死神と闇の箱庭と最上の一皿
第16話
夢を見た。
パリのアパート。
調理器具と寝具以外、家具も生活用品もない、がらんとした部屋。
私は、ノートパソコンの画面をスクロールさせていた。
食費を削って契約したインターネット。
日本語の細かな文字のかたまり。
攻略チャート。
『マギクロ』の、攻略サイト。
インスタントのブラックコーヒーを片手に、タッチパッドに指を滑らせる。
『分岐出現率、一パーセント未満』
私は手を止めた。
『該当キャラに遭遇した場合、すべての問いかけに「何も答えない」を選ぶこと。出現場所、日付、時刻……』
☆
豪奢な天蓋つきの、ふかふかのベッドで私は目を覚ました。
上品かつ華やかな調度品に囲まれた、一人で過ごすには広すぎる部屋。
太陽はまだ昇っていない。
悪役令嬢四日目の朝。
メイドの手を借りて顔を洗い、シンプルなドレスに着替え、髪を整えてもらう。
鏡の中にいるのは、青緑色の巻き毛と吊り目がちのエメラルド色の瞳をした、華やかな顔立ちの令嬢。
夢の中でパソコンを操作していた感覚が、まだ指先に残っている。
市販のインスタントコーヒーの苦味も。
なんだかリアルで、不思議な夢だった。
ただ、どこのサイトを閲覧していたかは、覚えていない。
「ディアンヌ、ただいまー!」
「ディアンヌ様、おはようございます!」
太陽が昇り、紅茶色に燃えた空が静かな水色に染まる時分。
台所で食材の下ごしらえをしているところへ、勝手口からフラヴィとベルナルドが顔を見せた。
「まあ、フラヴィ!」
私は手を拭いて、フラヴィのもとへ駆け寄った。
「無事に戻ってきましたのね。よかったですわ」
水色に透き通った蝶のような翅を羽ばたかせ、フラヴィは私の指先に飛びついてきた。
「ディアンヌー、おなかすいたー」
「はいはい。少し待っていてくださいませね」
聞きたいことがたくさんあるのだけれど、まずはフラヴィのお腹を満たしてあげるのが先だわ。
フラヴィの瑠璃色のふわふわした髪を軽く撫でてから、私はベルナルドに視線を移した。
「ベルナルド様、おはようございます。フラヴィを連れてきてくださいましたの?」
「いいえ。すぐそこで偶然会ったんです」
そう答える彼を見守るように、戸口に騎士の卵・デュークがひかえていた。
「デューク様、ごきげんよう。今朝も、ベルナルド様の護衛で?」
「ああ」
まだ学院の卒業前だけれど、デュークは騎士見習いとして学生寮から王宮へ通っている。
「お二人とも、朝食は召し上がりまして?」
「もちろん食べてません。ディアンヌ様の手料理のために、お腹を空けて来ました!」
ベルナルドは、堂々と胸を張って言った。
「俺も、まだ何も。寮の朝食は七時からだからな」
時刻は、まだ六時前。
二人とも、いったい何時に起きたのかしら。
私も、人のことは言えないけれど。
「それでは、少々お待ちくださいませ」
一品目、パテのパイ包み焼き。
前の晩に仕込んでおいたパテ(細かく叩いた豚肉、炒めたタマネギ、キノコ、パン粉、塩、赤ワイン、ナツメグを練り混ぜたもの)を、パイ生地に載せる。
ゆで卵を環状に並べる。
もう一枚のパイ生地をのばし、上にかぶせる。ふちにフォークを押し付けて貝のように閉じる。
表面に牛乳を塗り、オーブンで三十分焼く。
二品目、ドライフルーツとカスタードクリームのクレープ。
全卵、砂糖、小麦粉を合わせ混ぜる。
牛乳とバニラを加え、さらに混ぜる。
鍋を火にかけて、混ぜ続けるとカスタードクリームの完成。
フライパンにクレープ生地を流し入れ、薄く広げて焼く。
皿に取り、ドライフルーツと(お好みで)砕いたナッツ、カスタードクリームを載せて、四方から折るように包んで四角形に整える。
