後編

 鷲爪警部補君がサインをしたので、俺はすぐに仕事にかかった。


 速水志津子。今年の一月が来て、丁度二十一歳になる。


 住所は東京都葛飾区柴又、つまりはあの『男は何とか』の主人公の故郷である町だ。


 父親はとうの昔に亡くなり、現在は母親と妹の三人で、今時珍しい二軒長屋に住んでいる。


 と、ここまでは彼女の言葉にウソはなかった。


 問題はここから先だった。


 彼女は毎日ほぼ決まった時間に出かける。


 出かける場所はデパート。ショッピングモール。地下街など、人手の多い場所だったが、中でも一番数が多いのは、東京一、いや、日本一参拝者が多いと言われている

明治神宮だった。


 その日は日曜日、


 やはり彼女が出かけたのは明治神宮だった。


 黒のダウンコートにジーンズ。焦げ茶色のセーターという軽装だった。


 三が日を過ぎているとはいえ、日曜ともなれば、参拝者の数はやはり多い。


 それにしても妙だな。


 彼女がかほどまでに信心深いなら、手近に柴又の帝釈天という大きな寺院があるが、そこへ行ったことは一度もない。


 何故か明治神宮が殆どだった。


 尾行を始めて三日目のこと。


 俺は遂に彼女の正体を突き止めた。


 俺は参拝者の人波を縫って、彼女の後を数メートル余して尾行を続ける。


 丁度正面の拝殿前に来た時だった。


 彼女は同じようなナリをした同じ歳くらいの女性と三人並んで歩いていた。


 仲間なのかとも思ったが、視線を交わしただけで、まったく口を聞くこともなく歩いてゆく。


 三人の視線が揃った。


 先に目をやると、そこには如何にも金をかけたと思われる服装をした六十過ぎくらいの女性が一人で歩いていた。


 歩く速度が早まる。


 俺もそれに合わせ、三人に近づいた。


 拝殿も間近になり、女性がハンドバッグの口金を開け、中から財布を取り出そうとしたその時だった。


 三人の内の一人が、さも後ろから人に押されたようなふりをして、女性の背中に軽く当たった。


 よろける。


 瞬間、手からハンドバッグと財布がこぼれ落ちた。


(なるほど)


 俺はすべてを悟った。


 志津子の手が目にも止まらぬ早業で、女性の財布を掴み、そして鮮やかな手さばきで、一万円札を一枚だけ、その中から抜き取ったのを見逃さなかった。


『落ちましたよ』


 もう一人が、女性に声をかける。


『あら、どうもすみません』


 彼女はまったく気づいていない。


 そのまま三人はごく自然な風を装って参拝を済ませ、脇道へと逸れて歩いて行った。


 三人が入ったのは、神楽殿近くにある『参拝者休憩所』だった。


 そのままベンチに腰を下ろすと思いきや、まず志津子が一人でトイレに入る。


 少しばかり間を置き、後の二人が入った。


 最初に出てきたのは志津子だった。


 彼女はそのままベンチに腰を下ろし、接待係の巫女さんが持ってきたお茶を、軽く頭を下げて受け取る。

 

 後の二人の女性は、しばらく経ってから便所から出てきて、少し離れたベンチに腰を下ろしていた。


 俺はさりげなく、彼女の隣に座り、声を掛ける。


『お嬢さん、お茶でも如何ですか?』


『残念でした。私小父さんには興味ないの』


『言ってくれるねぇ・・・・だが、俺は見ていたんだぜ。君らの”アキナイ”の一部始終をさ』


 彼女の目に色が走った。


 二人組もこちらに目を向ける。


『小父さん、あんた刑事デカ?』


 俺は黙って内ポケットから認可証ライセンスとバッジのホルダーを出して彼女に提示した。


『俺がもし刑事デカなら、あんたらの”アキナイ”を黙って見逃がすものか。その場で手錠ワッパを打ってるさ』


『探偵さんなの・・・・でもどうする?見ていたんならあたし達をポリボックスにでも連れて行く?』


『分かってて言ってるんだろう?掏摸は現行犯でないとパクれないってさ。それに俺はおっしゃる通り探偵だ。ある人の依頼であんたを調べてただけだよ。速水志津子さん』


 彼女は眼を伏せ、少しの間考え込み、また俺を見て言った。

『ある人って、あのごついお巡りさんでしょう?』


 俺は何も答えなかった。黙ってシナモンスティックを咥えただけだった。


『だったらあの人にあんたの見たまんまを話して、そしてこう言っといて頂戴”私は

 貴方みたいな立派な方とお付き合いできるような女じゃありません。もっと素敵な女性を探してください”ってさ』


『一つだけ聞かせてくれ。何で地元の帝釈天では一度も”アキナイ”をしなかったん

 だ?』


 彼女は軽く微笑んで、

『私はあそこで育ったんだよ。地元のお寺さんに迷惑をかけるほど、落ちぶれちゃいないわ』


 彼女は立ち上がり、例の二人に目配めくばせをすると、そのまま休憩所を出て行った。


 俺は三人の後を黙って見送るしかなかった。



 それから数日後、俺は鷲爪警部補君を待機所(警察官の寮はこう呼称するそうだ)の前に呼び出し、報告書と共に、彼女の言葉を伝えた。


 警部補君はじっと目を伏せていたが、やがて何かを決意したように直立不動の姿勢になり、


『わざわざ有難うございました!これで踏ん切りがつきました!』そう言って俺に深々と礼をした。


 警官おまわりから敬礼をされたのは、探偵稼業に就いて以来、初めてであるが、決して悪い気はしなかった。


 それから、どうなったって?


 どうもならんよ。


 警部補君は自分でも言ったように、踏ん切りがついたんだろう。


『切れ者マリー』が聞かせてくれたところによれば、あの後、例の見合い話の相手のお嬢さんと逢い、お互いに気があったそうで、順調に交際を続け、婚約もした。


 早ければ今年の六月にも華燭の典を挙げるそうだ。


『速水志津子』は?


 そこまで聞くのか?


 面倒くせぇなあ。


 彼女なら、あの後間もなく、やはり明治神宮の参道で”アキナイ”の最中に、本庁の掏摸係の刑事デカにワッパを打たれたとよ。


 さて、今回の話はこれで終わりだ。


 面白くないだろ?


 でも、世の中ってのは、こんなもんさ。


                            終り


*)この物語はフィクションです。登場人物その他全ては作者の想像の産物であります。


 


 

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初春恋愛大騒動(はつはるこいのおおさわぎ) 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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