File-02『昭和二十年八月十五日/京橋区銀座〈数寄屋橋〉』
満州国――
一足先に帰国させた息子夫婦と孫と友人の行方は知れず、いくつかの雑務を執り行いつつ、一人、廃墟を彷徨い続けていた。
『この爆弾の真の脅威を、もっとも理解しているのは、君じゃないか』
再会した友人の〈へちま顔〉には、そう言って止められたが――。
実際、耳を澄ませても、聞こえるのはかすかな呻き声と遠くで啜り泣く声だけだ。
「熱い泪も故国に着けば、嬉し泪と変わるだろ……と思っていたんじゃが……な」
昭和十九年──新京の関東軍司令部で起動した予言機械が告げたのは、ソ連参戦と満州国の崩壊、〈東京〉へ降りかかる新型爆弾の災厄、敗戦後に流行るらしい
そして、世界最終戦争の切り札となる
「
「……あんたも、古い嘘を信じ続けた末に、すべて失ったのかい?」
小犬丸老人の呟きにぴくりと反応した見知らぬ浮浪者は膝を抱え、橋の欄干にもたれ掛かっていた。
皮膚の大半は塩化現象で白く、痩けた頬がぽろぽろと崩れかけている。
「おれは思うんだがね、あんたたちはそろそろ、すてきな新しい嘘をたくさんこしらえなきゃいけないんじゃないか? でないと、みんな生きてくのがいやんなっちまうぜ」
数秒前まで浮浪者だった塩の柱はそう言い残し、崩れ落ちた。
「すてきな新しい嘘……か。残念ながら、まだ調整が終わっていなくてな……」
老人は外套から、後に〈呪詛浄化装置〉となるはずの小さな観音像を取り出したが、輝き出すのはもう少し先のことだ。
†††
「懐かしい名前が出てきたな」
殺し屋は小犬丸老人を知っていた。
当時の渾名も〈将軍〉だったから、関東軍での地位は高かったのだろう。
敗戦後の一時期、殺し屋になる前の殺し屋と暮らしていた頃も、
もっとも、昭和二十六年の登戸研究所湾岸分室――闇病院〈イレブン〉襲撃事件の後、〈蠅の街〉に現れた老人は、特殊娼婦たちの
†††
昭和十九年八月──関東軍司令部の地下深くでは、ナチス・ドイツの
当のベルンシュタイン博士は登戸研究所へ招かれ、本土へ異動していたのだが、残された弟子たちは時間と空間を科学と呪術で歪めて構築し、俗世と切り離した異界の研究室で、現代科学の領域を軽々と踏み外した奇妙奇天烈な実験兵器を作り続けていた。
そして、
神仙の膨大な神通力を制御するため、異界の研究室で〈蓮音〉の現身を切り刻み、魂魄を〈
もっとも、顕現の一瞬──予言機械が介入し、すり替えた時間に存在することを許されたのは、軍医の老人と彼の友人となった〈孤影〉だけであった。
研究員の大半は異界の研究室から排除され、俗世の地下室へ強制送還されたが、塵芥のように分解されたまま、時間と空間の狭間に漂い続ける不運な者もいた。
遅れて俗世へ帰還した老人と〈孤影〉は、予言の真偽を図りかねていたが、昭和二十年六月──ドイツ降伏後の関東軍司令部が満洲国の中立化を条件に、ソ連へ和平調停の斡旋を依頼する最後の賭けに出た時、〈孤影〉は予言機械の託宣に従うよう、老人に告げた。
だが、〈東京〉へ降りかかる新型爆弾の災厄だけは信じなかった。二人とも。
昭和二十年八月六日──広島へ
†††
〈蠅の街〉で〈将軍〉と呼ばれ、赤髪の魔女〈朱雀〉に暗殺された小犬丸老人は、戦時中、関東軍の軍医少将に次ぐ立場にあった。
軍医でありながら、帝国陸軍〈桜会〉系の熱心な活動家だった彼は
そのことは、
今は銀座で
その後の小犬丸老人が、俗世へ降りてきた下位の神仙と組み、魂魄物質を制御する〈魂魄炉〉や
小犬丸老人が去り、殺し屋になるまでの間、〈琥珀さん〉のつまみ食いで寝物語に聞かされたからだ。
「当時はまるで意味不明だったし、まさか〈組織〉の成り立ちに関連しているとも思わなかったが……考えてみれば、因果な話だ」
殺し屋はそう呟いたが、〈琥珀さん〉との関係には、それ以上言及しなかった。
妻が寝たふりをしていたら、それこそ、後で殺し合いになりかねないからだ。
彼女はまだ、殺し屋ギルド……〈組織〉の長なのだから。
「オレが狩られる側にいるのに、どうしておまえは狩る側の頂点に据えられたままなんだ?」
形骸化した神輿でも、なければ〈組織〉が瓦解するからなのだろうが……どうにも釈然としない。
†††
昭和三十九年、秋──最新にして最後の殺人番付表は以下の通りだ。
一位 夢幻螺旋ノ魔銃〈ナインテイルズ・フリークアウト〉
二位 運命円環ノ魔銃〈スパルタクス・レッド〉
三位 二重思考ノ魔銃〈アルフォート〉
四位 道化芝居ノ魔銃〈千代駒〉
五位 電気紳士ノ魔銃〈チズハム〉
六位 反転鏡像ノ魔銃〈クイントリック〉
七位 包丁料理ノ魔銃〈芙楽〉
死亡 刹那追憶ノ魔銃〈ペイルフラワー〉
「以下、追記──。
灼熱獄炎ノ魔銃〈ペンデルフォイヤー〉ノ主。
〈蓬莱樹一郎〉ヲ騙ル紛イ者。
二年以上、生死不明──。
然シ、〈組織〉ニ仇ナス者ナリ。
発見次第、処刑セヨ。
相応ノ賞金ヲ払ウ用意アリ──」
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