「お待たせいたしました」
台所に端にある木製の小さなテーブルに、できあがった料理を切り分けて並べる。
フラヴィのぶんは、私たちで言うところの指先ほどのサイズにカットして、彼女専用の小さな食器に載せた。
「うわあ~~、かわいい~、おいしそ~!」
「さすがはディアンヌ様ですね」
「朝から、このような豪勢な食事をいただいてもいいのだろうか……?」
三者三様の反応を見せるフラヴィたちに、「どうぞ召し上がれ」とすすめる。
「「「いただきます」」」
三人が料理を楽しむ間に、料理長の作ったコンソメスープを人数分わけてもらい、給仕した。
「お味はいかがかしら?」
「おいしい!」
「とてもおいしいです!」
「美味だ」
見ていて気持ちのいい食べっぷりで、即答してくれた。
「それで、フラヴィ。サーラの様子はどうだったの?」
ベルナルドが、パイを一口大に切りながら尋ねた。
「サーラがどうかしたのですか?」
デュークが食べる手を止めて問いかける。彼は、サーラの動向について何も知らないのだ。
「詳しいことは割愛するけど、聖女試験に関わる大事なことがね、ちょっとあるんだ」
ベルナルドは特に焦る素振りも見せず、嘘でごまかすこともなく、遠回しにうまく答えた。
これがアランだったら、
「そうなのですか。滞りなく進むと良いですね」
素直な性格のデュークは、それ以上追及することなかった。
はた、と気まずそうな眼差しでこちらを見た。
「……すまない、ディアンヌ嬢。貴女の前で、聖女試験の話はするべきではなかったな」
「構いませんわ。わたくしが脱落したのは、正当な報いですもの」
私がそう言うと、デュークは安堵したのか「そうか」と普段の無表情に戻って食事を続けた。
彼は、リラックスしたニュートラルな状態が無表情なのよね。
「結論から言うと、サーラの様子におかしなところは何もなかったわ」
「何も?」
フラヴィは、パイ生地をサクサクと齧りながらうなずいた。
「一時間くらい本を読んで、ポレットと話をして、レース編みをして、それから寝るまでの間はずっと妖精王の卵に祈りを捧げていたわ」
「そう……」
「収穫なしかー」
死神がサーラに干渉しているというのは、私の推測にすぎなかったのかしら。
「フラヴィ。卵の状態は良好だったか?」
詳しい事情を把握していないデュークが、何気なく問いかけた。
「問題ないと思うわ。雪のように真っ白で綺麗だったわよ」
「そうか」
「真っ白……?」
フラヴィ用に小さく切り分けようとしていた手が、止まった。
「ディアンヌ、どうかした?」
妖精王の卵は、聖女候補の祈りに反応して、その都度淡い虹色に輝くのだ。
その光は、日が経つにつれて色濃いものになり、最終試験の朝、神殿で祈りを捧げるとその場を飲み込むほどの虹色の光の奔流があふれ、次期妖精王の幼体が誕生する。
この場の誰も、妖精のフラヴィでさえ、妖精王の卵がどのように成長するか知らない。
知っているのは、画面の外から見守っていた「私」だけ。
異変があるとしたら、それは「卵」なのか、「聖女候補」なのか。
私は、ナイフとフォークをそっと皿に置いた。
「ディアンヌ、もう食べないの?」
フラヴィの声を遠くに聞きながら、私は『マギクロ』の設定資料でしか目にしたことのない「死神」の姿を思い浮かべた。
雪のように美しい、絹糸のような長い髪。
消えゆく三日月のように、細い銀色の鎌。
見る者を魅了する、ガーネットのように赤く輝く瞳。
死神に魅入られた主人公は……けっして逃げられない。
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