第3話 爆弾
ある日のこと。
柏原がみんな来てと手招きしながら教室から出るように促した。
「え、なに?」予習中の丹羽所が乗らない調子でいう。「私勉強中なんだけど」
「そんなのはいいからちょっと来てって!」
「ここじゃダメなの?」
「ダメ」
「誰かに聞かれたらまずい話なの?」岬が問いかけた。
「まずい。大いにまずい! てか葉月が来る前に話したいの!」
丹羽所が不承不承に立ち上がり、他のみんなも廊下の突き当たりまで連れて行かれた。
「これ見て」
柏原がスマホで見せた写真には、だいぶ引きからの右斜めの構図の野茨葉月が写っていた。
「どうしたの? これ」
「わたしのカレシの兄が写したの」
「ちょっと待って。なんでアンタのカレシのお兄ちゃんが葉月を撮ってるの? まさか…」
岬の顔がゲテモノ料理を目の前にしたように歪んでいく。
「勘違いしないで。事はそんな単純なことじゃないの」
「あれ? これって…」丹羽所が何かに気づいたように柏原からスマホを取った。「この角度って隠し撮りよね。高い所から下を歩く葉月を撮ったようにも見えるんだけど。カレシならフツーこんな所から撮る?」
「さすが山萌ちゃん。あったまいいー。ご明察。これは兄の隠し撮りです」
「何の目的があって?」岬がたずねた。
「そこが問題なの」柏原は声を潜めて語り始めた。「兄の受講している講義を担当する大学の非常勤講師が女子高生と不倫しているっていうウワサが立っているらしくてね。兄とその友達がもしかしてこの子なんじゃないか、ってキャンパスにいた葉月を隠し撮りしたみたい」
「まず葉月に聞いてみよう」岬が言った。
教室へ戻ると野茨が登校して席についていた。
「…昼休みにしましょう」
柏原がニヤついた。明らかにコイツ楽しんでいるなあと岬は思った。
昼休み、野茨を人気のない校庭に連れて行くと開口一番丹羽所がズバリたずねた。
「葉月アンタ不倫してんの?」
「ちょ、山萌アンタなにいきなり聞いちゃってんのよ!」柏原が焦った。
「私回りくどいことキライなの? 知ってるでしょ? 幼なじみなんだから別にいいじゃないの」
「幼なじみと言ってもある程度は気を使わないとね」岬なりの持論だった。
「わかった。そうかもしれない。次から気をつける。だけど今回はもうズバリ聞いちゃったから撤回不可能。葉月どうなの? 不倫してるの?」
「不倫ってなに?」野茨がきょとんとした。
「アンタの付き合ってる妻子持ちで大学の非常勤講師の男のことよ」柏原が妻子持ちのところをとくに強調した。
「妻子持ちの男? あの人は違うよ。てかなんでみんなわたしに恋人がいること知ってるの?」
「なに? アンタ隠し通していると思っていたわけ?」柏原が大げさにのけぞった。「何年付き合いあると思っているのよ。アンタのこの頃の変わりようは、カレシができたって想像くらいつくわ」
他の二人も一様にうなずいた。
「でもあの人、独身だよ」野茨はきょとんとした。「だって結婚指輪だってしてなかったし」
丹羽所が難問にぶち当たったように頭を抱えた。「葉月、アンタ、世の中にその結婚指輪を外すことで未婚だって思わせる男がいることにも想像が及ばなかったの? どんなよい子ちゃんだよ」
「だって大学の講師だよ? そんなことするかなあ」
「ダメだこりゃ」
丹羽所がお手上げとばかりに両手を挙げた。
「するヤツはするんだよ」岬が断言した。
「えーまさかー」
「まさかじゃない。まさに、だよ」柏原はめずらしく真剣な顔だった。
「別れなさい」丹羽所が冷ややかな顔で告げた。
「そうね」岬も同意する。
結局、全員が別れたほうがいいという結論で一致した。ところが、当事者である野茨だけが反発した。
その理由は、心の底から愛し合っているから、という非常にシンプルなものだった。だが、そのことに真正面から助言できる者は、この場には柏原しかいなかった。彼女しか男性と付き合ったことがないし、男性経験もないからである。他の者たちがそんな理由で? 相手は不倫なんだよ? どれだけ愛していても葉月が傷つくだけだよ? こっちから振ってやりな、などどこかで聞いたことのあることばが頻発する中、柏原だけは頷きながら、うんうんわかるわかる、と知った顔をしていた。
「愛し合っている時ってその人のことが永遠に好きとかこの先も変わらないとか本当に思っちゃうんだよねー他人から見たらヘタなドラマみたいなクソ台詞かもしれないけど、当事者たちはいたって本気なんだよ。わたしだって最初はあんなセリフ嘘だろ、と疑ったけど恋愛中はそれがフツーなんだよねーべつに恋愛真っ只中でうまくしゃべろうとか考えてないし、即興だとやっぱり陳腐なセリフが便利というか、それしか言えないんだよ」
だけど、と柏原は人差し指を鼻に近づけるジェスチャをして付け加えた。
「もしわたしがアイドルデビューできたら、恋愛していたこととかカレシがいたことは、しぃーね」
