『行きつ戻りつのゆりかご/Cradle going back and forth』
File-01『昭和二十年八月十日/麹町区〈日比谷公園〉』
「一日ニシテ全人類ノ葬儀ハ終ワル……永イ時ノ経過ニ、幸運ガ生ミ出シタ一切……磨キ上ゲ、卓越セルモノ一切……スグレテ美シキモノ一切……偉大ナ王座モ、偉大ナ国土モ、一切ガ深淵ニ落チ……一切ガ一刻ニシテ滅ビユク……」
不意に、しばらく沈黙していた予言機械が再び作動し、また呟いた。
だが、それは予言ではなかった。
過去――昭和二十年八月に、この〈東京〉に起きた三度目の災厄を懐かしんでいるのだ。
目の前の巨大な〈鉛の卵〉は。
「ずいぶんと洒落た出迎えじゃねえか」
満月の夜が終わる頃──現世での仕事を終え、住居である〈十七號館〉へ帰ってきた殺し屋は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
†††
此処は、本来あるべき時間から切り離され、過去と未来と現在を漂いつつける、
かつては同潤会清砂通アパートメント〈十七號館〉だったこの建物は、昭和二十年三月十日、現世から失われた。
しかし、多層混淆世界に
そんな建物に住めるのは、人間ならざる魔人だけだ。
よって、現在の住人は二人――もしくは、三人だけだ。
現世では
もっとも、目覚めているのは殺し屋だけで、殺し屋の妻は昏昏と眠り続けている。
おまけに、彼女は一人なのか、二人なのか……判断しかねる状態だ。
「次に現れるのは……どちらのおまえなんだろうな?」
妖狐と仔犬──どちらが現れるかは、目を覚ますまで分かりゃしない。
人間の脳髄は二つの人格を同時に発現できるほど、便利にはできていない。
二つの人格が同居すれば、それだけ眠りの時間も長くなる。
ましてや、神仙
だから、殺し屋だけが、〈鉛の卵〉が気まぐれに映し出す災厄上映会を眺めている。
厳密には、卵の表面に映し出される幻影と、たどたどしい語りによる活弁だが、必要な情報は直接、殺し屋の脳髄へ流し込まれる仕掛けだ。
†††
昭和二十年八月十日、朝──。
わずかに残存していた天翔兵団の迎撃戦闘機「飛燕」「鍾馗」「屠龍」が飛び立つことはなく、厚木から飛び立った海軍航空隊の「月光」「雷電」も間に合わず、B29の爆撃手は日比谷公園に照準を合わせた。
そして、機体番号44-27302〈トップ・シークレット〉が投下したのは
建物を全て焼き払って、今更なにを吹き飛ばすのかと思えば、この爆弾はそれ以上の災禍を撒き散らした。
午前八時十五分、白い閃光は日比谷公園から半径数キロ以内の生命あるものすべてを塩の柱に変え、次いで、局地的地震が都内各所を襲った。
†††
昭和二十年八月十五日、敗戦──。
しかし、白い荒野と化した〈東京〉で辛うじて生き残った者たちも次々と倒れ、死んでいた。それは、
〈東京〉は正体不明の呪詛に蝕まれていた。
やがて、呪詛がもたらす生き腐りと呼ばれる疫病により、昭和二十年末までの四ヶ月で三十五区──旧東京市域内の人口は新型爆弾投下前の19%に減少していた。
投下前からの都民で生き残ったのは4%、残りの15%は行き場のない流民──特に復員兵くずれを中心とした与太者の群れが、この地獄の釜の蓋をひっくり返した死都に流れ込んでいた。
冬を迎える頃には、残留呪詛による二次被爆は沈静化していたが、爆心地に近い地域のいくつかでは相変わらず高濃度の呪詛が検出され、少数ではあるが、二次被爆者も発生していた。加えて、数百人ほどではあるが、生き残った者たちの中から潜在的な身体能力を覚醒させ、凶暴凶悪な異能に目覚める者も現れた。
彼らの驚異的な戦闘力は、急激な治安の悪化を招き、進駐軍管理下の新政府はそれを理由に、昭和二十一年度の復興計画から呪詛──高濃度の残留毒素に汚染されていた麹町区を中心とする旧東京市域十五区を除外し、一年間の武装封鎖を行う緊急決議を採択した。近郊区域とは白い壁と鉄条網で仕切られ、一度中に入った者が出ることは困難となった。そして、この国のすべての罪は白い壁の中に封じ込められた。
死都と蔑まれつつも、閉鎖十五区には旧軍の秘匿物資が多く眠っており、無法地帯に群がる与太者たちは競うように略奪と抗争を繰り返していた。
天罰の光で滅亡したはずの悪魔の街には、更なる悪徳と犯罪がまかり通っていた。壁の中の抗争は熾烈を極め、殺人も日常茶飯事であった。だが、浮浪者となった戦災孤児たちは更に悲惨であった。男は捕獲され、生きながら連合国軍新型爆弾傷害調査委員会──NBCCの
令和の世では、何の間違いか、再び東京オリンピックが行われているが、男装の少女探偵・
日々の生活にまつわる問題で精一杯で、忘れなければやりきれなかったからだ。
だが、煉獄で焼かれたタマシイが忘れることはない。
滅びの
†††
正式名称は「呪詛爆弾(curse bomb)」だが、単に「新型爆弾(new bomb)」と呼ばれることが多いこの大量殺戮兵器は、直接的な破壊力はないが、閃光を浴びた生物を塩化ナトリウム結晶に変異させる特性を持つ。
旧約聖書の創世記──ソドムとゴモラの滅亡から「神罰爆弾(god punishment bomb)」とも呼ばれたこの爆弾は、大量虐殺で調達した負の精神エネルギーを凝縮し、原子レベルに分解──膨大な量の呪詛として解放することで都市を完全に殲滅する大量殺戮兵器にして、
かつて、ナチス・ドイツの
『凝縮された妄念やら魂魄やらを原子レベルへと分解した後、神通力に変換し、残留思念を膨大な量の呪詛として解放することで、都市の住人だけを完全に殲滅するのさ♥』
…………そして、ベルリン陥落後に回収された実験品にアメリカ軍が黄色い猿だけを抹殺する
†††
「夏の東京は雪が降ったわけでもねぇのにすべてが真っ白で、閃光は生きとし生けるもの全てを塩の柱に変えて、大地に撒き散らされた塩が白く輝いていた。建物はそのまま残っていたが、それまでの空襲で家はあらかた焼けていたから、あたりは一面の銀世界だ」
残虐の極・新型爆弾、道路には死屍累々なり──。
「ああ、何度見ても、うんざりするぜ」
殺し屋はそう言ったが、口元には薄笑いを浮かべていた。
誰が見ても悲惨な大量死だが、同時に彼がこうして生きている理由でもあったからだ。
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