初春恋愛大騒動(はつはるこいのおおさわぎ)

冷門 風之助 

前編 

 その男は俺の事務所オフィス・・・・『乾宗十郎探偵事務所』に入って来るなり、象が鼻を鳴らすような音を立てて深呼吸をし、それでも黙ってほぼ直立不動のまま立っていた。


『座ってみちゃどうだい?景色が違って、少しは落ち着くぜ』

 俺がそう言ってソファを勧めると、馬鹿丁寧にお辞儀をしてから、やっとソファに腰かけた。


”コーヒーと紅茶、どっちにするかね?”


 そう訊ねてから、俺は

(まずったな)と思った。ティーバッグを切らしていたのに気づいたからである。


 ”紅茶を”と言いやしないかとひやひやしたが、彼はくそ真面目な顔をして、

『コーヒーにします』と答えたので、俺は内心ほっとしながら、二杯分を用意した。


 一月の最終週、二月まであと三日。それにしては気温は摂氏8度まで上がっていて、風もない。

 日当たりのいい俺の事務所オフィスには、暖房を止めていても十分に暖かい。

 俺がコーヒーカップを盆に載せて流しから戻り、卓子テーブルの向こうとこっちに並べ、

”砂糖とミルクはないぞ”と、いつものフレーズを繰り返し、ひじ掛け椅子に向かい合わせに腰を下ろした。


『最初に断わっておくが、俺は法律で禁止されている事項の他、個人的信条として離婚と結婚に関わる調査は原則として受け付けないことにしている』と、これまたいつものフレーズを付け加えることも忘れなかった。


 彼はカップに口をつけ、少しむせてから、

『ええ、その点は五十嵐警視殿から伺っております』


 五十嵐警視殿・・・・早い話が『切れ者マリー』こと、警視庁外事課特殊捜査班主任の五十嵐真理の事だ。


 歳が開けて早々、俺がぽっかり空いた休みを、例によって呑んだくれて時間を過ごしていた時、突如電話が鳴った。つまりはマリーである。


(私の知り合いの警察官がいてね。どうしても相談に乗ってあげて欲しいのよ。お願い)という訳だ。


 で、俺は酒に酔った勢いもあって、


『分かったよ。話だけは聞いてやる』と答え、そして今こうして”彼”と話をしている。


”彼”は、泣く子も黙る『鬼の四機』こと、警視庁第四機動隊の小隊長。

名を鷲爪数馬わしづめかずまといい、年齢三十一歳。階級は警部補。

身長1メートル86センチ。

体重90キロ。独身。

 

浅草の雷門に立っている仁王像にそっくりの顔立ちをしている。


体型も正に仁王像そのものの筋骨隆々としていて、警官を辞めてもそのままプロレスラーで喰っていけそうだな。俺は本気でそう思った。


 柔道、剣道、合気道、杖道等、武道の段位は合計五十数段。

家は親代々の警察官で、正に警官になるために生まれてきたような男である。


 何でも五十嵐真理とは、警視庁の合気道講習会で知り合い、それからの仲だという。

(男女の関係はないそうだ。真理曰く”私、こう見えても面食いなのよ。彼、好感は持てるけど、タイプじゃないわ”だとさ)


 そんな強面の鷲爪警部補君が柄にもなく『恋』に悩んでいるという。


『まず、これを見てください』


 最初に取り出したのは、手札大の写真だ。


 色白で小づくりの顔をした、和服姿の女性を正面から写している。


『実は最近上司から見合いを勧められとりまして・・・・』


『それがこの女性って訳かね?』

 

 彼はコーヒーをすすり、むせ、二・三度咳をし、


『失礼しました』と、頭を下げた。


『・・・・渋谷署の鑑識課長のお嬢さんなんです。性格はとても明るくて優しい。自分にとっては申し分のない女性ですが・・・・しかし・・・』


 彼はもう一度コーヒーを口に運び、押し黙った。


『何が不足なんだ?結構なことじゃないか。警官おまわりは早く身を固めるに限る。でなきゃ出世に響くって、前に聞いたことがあるぜ。ましてや鑑識課長のお嬢さんとなれば不足はあるまい』


 俺は笑いながら答える。


 しかし鷲爪君はひどく真面目そうな顔で、

『いや、自分には他に好きな女性がおりまして・・・・』

 そう答え、また咳を三度してからコーヒーを啜り、別の写真を出して見せた。

 ショートカットの、如何にも現代的な顔立ちをした女性だ。


 時間は一年ほど前にさかのぼる。


 歳の初めのイベントといえば、


『初詣』と、

『成人式』と相場が決まっている。


 ことに問題なのが『成人式』だ。


 毎年荒れるので有名な都下S市の中央会館で開かれる成人式に、彼ら、

『鬼の四機』も人員整理に駆り出された。


 流石に強面の機動隊が出張ってくれば、幾ら無軌道な新成人どもでも大人しくなるだろう。という訳だ。


 偉いさん達の思惑通り、式はとどこおりなく終わった・・・・はずだった。


 帰り際の事だった。


 やれやれと一安心して、機動隊員が帰り支度を始めた頃、数名の晴れ着姿の女性グループが、似合いもしないド派手な紋付きを着たにナンパされていたのを見かけてしまった。


『義を見てせざるは何とやら』と思ったかどうかは知らないが、鷲爪君は彼女たちの間に割って入った。


 顔だけでも『その筋』すらビビらせる迫力のある彼のことだ。


 チャラい集団はそそくさと尻尾を巻いて逃げ帰った。


 晴れ着の彼女達に何度も礼を言われ、そこではっと彼は一人の女性に目が行った。


 それが彼女だったのである。


 名前を『速水志津子』と名乗り、成人式に来ていたくらいだから、二十歳になったばかり、助けてくれてありがとうございます。と、何度も礼を言った。


 向こうがどう思ったか知らないが、鷲爪和馬警部補、そこで生まれて初めて『恋をした』という。


 公私混同はよくない。そう思いながらも、彼女の住所とメールアドレスだけは聞き出し、それから忙しい勤務の間を縫って、何度か食事をしたり、お茶を飲んだり、動物園に行ったり(笑っちゃいかんぜ。彼としては真剣なんだ)という具合に、ままごとみたいなデートをした。


 何度か繰り返すうちに、彼女の存在が次第に大きくなっていったのは確かである。

 しかし、彼女の方は?


 現在父親は亡くなり、母と妹と三人暮らしであることを語ってくれたくらいで、それ以上詳しくは話してくれない。


 そうこうしているうちに、上司から見合いの話が来た。


 自分としては速水志津子を優先したい。

 しかし断ろうにも、向こうの事は何一つ分かってはいないのだ。


 そこで合気道研修で知り合った『切れ者マリー』に相談したところ、俺の名前が出たという。


『成程ねぇ・・・・』俺はコーヒーを飲み干し、シナモンスティックを咥えた。


『警察官の立場を利用すれば、彼女の事を調べるのは訳はないが、職権乱用はしたくない。そこで俺にという訳なんだね?』


 なりだけは強面だが、純情な性格の彼は、素直に大きく頭を縦に振った。


『いいだろう。引き受けてやろうじゃないか。ギャラは基本六万円。他に必要経費。

 仮に危ない目に遭遇しそうだと判断したら、危険手当として四万円の割増しだ。

 後は契約書を読んで、納得出来たらサインをしてくれ。それから仕事にかかる』


 俺の言葉に、彼は卓子テーブルに額を打ち付けんばかりに、何度も頭を下げた。


 おかしくって仕方がない。思わず吹き出すところだった。




 

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