリー告白ね」


「はい。会場に来ている男性に気に入った人が居れば、女性は自由にチョコレートを渡して告白できる。会場全体がお見合い場に成るシステムです」


「男子は自分をアピールする為に、即興のがたりをしたり、ダンスを踊ったり、得意のパフォーマンスを披露する。上手くいけばその日にカップル成立か……面白そうね」


「僕達はライブ目当てですけどね。有名ボカロPさんも何人か出演するそうなので」


「チョコは目当てじゃ無いの?」


「僕やチャリオにチョコレートをくれる奇特な女性はられないかと……」


「分からないわよ。フフッ」


 ♫♫〜.


 曲が終わると同時に、僕は無意識に拍手を送っていた。


「分かった。私も行くわ。チケット譲って」


 演奏を終えた姫川先輩は目を開け、そのつぶらな瞳をこちらに向けてきた。

 僕はまともに目を合わせるのが恥ずかしく、少し目線を逸す。


「あ、ありがとうございます。姫川先輩は僕達を気にせず、現場では単独行動して楽しんで貰って良いですから」


「え〜!独りでチョコレート持ってウロチョロしてたら『コイツ、よっぽど男に餓えてるんだ』って、思われるじゃない!」


「あっ!そ、そうですね」


「フフフッ――」


 口に手を添えながら微笑んだ後、先輩は少し愁い顔に成った。

 やっぱりまだタクの死を引きずっているのか、何時いつもより元気が無い。


「ツナ君……聞きたい事が有るの」


「はい。何ですか?」


「比企野さんの事何だけど……」


「タクの彼女だった比企野さんですか?」


「そう。彼女どんな人?お葬式にも来なかったけど」


「さあー……僕もクラスが違うし、タクと一緒に居る時に挨拶を交わした位で、殆んど会話した事も無いんですよ」


「そう……実はね、タクが亡くなる前日、二十六日の夜に私はタクと会ってたの」


「えっ?そうなんですか」


「タクが相談有るからって、私んちに来たんだけど……タク、イブの日に比企野さんに言われたんだって、電音部を辞めてほしいって」


「えぇッ!!マジですか?」


「そうなの。辞めないと別れるとまで言われたらしくって、一日悩んだらしいけど、辞める事を決心したんだって。それでツナ君達にどう言ったら承諾を得れるか、私に相談に来たのよ」


