第13話
死神ルートにのみ登場する「死神」は、主人公サーラにしかその姿を見せない。
それゆえに、ユーザーの間では「死神はサーラの分身……深層心理の表れなのでは」という説が浮上している。
絶望の象徴たる存在。
死神に魅入られ、「闇の箱庭世界」へ連れ去られた後、人々はサーラの存在と彼女にまつわるすべての記憶を失ってしまう。
異世界からサーラを召喚した妖精王さえも。
死神は、バッドエンド限定の隠しキャラにもかかわらず、人気がものすごく高い。
メリバ好きのユーザーにウケているのと、「顔と声が良いから」なんだとか。
私だったら、主人公が不幸になるシナリオはできる限り避けたいけれど、好みは人それぞれらしい。
死神ルートの世界線でサーラが消えた後、ディアンヌの人生はどうなるんだろう。
☆
学食の行列をさばいて後片付けを終えた私は、小走りで図書館へ戻った。
結局あの後、サーラとシャルルに手伝ってもらって、ポテトハンバーグを十個と、燻製肉とチーズのパイを二十個作った。
時刻は三時を回り、太陽が西へと傾きかけている。
図書館の閉館まであと一時間を切ってしまった。
入り口の扉をくぐり、なるべく足音をたてないように早足で、貸出カウンターにいるエチエンヌのもとへ走った。
「やあ、ディアンヌ嬢。お疲れ様でした」
煉瓦のように分厚い書物の表紙をリネン生地で丁寧に磨いていたエチエンヌは、顔を上げて微笑んだ。
先ほど行き倒れていた時と比べると、ほんの少し顔色が良くなったように見える。
「お待たせしてしまって、申しわけございません」
「いえいえ。本に触れていれば、時間はあっという間に過ぎますから」
どうぞ、とカウンター前の椅子をすすめられ、腰を下ろした。
「それで、相談というのは?」
「実は……」
私は、事のあらましを簡潔に説明した。
「なるほど。一週間で卒論ですか……。学院長も、なかなか厳しい試練を課しますね」
「できれば、五日後の卒業式の日までに仕上げたいのです。皆の前で華々しく、退学撤回された事実を披露するために」
「それはまた、無謀な計画を」
エチエンヌは、「無茶」でも「無理」でもなく、「無謀」と言った。
「不可能でしょうか?」
問いかけると、エチエンヌは眼鏡の奥の紫色の瞳をきらめかせた。
「いいえ」
「……そうですか」
よかった。無理だって突っぱねられたらどうしようかと思った。
「卒論のテーマは、決まっていますか?」
「いいえ。それを、エチエンヌ様にご相談しようかと」
ゲームの中の「ディアンヌ」は、妖精の環境保全に関する論文を見事に書き上げていた。
エチエンヌは細く長い指を尖った顎に添えて、「ふむ」と首をかしげた。
「迅速かつ容易に資料を集められて、ある程度の予備知識のある題材が望ましいでしょうね……」
独り言のようにつぶやいてから、エチエンヌは顔を上げた。
「食事と医療の関連性について……というのは、いかがでしょう?」
「医療……ですか?」
エチエンヌは、静かにうなずいた。
「私の生まれは、この国より遥か東に位置する砂漠なのですが、そこからさらに東にある大国では、食物と医薬は同じものであると考えられているのです」
前の世界で言うところの、医食同源――中国の薬食同源思想のことかしら。
「先ほどいただいたディアンヌ嬢の料理のおかげで、すっかり弱っていた自分の身体に生命力が行き渡ってゆくのを感じました」
たしかに、私はさっき学食で、エチエンヌの栄養バランスを考えながら料理をこしらえた。
治療だなんて、大それたことまでは思い至らなかったけれど。
「医療に関する蔵書でしたら、厳選してご用意することができます。私が察するに、料理のことに関しては図書館の蔵書よりもあなたの持てる知識のほうがずっと豊富でしょう」
褒めすぎの気もするけれど、彼の言葉が素直に嬉しく思えた。
「ありがとうございます、エチエンヌ様。この題材でしたら、やり遂げられる気がしてきましたわ」
明日の午後までに参考資料を用意すると約束してくれたエチエンヌにお礼を告げ、私は図書館を出た。
屋敷へ戻ったら、今日中に論文の章立てを作っておこう。
校舎の向こうに、学生寮の建物が見えた。
退学を撤回されたものの、私はすでに寮を出てしまったため、卒論の作業は自宅で行うことになる。
学院敷地内にある寮に戻れれば楽なのだけど、それは贅沢というものよね。
部屋に戻ったサーラは今頃、聖女の最終試験のお題と向き合っているだろう。
聖女候補の最後の一人に選ばれた者は、妖精王から卵を託される。
それは、次期妖精王の卵。
孵化する前の次期妖精王が、次期聖女の資質を見極めるのだ。
最終試験の朝、神殿に赴き、卵を孵化させることができれば合格となる。
ゲーム内の最終試験は、ディアンヌとの聖女争いの消化試合のようなイベントであるため、不合格になることははい。
この世界線でも無事に最終試験が終わりますようにと祈りながら、私は学院の正門へと向かった。
「ディアンヌ様」
正門の前で声をかけてきたのは、ベルナルドだった。
「ベルナルド様、ごきげんよう。どうなさいましたの?」
今日はまだ彼の顔を見ていなかったから、どうしているか気になっていた。
傾きかけた太陽の光が、彼のやわらかな金髪をまぶしく照り返す。
「あの……」
普段はサーラと同じく小動物のように人懐っこい彼が、この日はめずらしく浮かない顔をしていた。
「ベルナルド様?」
重ねて問いかけた時、門柱の陰から華やかな金髪がもう一人現れた。
「ディアンヌ」
先ほど図書館ですれ違った、制服姿のアランだった。
「君に話がある」
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