「なんだよ私情かよー」岬は呆れて吹き出した。「途中までいいこと言っている気がしたのに、最後は自分のことかーい」
「わたしは不倫はかまわないと思う」柏原はマジメ顔で続けた。「やっぱり伴侶と恋人って違うんだよ。伴侶は生計を共にするパートナーで、恋人は男女としての喜びを満たしてくれるもの」
「じゃあ、もしアンタのカレシがもし浮気していたら、どう思うの?」
岬は至極まっとうな疑問をぶつけた。
「わたしは全然かまわない」柏原はけろりとして答えた。
「ふーちゃん。コイツは一般論ではあてにならないから聞き流したほうがいい」
冷ややかに丹羽所が言う。
「ていうかそもそもさー葉月見たらぜったい高校生だってわかるじゃん? あと話の内容とかでもさーそいつが悪いよ」
丹羽所が相手の男を非難し野茨を擁護した。
「そうだね」岬も同意した。「オトナのくせにさーそれに大学の講師なんでしょ? それくらいわきまえていそうなもんだけど」
「それがわきまえていないオトナが世の中にはごろごろいんのよー」柏原は知ったかぶりで言った。「そいつきっと高校生の時モテなかったんだよ。で、働くようになって自由にできるお金ができたら急に自分に自信ができた。それで高校生の時に経験することのなかった青春を埋めるために女子高生ブランドに…葉月に手を出したんだと思う」
「右に賛成」丹羽所が手を挙げた。
「右の右に賛成」岬も挙手した。
「悪いヤツだよ」柏原は眉間にしわを寄せた。「だけど葉月アンタ。どこまで行ったの?」
「どこまでって?」
「どこまでって男女としてどこまで行ったのかってことに決まってんじゃん。まさか宇宙の果てでもあるまいに。トボけるんじゃない」
野茨のほおが朱に染まった。ニヤニヤするばかりで答える様子がないのと他の二人が口をつぐんだのを見て柏原が、
「セックスしたのかってことよ」
「…した」ぼそりと答えた。
「あ? 聞こえない。はっきり言いなさい」
「し、た、よッ」
岬は常に自分よりも常に一歩か二歩後ろにいて控えめにしていた野茨が不倫という禁断ともいうべき恋を経験して、さらにセックスも経験済みという話を聞いて面食らった。きっと隣で聞いていた丹羽所も同様だろう。そのこと自体は衝撃を受けただけでいいも悪いもない。岬が驚愕したのは、小学生から中学生まではどんぐりの背比べみたいにほとんど差のなかった自分たちの間でわずかながら差がつき始めているということだった。
なぜかわからないが、動揺している自分を知りさらに動揺を呼び込んだ。
「じゃあさ、別に別れるつもりはないけど、もしそうなった場合にはどうしたらいいの?」
みんなにあれこれ言われて不安になったのか、野茨は控えめに正解を聞いた。
「別に別れるつもりはないけど、か」柏原はこの先の未来を予期しているかのように不敵に笑った。「葉月セックスは気持ち良かった?」
野茨は絶句した。
「やめなさいむらさき。そういうことストレートに聞くのタブーだと思う」
「山萌は秀才だから言うことも模範回答なのよね〜」
ローソクにコップを被せるみたいに丹羽所から表情が消えた。めずらしく怒っているようだ。たぶんムッとしただけで大げんかにはならないとは思うが、岬が間を取り持った。
「むらさき、アナタはデリカシーがない。山萌は命令調で言いすぎ。わたしたちだからいいけど、他の人だと問題になる」
「デリカシーってわたしたちの間でそんなことってある〜?」
「ふーちゃん細かいトコ気にしすぎ」
「いくら親しい間柄でも礼節やリスペクトの念は忘れちゃいけないと思う。そこを欠いたらただ付き合い長いだけの、発酵して腐った烏合の衆だよ」
丹羽所は小さくため息を吐いた。柏原は照れ隠しのためか長い髪を払う仕草をした。
「…気持ち良かったよ」消え入るような声で野茨が言った。「セックスはいいね。初めてする前はあんなにキモチいいとは思わなかった。一つに結ばれると愛し合っているってカンジがすごくする」
「わかる」柏原が同意したが、他の二人は身を乗り出すように聞き入っているだけだ。
「まさかセックスだけの関係じゃないでしょうね?」丹羽所は興味津々だった。勉強好きの秀才でもそこは気になるのだろう。
「それは違う。でも他の人はどうかわからないけど、わたしにとってはセックスのない恋人関係はありえない」
「言うようになったね〜」恋愛の先輩である柏原が少し引いていた。
「会ってすぐラブホ行ってセックスすることもあるの」
「えーマジで?」岬も驚いている。「そんなカンケーってあり?」
「で? なんだっけ?」柏原が急に話題を打ち切った。「ああそうそう。不倫相手との別れ方だった」
ああだこうだと話が錯綜している間に野茨の考えが変わったらしい。
「別れるつもりない」はっきり告げた。
これでお開きになった。
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