File-08『昭和三十九年八月八日②』
かすかな記憶と照らし合わせつつ、
そして、目の前に立て掛けてあった薄いトタンを蹴り上げると、埃を舞い上げながら地下への階段が現れたが、通路は狭く、天井も低い。今は170センチ以上あるから、背中を小さく曲げなければ、額をぶつけてしまうだろう。
――あの時は急いで登ったけれど、今はゆっくりと降りている。
階段を通り抜けると、虚空のような空間が広がっていた。薄暗さも増していたから、暗闇に目が慣れるまで若干の時間を必要としたので、曲がった背中を伸ばしつつ、腰をさすった。残念ながら四捨五入すれば30歳だ。
地下には冷たい水が溜まっていて、ブーツの中にも水が浸みてきた。
「……用心なさい」
暗闇に
暗い水の向こうから浮かび上がった四つの人影は、全員が憎悪に満ちた眼差しを向けているように思えた。
「影魔人たち……〈
この前、精神病院の取材に付き合わされた時も、亡霊と化した残留思念に襲われたが、実体を持たない連中は恐怖を取り除けば、まったく無力だ。不安定な精神状態にあれば、残留思念の影響を受けて彼らの仲間に取り込まれたかも知れないが、その原因が記憶から欠落していた
なによりも、
傍らにあった鉄の棒を掴んで、1m近いそれを振り回して牽制しつつ、懐から細い鎖を取り出し、左手に巻いた。
「姿ははっきりしているから、〈
「その作業は――任せるよ」
「始めるよ、
男は得物であるジャックナイフを大振りし、その反動に振り回されながらも、何度も斬りつけてきた。切っ先がスーツの袖に引っかかり、今度は左肘のあたりから裂けた。
襲いかかってくる男の腹を蹴り上げ、相手が体勢を崩したところに、右手首を捻って何重にも鎖を巻いた金属製の拳でジャックナイフの刃を殴った。
細く貧弱な身体の男は、依存していたジャックナイフを水の中に叩き落とされて、動揺を隠せなかった。続けざまに左手に握った鉄棒で脇腹を叩きつけると、男の動作はいよいよ鈍くなり、死角から飛来する〈
地味な作業服を着た老人だけは
そんなに統率は取れていない、か。
冷静であることと感情がないことは違う。さっきの男も感情を失っていた分、動きは基本に忠実で無駄がなかったが、意表を突くことを競う類の格闘戦では、想像力の差が勝負を分ける。
複数相手の喧嘩であっても、臨機応変に動ける方が勝つのは言うまでもないし、相手に統率の有無があるかは大きな要素となってくるが、組織的な動きはできないだろうと見た。想像力を培うには場数を踏むしかないのだが、経験の差が動作の障害になっていた。
それでも、作業服の老人は慎重に対処した方が良いだろう。他の二人と違って、動きがこなれていて喧嘩慣れしていたからだ。
調子に乗ると、簡単に踏み込まれる。
水面に波紋が生じない程度の動作で、一息では踏み込めない程度の間合いを離し、分厚い壁を背にした
唇の隙間から重い低音が漏れる。
「まあ、これも一種の才能よね」
「……才能、か」
こういう時以外は全く役に立たない才能ではあるけれど。
†††
重い低音が絶え間なく反響し、膠着状態はしばらく続いていたが、
視線を何度も往復させているうちに、街の住人だと思っていた男の一人が
「……
〈
「もうっ、ちゃんと援護しなさいよ!」
ヒステリックな口調で計画の破綻を嘆く
幻影とはいえ、ひとの形をしたものを切り刻むのは気乗りしないし、今の
「あたしの可愛い桐ちゃんに何すんのさ!」
襲いかかる四人の〈
成人男性に向かって「可愛い」は褒め言葉にもならないが、
剥き出しの切断面からは大量の塵が流れ出し、周囲の意識圧を急激に高めていく。
作業服の老人が苦し紛れに投げた呪符が左肩に張り付いて発火したが、〈
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