第15話

 窓から射し込む西日が、つややかなチョコレート色の店内を飴色に輝かせる。


「サーラが、操られている……?」

 アランは、信じられないと言いたげに目をみはった。

「ディアンヌ様。何か、心当たりがあるんですか?」

「それは……」

 ベルナルドの問いかけに、私は口ごもってしまう。


「『外の世界』から『ゲームの中の世界』を見ていたから」だなんて、とても言えない。

 本当に死神がサーラの心を揺さぶっていたのだとしても、彼女本人にしか死神の姿は見えないのだ。

 証明する手立てがない。


「すみません。ただの推測ですので、これといった心当たりは……」

 私は膝の上で拳を握りしめ、顔をうつむけた。

 泣く子も黙る悪役令嬢が、聞いて呆れる。

 二人も、私の荒唐無稽な発言に失望したことだろう。


「サーラを操って、どのような利があるというんだ……?」

「兄上。人の心に干渉する魔法って、禁呪だよね? 相応の腕がある魔法使いってことかな?」


 …………え?


 私は、伏せていた顔を上げた。


「たしか、サーラが聖女候補に選ばれた時、王宮で異を唱えた人が何人かいたよね?」

「異世界出身のサーラを、どうしても聖女にしたくない者たちか」


 ベルナルドとアランは、真剣な顔で議論を交わしていた。


「信じてくださるのですか?」

 すると、二人は同じ青色の双眸で、不思議そうにこちらを見返した。

「君は、この状況で無意味な嘘をつくほど浅慮な女性ではないだろう?」

「たとえ騙されていたとしても、ぼくにとってはご褒美ですし」

 アランは眉根を寄せ、ベルナルドは小悪魔的な微笑みを浮かべた。

「……ふふっ」

 二人の対照的な反応がなんだかおかしくて、私はつい笑ってしまった。

「何がおかしい?」

「いいえ、何でも」


 二人が私の弁を信じてくれたとはいっても、「死神」の存在を伝えるまでには至っていない。

「誰の目にも見えないもの」を、どうやって認識してもらえばいいのかしら。

 それに、ゲームの登場人物に転生した「私」に「死神」の姿が見えるかどうかも、わからない。

 画面の外からプレイヤーとして傍観するのとは、わけが違う。


「ねえねえ、ディアンヌ」


 思案する私の髪の中から、フラヴィがぴょこんと顔を出した。

「あたしが、サーラの様子を見てきてあげてもいいわよ」

 フラヴィは光に透ける水色の翅を羽ばたかせて、くるりんと旋回し、テーブルの真ん中に降り立った。お茶菓子のマカロンとスコーンの載った皿がある。

「たぶんだけど、ここにいる誰も、サーラの『素』の姿を見てないわよね? サーラが一人でいる時の様子がわかれば、何か掴めるんじゃないかしら。ポレットが一緒だから、完全に一人ってわけにはいかないけど」

「それは……とても助かるけれど」

 万が一、死神の目にフラヴィの姿が触れたらと思うと、躊躇してしまう。

「なんだかよくわからないんだけど、ここ最近のサーラを見てると、翅がチリチリするのよね。なんていうのかしら、うーん……気持ち悪い?」

「それは、妖精の直感かい?」

 アランが尋ねると、フラヴィは「たぶんね」とうなずいた。


「ディアンヌ。ここは、フラヴィに頼ってみてはどうだろう?」

「ぼくも賛成です。ディアンヌ様が心配する気持ちはわかりますが、彼女に頼るのが最善かと」

 二人の後押しを受けたフラヴィは、「あたしにまかせなさいよ」と小さな顎を上向けて言った。

「わかりましたわ。フラヴィ、お願いしますわ。でも、身の危険を感じたら、すぐに戻ってくると約束すること。よろしくて?」

「おっけー!」

 フラヴィは、右手の親指と人差し指で小さな輪を作ってうなずいた。

「すまないが、よろしく頼む」

「どうか、気をつけて」

 アランとベルナルドは、気遣わしげに声をかけた。


「それじゃあ、潜入捜査へ行って……くる前に、これ食べてもいい?」

 フラヴィは、自分の身の丈ほどあるマカロンを指差した。

 まったく、緊張感に欠けるわ。

 私が確認の意をこめてアランに視線を送ると、彼は「どうぞ」と首肯した。




 日が沈む前に、フラヴィは単身、学生寮へと飛んで行った。

 夜間は妖精の方向感覚が鈍るので、明朝、日が昇ってから一度屋敷へ戻る予定。

 何事もなく帰ってくればいいのだけれど。


「すまない、ディアンヌ。君の相棒の手までわずらわせてしまった。この恩は必ず返す」

「結構ですわ。わたくしに恩を着せられたという事実を、墓場まで持って行ってくださいな」

「それが嫌だから返すんだ」

「あら」

 アランは忌々しげな顔をしている。心底嫌なのだろう。

「兄上はバカ正直なくせに、素直じゃないよね。一言、『ありがとう』って言えば済む話なのに、いちいちまどろっこしいんだよ」

「うるさい」

 夕陽のせいか、アランの頬が赤く染まっているように見えた。

「屋敷まで送る」

「ぼくも」

 気がつけば、右側にアラン、左側にベルナルド、真ん中に私。三人横並びで往来を歩いていた。

 道行く人が、私たちを見ては振り返る。


「あれは、侯爵家の極悪令嬢じゃないか?」

「まあ、美しいのに恐ろしい」


 聞こえよがしな囁き声も、ディアンヌの耳は聞き慣れている。

 こんなのは、全然気にならない。

 私は、胸を張って石畳に靴音を響かせた。


「ディアンヌ様」

 左を歩くベルナルドが、硬い声で囁いてきた。

「あのような声に、耳を傾ける必要はありませんからね」

 横目で窺った彼の表情に、私は息をのんだ。

 いつも笑顔を絶やさない、子犬のように無邪気なベルナルドが、今にも人を暗殺しそうな鋭い形相をしていたのだ。

 右側を歩くアランは、無表情を保っている。

「あの、ベルナルド様。もしかして、怒ってくれていますの?」

 小声で問いかけると、ベルナルドはさも当然のようにこう答えた。

「好きな人が悪口を言われていれば、誰だって怒るものでしょう?」

「…………」


 どうしよう、嬉しい。


「私」は、「私」であって、「ディアンヌ」ではないのに。


 嬉しかった。



 足取りが、妖精の翅のように軽くなる。

「ベルナルド様。よろしければ、晩餐をご一緒しませんこと?」

「えっ、いいんですか? ディアンヌ様の手料理!?」

「残念ながら、今夜は料理長ですわ。彼のお料理も絶品ですので、ぜひ」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 ベルナルドは、屈託のない笑顔を見せた。私の知っている笑顔だ。

「デザートくらいでしたら、わたくしがこしらえますわ」

「やったー! ディアンヌ様の手料理!」

「アラン様。恩を着せるついでに、あなたも召し上がっていってよろしくてよ」

 高飛車な口調で声をかけると、アランは秀麗な金色の眉をぴくりと上げた。

「……ご相伴にあずかろう」

 アランは、思いのほか素直に招待を受けた。


「サーラの件とまとめて、この恩は倍返しする」

「それは楽しみですわ」

「本当に素直じゃないんだから」


 ベルナルドの呆れたような声も、この時は柔らかな響きを含んでいた。



 夕空の下を歩きながら、私は頭の中で、簡単に作れそうなスイーツのレシピを構築し始めた。

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