話す犬2

ケセランパサランが降ってくる。

たしかケセランパサランは、白粉を与えて育てるのだった。空き瓶と、白粉はあっただろうか…しかし、私のために運ばれてくる幸せってなんだろうな……人語を解す犬が手に入れば良いな。


ぼんやりとした視界がはっきりしてきて、床が近いことに驚く。床で寝る習慣のない私は体が軋むのを感じながら身を起こして、思い出した。縁くんの家だ。

大体ケセランパサランなどが簡単に見つかって良いはずがない。縁くんの家の猫たちが丸まったり尻尾を揺らしているのを見間違えている。私の首元で襟巻きになった白猫も、いつの間にやらはずれている。流石に横になった時に下敷きになるのは御免だよなぁ。


「よう。起きたかね。」

縁くんはもう台所に立って湯を沸かしていた。

「雅が、僕の酒に付き合えるわけがないよなあ。猫より先に踊りだしてたからな。」

背中を向けて話をしているがにやにやとしているのがわかる。ちょっと気に食わない。

「あれを言っているなら、人語を解す犬が手に入るやもしれんことを喜んだ踊りだよ。酔ったわけじゃない。」

しかし、弁解にもならぬ。


濃く熱いお茶を2杯と、お茶漬けにでもしようか、と茶碗にご飯を出してきてくれた。

「犬和尚がね、今日の昼来い。と言っていたよ。あまりに都合が良すぎると思うんだよねえ。まあ、お産なんてわからぬものだからな。」

綺麗な所作でお茶漬けをかきこみ終えて、縁くんはこう付け加える。

「付き合えるのは僕から雅しかいないね。こんな昼間っから暇人だなんてそうそう、いやしない。」


昨日は猫の襟巻き、今日は犬。そうそううまくいくはずがない。とはいえ、犬和尚のことを知っているのは雅くんだけであるし、今後私だけでお邪魔するにしても、今日同行して貰わねばならぬ。昨夜から時計を気にせずにいたが、時計を見てみれば、もう11時を指そうとしている。犬和尚の約束の刻限まで間もない。茶碗を洗うのは任せたよ、と縁くんは猫に餌をやっている。鰹節も悪くはないよなあと呟いたのが聞こえてきた。


身支度を整えて、家を出たのが11時半を過ぎた頃。縁くんはコートを着た上に灰猫の襟巻きをして自慢気であった。犬和尚にお披露目をしないとね、と言う。犬のお産に猫など連れて…と思うが、襟巻きになった猫は大人しいものだから構わないのか。電車に乗ってもにゃーとも言わなかった。 


犬和尚の寺は縁くんの家からそう離れてはいなかった。結界のように木々が寺を囲っているからか、境内に入ればしんとしていた。

勝手に犬が何匹もいる様子を想像したが、そんなこともなかった。2頭の柴犬と和尚の奥様が抱くマルチーズだかがいて、それぞれに愛嬌はあるが、犬和尚と呼ばれる所以がわからなかった。


犬和尚の姿も見えたことだしと、急ぎ足に奥の庫裏に向かおうとすると、縁くんに引き止められた。

「嫌われるともう次は入れてもらえないぞ。」

と言う。驚いて左右を見ると、寺なのに狛犬が並んでいた。

厳しい面の中に可愛げのある狛犬たちは、渦巻いた尻尾を振ってみてくる。

縁くんは吽形の方に寄っていき、首や背中などを掻いてやっている。硬いだけで犬と変わらぬことが好きなようだ。真似して阿形の首や腹を撫でてやった。ムツゴロウの気分であった。

指先に岩の硬さを感じていたはずが、そのうち柔らかな毛並みの感触を覚え、驚いた。

「満足したようだそ。やっと中に入れる。次回からも同じだけ求められるがな。」

縁くんはうっすら汗をかいていた。私の体もよく暖まっていた。


どうやらこの狛犬たち、寺に寄る者たちにこうやって毛繕いをせがんでは満足するまで撫でてもらうらしい。それが所以でこの寺の和尚は犬和尚というわけだった。


庫裏に上がると、犬和尚は私たちを大変歓迎してくれた。

「よくぞ参ってくれたのお。あの狛犬たちの洗礼も可愛いもんだろう。生き物が好きなもんが訪れると匂いでわかるのか、大層喜んでな。」と剃り上げた頭をぴしゃりと叩いて言った。

「時に縁よ。その隣の御人が人語を解す犬が欲しいと言うんだな。」と困り顔になって続ける。

雅です。と簡単に自己紹介をするが、犬和尚は返事も早々にこう言う。


獣医はそろそろ予定日だと言うし、母犬は巣作りらしい行動もしたらしいが、途端に今朝方になって鼻を寄せてふんふん言う。人語を喋らぬのではっきりとはわからないが、子が出てくるのはもう少し先になるそうな。

「縁に雅よお、せっかく呼び寄せたところ悪いが、いつともわからんのだよ。」と。


和尚の奥さんがお茶を入れてくださったのでいただき、縁くんは猫の襟巻きを和尚に披露していた。

「犬もさぞかし可愛いが、猫も興なものだのう。」と襟巻きの猫をこそぐっていた。


良いものを見せてもらったよ、また連絡するからと見送られた。

私も何日も縁くんの家にいるわけにもいかない。猫アレルギーだってあることだし。幸い襟巻きになった猫にはあまり反応しないが。それでもあと三匹がいるわけで…

「犬和尚から連絡があったら、またご一緒できるかい?」と尋ねると縁くんは今度は饅頭が良いなぁ、と呟いていた。手土産次第、と言うことらしい。

まぁまたそのうち。と別れ、家路についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る