第11話

 フライパンから立ち昇る、まるで狂暴な火竜のような紅蓮の火柱。

 これ以上、勢いが増す心配はなさそうだけれど、速やかに消火する必要がある。


「フラヴィ、出てきてくださいな」

 私は、自分の青緑色の巻き毛を指先でつついた。


「んん……? なあに?」

 髪の中からぴょこんと顔を出したフラヴィは、寝ぼけ眼をごしごしとこする。

 ずいぶんと静かだと思ったら、やっぱり眠っていたのね。

 学院長室でご馳走になったお茶菓子で、お腹がふくれたみたい。


「これを、鎮めましょう」

「ひゃっ、何これ? 火事!?」

 私の指差す先を見て、フラヴィは瑠璃色の小さな瞳を大きく見開いた。


「ごめんなさい、ディアンヌ、フラヴィ……」

 どうしたらいいかわからずに狼狽するサーラの肩の上には、同じく青ざめた表情の妖精ポレットがいた。

「ちょっと、ポレット。ぼさっとしてないで、あんたも手伝うのよ」

「わ、わかったわよ」

 フラヴィに指図されるのが不本意で仕方がないといった顔で、ポレットは薄紅色の翅を羽ばたかせてこちらへ移動した。

 私の右肩にフラヴィ、左肩にポレットがとまる。


 私は、右腕を持ち上げ、顔の前にかざした。


「世界の光と闇を司り、我らに命の恵みをもたらす尊き妖精よ。……力を与えよ」


 かざした右手が、アイスブルーの光を放つ。

 ディアンヌが得意とする魔法は、氷属性。

 炎の妖精ポレットが火柱の勢いを抑え、氷の妖精フラヴィが魔法を増幅させる。


「…………っ」


 ゲームでは、プレイヤーである「私」は、ボタンを押しながら画面を見守るだけ。

 だから、魔法というものがこんなにも身体を焦がすほどに熱く、背中が押し潰されそうなほどに重いものだとは、知らなかった。


「消えなさい……っ!」


 手のひらから放ったアイスブルーの氷属性の魔力が、まるで熱湯にドライアイスの塊を放り込んだかのように、白煙となって蒸発した。

 目の前が白く染まり、やがて霧が晴れるように視界がクリアになる。


「…………ふう」

「ディアンヌ、大丈夫!?」


 足元がふらついた私の肩を、サーラが駆け寄って支えてくれた。

「あら……、ありがとう」

 息が上がる。肩を上下させて呼吸していると、サーラは胡桃色の瞳に涙をためて私の顔を覗き込んだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい、ディアンヌ。ありがとう……!」

「火は消えたのだから、謝る必要も泣く必要もなくてよ」


 涙をこらえようと身体を震わせるサーラの肩に、ポレットが蝶のように舞い降りた。

「わたしからも礼を言うわ、ディアンヌ」

 ポレットは、小さな胸を張って顎をつんと上向けた。

「あんたは、なんでそんな上から目線なのよ? ていうか、あんたが最初から火加減を調整してたら、こんな大事おおごとにはならなかったのよ。炎の妖精が聞いて呆れるわ」

「うぐ……っ」

 フラヴィの正論に、ポレットは赤面して言葉を詰まらせた。

「二人とも、おやめなさいな」

 私はあおぐように手のひらを振り、妖精たちの間に割って入った。

「あれだけの大きな炎でしたもの、ポレット一人の手には負えませんわ。フラヴィだって、あんな炎を一人で消すのは無理でしょう?」

「そうだけどー……」

 フラヴィは、不満げに小さな頬をぷくりとふくらませる。

「誰も怪我がなくて何よりですわ」


 火を消した後のフライパンに目を向けると、拳ほどの大きさをした、闇色の固形物が残されていた。

 元の食材が何だったのか、推測すらできない。……ダークマターかしら。

「サーラ……、あなたは、何を作ろうとしていましたの?」

 確認のために尋ねると、サーラは頬を赤らめてうつむいた。


「ジャガイモの……バター焼き……」


 イモ???