 えっ?!あっ!そうか!アイツ、『ミーティングする』ってメールした時『分かった』って、一言だけしか返してこなかったから、やけに素っ気ないと思ったんだ。

 何時もならもっと巫山戯た返信をしてくるのに。

 なるほど……アイツ、ミーティングの時に僕達に会って辞める事を伝えるつもりだったんだな。


「私はツナ君達とのボカロ活動は続けるように説得したんだけど、意志が固くって……」


 僕達よりも比企野さんを取ったんだな。

 でも責められない。

 比企野さんは元彼が亡くなったばかりで、心が病んでたんだと思う。

 少しでも二人で居る時間を作りたかったんだろう。きっと……。


「ごめんなさい。今まで黙っていて。話の内容が内容だし、貴方達に話して良いものか悩んでたの……」


「い、いいえ」


「でも、比企野さんが新学期に成っても学校に来ないから、ちょっと心配で……彼女それだけタクの事を独占したかったのなら、失ったショックは計り知れないものだと思うわ」


「……自殺しないですかね?」


「そう。それが私も気に成って、それで比企野さんがどんな性格の子か知りたくて……」


 正直、比企野さんの性格は分からないけど、見た目は気の強そうな子に思えた。

 けど、外見では人を押し測れないしな。

 僕や先輩は親しいわけでも無いし、そっとしとく方が良いのかも知れないけど、取り返しのつかない事に成ったら後味悪いし……。


「比企野さんの担任の先生に報告した方がいいですかね?」


「そうね。私達がとやかく言うより、大人の人達に任せて、しっかりカウンセリングしてもらった方が良さそうよね」


「僕、明日職員室に言って報告して来ます」


「じゃあ、私も付いて行くわ。行くときは誘って」


「はい。あと、僕のクラスにも比企野さんと親しいと思われる友人が何人か居たので、声を掛けときます」


「ありがとう。お願いね。あっ!それとツナ君達に会ったら渡そうと思ってた物が有るの」


「何です?」


 姫川先輩はカーディガンのポケットから、USBメモリーを取り出した。


「タクと最後に会った日に貰ったの。デモ音源も含めて5、6曲入ってるみたい。私もまだ全部聞いて無いんだけど……」


「タクが作った曲ですね。そういえば比企野さんに曲をプレゼントしたと言ってたけど、それも入ってるのかな?」


「そうみたい。タクの遺作になっちゃたね」


 先輩はスマホに曲を全部コピーしたそうなので、メモリーを僕に預けてくれた。

 チャリオや奏和ちゃんにも曲を聞かせてあげてほしいとの事で……。


「タクが居なく成っても、作品は生きているわ」


「はい……」


「さぁ、てっと――」


 姫川先輩は上着を羽織り、帰る準備を始めた。


「私は一度教室に寄ってから帰るわ。ツナ君は?」


「もうすぐチャリオが補習から戻ってくるので、合流してから帰ります」


「そう。じゃあ戸締まりお願いね。あっ、チケットの代金は今度でもいい?」


「ハイ。いつでも」


「ありがとう。チャリオ君の分も一緒にチョコレート用意しといてあげるから、楽しみにしといてね」


「本当ですか?!ありがとうございます」


「甘いとは限らないわよ。フッフッフッ」


「あっ!……」


 僕の脳裏に、夏休み合宿の時の悪夢が蘇った。


 先輩が部室から出ていった後、チャリオを待っている間にさっき預かったメモリー内の曲を少し聞いてみようと、部室のパソコンを開けた。

 メモリーを装着し、データをデスクトップに移す。

 タクの最後の曲は、果たしてどんな曲調だったのだろう。

 彼女に送ったのならバラード系かな?


 コピーが完了し、ファイルを開けて再生しようとした時、部室の戸が開いた。


「おー!邪魔するでぇー」


「遅いよ!先輩帰っちゃたよ」


「えーマジで!会いたかったのにー。奏和かなわは?」


「用事有るからって、放課後は来なかった」


「そうか。先輩どうやて?歌餓鬼うたがき来るって?」


「来るって。僕とチャリオに激辛チョコのプレゼントを持って」


「ウワー!チョコは嬉しいけど激辛は堪忍かんにんやな。あの人自分が辛いの好きやからって、人に押し付けるサドやからな」


「我慢しよう。義理とは言え、あんな綺麗な人からチョコを貰えるチャンスは、僕達には二度と無いかも知れない」


「それな。激辛でも人生初のバレンタインチョコ、ゲットやで」


 僕達は談笑しながら部室の鍵を閉め、別館から本館に移動し、職員室に鍵を返して校舎を出た。

 傘を開けた時、大事な事を思い出した。


「あっ!メモリーしっぱなしだ。忘れてた」


「どないしたん?」


「タクの遺作を先輩から預かってたんだよ」


 チャリオに事の成り行きを説明したら、鍵も掛けたから取りに行くのは明日で良いだろうって事に成った。


「明日、奏和ちゃんと三人で曲を聞こう」


「そやな。あっ!あれ先輩ちゃうか?」


「ホントだ!」


 前方の校門手前に、小雨の中を傘もささずに姫川先輩が歩いているのが見えた。


「センパーイ!!姫川センパーイ!!」


 チャリオが声を掛けたが振り向かない。

 耳を触っていたからワイヤレスイヤホンで音楽を聞いているのかもしれないな――

 そう思った瞬間先輩は立ち止まった。


「おっ?!気付いたかな……ん?」


 先輩は立ち止まったが、こちらを振り返らなかった。

 そして僕は気付いた。

 先輩の内腿うちももから赤い液が流れている事を……


「えっ?あっ!……」


 僕がよこしまな想像をした瞬間、姫川先輩は吐血した。

 そして、そのまま倒れるように静かに地に伏せる。

 地上にり着いた雨が、先輩の鮮血を薄めながら広めていった。


「ツナァァァ!!救急車や!!それと職員室戻って先生達呼んで来てくれッ!!」


「分かった!!」


 倒れた先輩の元に走るチャリオを尻目に、僕はUターンをして、スマホを持ちながら職員室に向かって走った。


 小雨と下から突き上げる冷気が、ダイヤルを押す僕の指先を震わした。

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