第29話 記憶的帰納法



 月に来てから数か月がたちました。

 かばんたちはその後も毎日月面基地の調査を重ね、人間の痕跡をたくさん見つけていました。

 物理学実験棟の倉庫に厳重に保管されていた謎の金属の球体(シガクシャは標準器と言っていました)やレーダー実験棟の黒板に描かれた大量の数字の羅列(シガクシャは天測計算と言っていました)、工学実験棟に並べられていた様々な形のロケットの模型(シガクシャは自慢と言っていました)。そのすべてがかばんの知的好奇心を無責任に刺激するのです。

 かばんが特に驚いたのは、物理学実験棟の地下にあった、大型の加速器でした。初めて入ったときは、ただ大きな機械がそこにあると思っただけでしたが、それがどこまで行っても続くわけですから、圧倒的なスケールに感服するばかりでした。

 もっとも、サンドスター実験棟は中がほぼ焼失してしまっていたために情報は得られないままでしたが、月面基地の中で見つける資料のすべてが、人間が生きて、研究をした記録となっていました。もうここにはいないハズなのに、人間の手で書かれた詳細な記録を見ると、今でも近くに人間がいる錯覚を感じてしまいます。


「早く人間に会いたい」


 かばんのそんな思いは日々強まっていったのです。

 そんなある日、かばんが本日の探索を終えて自室でまったりしていたところに、シガクシャが急に入ってきました。


「人間さん!ついに!ナサガキ星の私たちのデータが送られてきましたよ!」

「え!?本当ですか!?」


 かばんは驚き声を上げます。


「本当です!食堂の部屋に来てください!」

「すぐ行きます!」


 かばんは起き上がって食堂に向かいました。



 ~~~



 食堂ではすでにライカとキネが期待に満ちた表情で立っていました。どうやら、早く人間に会いたいと思っていたのはかばんだけではなかったようです。

 かばんが入ってきたのを見計らって、ライカは端末を操作しているシガクシャに声をかけました。


「シガクシャ!全員そろったわよ!始めましょう!」

「キネも早く、会いたいピョン!」


 言わずもがな、この数か月で、二人の仲はさらに良くなったようでした。

 シガクシャは彼女らを見て言いました。


「焦らなくともデータは逃げたりしませんよ!さあ早くこちらをお使いください!」


 シガクシャは2人にそれぞれ、黄色いビー玉のようなものを渡します。


「人間さんもどうぞ!」


 かばんもシガクシャからオレンジ色のビー玉のようなものを受け取りました。

 渡された三人の頭の上に、疑問符が飛び交いますが、それに構わずシガクシャは言います。


「噛まずになめてくださいね!」

「なにこれ?」

「あちらの我々の記憶です!」

「意味わからないんだけど!説明して!」


 ライカは眉間にしわを寄せながら言いました。

 するとシガクシャは少し慌てて説明を始めます。


「ああ、すいません。説明を忘れていました!まず、コピー先の我々の頭の中には、記憶を保存するためのチップが埋め込まれるんですよね!で、そのチップの記憶データは2か月後に自動的に我々のもとに届けられます!」

「で、この飴玉とどういう関係があるわけ?」


 ライカは手の中で飴玉と呼んだものをコロコロと転がしながら言います。


「その......飴玉はデータを記憶に出力するためのものです。そもそも記憶と言うものは脳の神経同士の繋がりなんですよね!それで、それをなめると味覚と嗅覚の刺激で脳神経がうまい具合に繋がって、向こうの我々の記憶がこちらの我々の頭の中に反映されるわけです!

 これを使うことによってあちらでの体験をほぼ一瞬でものにできるのです!」

「うーん......仕組みはなんとなくわかるけど、うまくいくものなの?」

「もちろん!人間さんにも、フレンズさんにも使えるように調整してくれましたので!大変だったそうですよー!」

「副作用とかあったりしますか?」

「そんなものはありませんよ!断じて!」


 かばんは意を決して飴玉をなめ始めました。

 ライカとキネも続きます。

 ほどなくして3人は飴玉をなめ終わりました。しかし、何も起こりません。


「はい!これで終わりです!」

「ちょっと!何も変わってないじゃない!」


 ライカは文句を言いますが、シガクシャは笑いを含んだ声で返しました。


「そっりゃそうですよー!今のライカさんには、頭の中に記憶がありますが、それをうまく引き出せない、という状況にありますからね!一見何も起こっていないように感じると思います!」

「分かってたわよそんなこと!」


 多分分かっていなかったでしょう。

 かばんはシガクシャに質問をしました。


「では、どうすれば記憶を引き出せるようになるんですか?」

「簡単です!記憶を引き出すきっかけを与えてあげればいいんです!さあ、みんなで一緒に思い出してみましょうか!」


 シガクシャは、食堂の席に3人を座らせて、手に持っていた端末に緑色の星を映し出しました。ちょうど地球と似た星ですが、海と陸の形が大きく異なっています。


「これがナサガキ星の、惑星ホンドです。何か思い出せそうですか?」


 これをみた瞬間に、それまで黙っていたキネが声を上げました。


「これって、宇宙船からみた景色じゃなかったラビ??ほら、10日くらいずっと宇宙船に乗っていて、ようやくナサガキ星が見えてきた時の!」

「あ、そんなことあったわね!」

「確かに、思い出してきました!確かライカさんとシガクシャさんがケンカしてましたよね」


 シガクシャは満足そうな顔になります。


「いいですねー!とてもこの作業が初めてとは思えません!最初が思い出せれば簡単です!そのあと起こったことを順番に思い出せばいいんですから!ちなみにこれ記憶的帰納法って言います!」


 一同はその後のことを思い出し始めます。

 数秒もしないうちに、かばんが口を開きました。


「あ。ナサガキ星が見えた後、シガクシャさん別の姿に変わりましたよね?確かぼくにそっくりの姿に」

「覚えているピョン!キネの昔の友達にも似てたラビ!」

「おっと、それはたぶんこの姿ですね!」


 シガクシャがタブレットをいじり、ヒト型のシルエットを映します。一般的なナサガキ星人の姿だと言って、かばんたちに過去に何度か見せた画像です。

 それはどうみても人間の女性にしか見えませんでした。


「未知の文明と交流する際には、必ずその星の知的生命体に扮することにしているんですよね!こうすればその星の環境に簡単に適応できますし、文明を肌で感じることができますから!」


 シガクシャは、地球では生物が見つからなかったので、コペルダ星人オリジナルの姿で探索していたが、その後なぜか姿が変わってしまった......と続けましたが、特に誰も聞いていませんでした。

 シガクシャは鼻で息を抜いて、他の3人を見ます。


「宇宙からでも分かるくらい発展しているところもありましたよね!そこだけ灰色になっていて!」

「私的には大気圏突破する時はハラハラしてしまったわ!」

「確か2番目に大きな大陸に見事に着地したピョン!」


 そこにはとめどなくあふれ出る記憶に目を輝かせ、夢中になって思い出話をしている3人の姿がありました。それを見たシガクシャは、思わず我が子を見るように微笑んでしまいます。

 しかし、この慎ましい団らんは長く続きません。この後の記憶はこれをどん底に突き落とすものでありました。


「で、着地して、宇宙船から降りて......」


 ライカはここで口をつぐんで、うつむきます。


「うん。降りたウサ。で、会ったラビ」


 キネの額から汗が流れ落ちます。


「たくさんいたんですよね。


 かばんがボツりと言いました。

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