 私は反射的にフライパンの中身を二度見した。

 えっ、この石炭みたいな物体、ジャガイモ!???


 驚いた私の顔があまりに恐ろしかったのか(けっして怒っているわけではないけれど、ディアンヌは目つきが悪いのでよく怖がられる)、サーラの肩の上でポレットが青ざめた顔で小さな身体を震わせた。


「これはこれで、すごい才能ね……。ジャガイモが、よくもまあこんな無残な姿に」

 フラヴィが真面目な顔でつぶやくと、サーラは恥ずかしそうに顔を両手で覆った。


「あのね。この前、ディアンヌが作ってくれたジャガイモ料理がとてもおいしかったから……。ディアンヌみたいに手の込んだものはできないけど、焼くだけなら、わたしにもできるかと思って……」

「あら。それなら言ってくだされば、いくらでも作りますわよ」

 ジャガイモなら屋敷の畑で収穫できるし、市場で顔見知りの店に行けば安く手に入る。

「えっ、いいの……?」

 サーラとポレットは、驚いた顔でこちらを見た。

「大体、あなたは聖女の最終試験をひかえてとても忙しいのでしょう? こんなところでジャガイモを焼いている場合ではなくてよ」

 ジャガイモを炎上させて試験に落ちましたなんて、シャレにならないもの。


 私は、青緑色の巻き毛を手で払い、胸を張った。

「あなたは、このわたくしを踏み越えて次期聖女となる女性なのです。万全のコンディションで最終試験に臨んでもらいますわ! 手を洗って待っていらっしゃい!」


「ディアンヌ嬢、デカい声出して、どうしたんスかー?」

 騒ぎを聞きつけてか、シャルルが厨房へやってきた。

「あれっ、サーラちゃん? 何してるんスか? うわっ、その闇の魔物の卵みたいなやつ、何スか!??」

「…………」

 無邪気で悪気のないシャルルの追い打ちに、サーラはその場にしゃがみ込んでしまった。


「アラン様に食べてもらいたくて、がんばってみたんだけど……わたしに料理は無理なのかしら」

「あなた、アラン様に元婚約者の料理を再現して食べさせようとしていましたの?」

「だって、おいしかったから……」

 サーラに、修羅場という概念はないらしい。


「仕方がありませんわね」

 私は、制服の上着を脱いで壁際に置いた。白いブラウスの袖をまくる。

「シャルル様。すみませんが、ジャガイモの皮むきを手伝っていただけますか?」

「いいッスよ。手先は器用ッス」

 二つ返事で快諾してくれたシャルルに食材の下ごしらえをまかせ、私は消火した後の焜炉周りを手早く片付ける。

「サーラ。向こうからタマネギを持ってきてくださいな。三個で結構ですわ」

「わ、わかった」

 サーラは、小走りで厨房奥へ向かった。

 私は必要な調味料と香辛料を並べ、鍋にお湯を沸かす。それから、オーブンに火を入れて予熱。

 その間に、空いた手でシャルルと一緒にジャガイモの皮むきに取りかかる。


「シャルル様。エチエンヌ様は、まだ食堂にいらっしゃいますか?」

「いるッスよ。本を読んで待ってるって言ってたッス」

 待ちくたびれて図書館へ戻ってしまったかと思っていたので、安心した。


「ディアンヌ。タマネギ持ってきたわ。わたしは、何をしたらいいかしら?」

「とりあえず、皮をむいてくださる?」

 皮をむくだけなら、サーラにも簡単にできるはず。たぶん。

 半分に切ったジャガイモを沸騰する前の鍋に入れ、柔らかくなるまで茹でる。

 そして、タマネギをみじん切りにする。


「ディアンヌ嬢、何ができあがるんスか?」

 シャルルが、興味津々に問いかけてきた。

「できあがってからのお楽しみですわ」


 材料は、ジャガイモ、タマネギ、燻製肉、塩、胡椒、ナツメグ、バター、チーズ、蜂蜜。


 今日は、とっておきの一品料理を披露して差し上げるわ。

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