学者見習いと司書とポテトハンバーグ
第9話
『マギクロ』ゲーム内の婚約破棄イベントが発生するのは、学院の卒業パーティー会場である、王宮の広間。
悪役令嬢ディアンヌが聖女候補から脱落し、唯一の聖女候補となった主人公サーラは、一週間後の最終試験に挑む。
婚約破棄イベントの時点でディアンヌとの親密度が三十パーセント以下なら、彼女は以降登場せず、モノローグでその後の破滅が語られる。
親密度が三十パーセントを超えていた場合、最終試験前夜、ディアンヌが寮の部屋を訪れ、サーラにアドバイスとともにアイテム「お守りのリボン」をくれる。立ち去ったディアンヌは、その後やはり破滅の道をたどる。
聖女の最終試験を終え、次期聖女に認定されると、翌日の卒業式で学友たちから祝福され、その夜に攻略キャラとの恋愛EDを迎える。
☆
悪役令嬢三日目、朝食の席で父侯爵が言った。
「ディアンヌ。国王陛下と学院長から、退学撤回のお許しが出たよ」
私は、オムレツを切り分ける手を止めた。
ちなみに、今日の朝食は料理長が作ったもの。
「たまには私の料理を召し上がってほしいです」と、拗ね気味に言われてしまったので、今日は三食とも全面的におまかせすることになった。
どうやら、「私」が転生する前の「ディアンヌ」も、しょっちゅう厨房に入り浸っては料理人たちの仕事を奪っていたらしい。
「学院長が時間を作ってくださるそうだ。あとで、挨拶に行ってきなさい」
「わかりました。お父様、力を尽くしてくださり、ありがとうございます」
なんだか胸騒ぎがする。
プレイした記憶と異なるシナリオに入るせいか、不安が拭えない。
穏やかに微笑む父と、華やかな顔にひとつの笑みも浮かべない母を、交互に見やる。
ディアンヌの母である侯爵夫人は、一年に数回しか笑顔を見せない、巷では「鉄仮面」と呼ばれる鋼の美女である。
「…………」
私は、胸の奥になんとも言えない気持ちを抱えながら、切り分けたオムレツを口に運んだ。
「あら」
口内に広がる、ほのかな甘い香り。
隠し味にナツメグが使われていた。
「料理長。とても美味ですわ」
壁際にひかえる初老の料理長に声をかけると、彼は満足げに口髭を動かした。
王立カルパンティエ魔法学院。
通称、王立学院。
王侯貴族の子女のため設立された教育機関で、魔法使い、騎士、学者、幻獣使い、錬金術師など、さまざまな育成コースがある。
近年では、優秀な人材育成をすべく、身分や出身を問わず門戸を開いている。
「…………」
重厚な木製の扉の前で、私は足を止めた。
午前のうちに学院を訪れ、まず教員室へ顔を出し、先生方へ挨拶をしたのちに学院長室へと向かった。
「ディアンヌ、ビビってるの?」
「ビビってませんわ」
髪の毛の中で問いかけてくるフラヴィに、私は虚勢を張った。
どこの世界でも、校長室的な部屋に入るのは緊張するものだわ。
「今日は大事な話で来たのです。静かにしていてくださいませね」
「わかってる」
私は深呼吸を繰り返し、意を決して扉をノックした。
「どうぞ」
少ししわがれた男性の声が返ってきた。
「失礼いたします」
私は重い扉を開け、学院長室へ足を踏み入れた。
「ごきげんよう、学院長先生。ディアンヌ・モーリスにございます」
制服のチョコレート色のスカートの裾を踊らせ、私は優雅に礼をした。
「このたびは、お忙しい中、お時間を割いていただき、ありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。君のお父上とは昔からの仲だ。座りなさい」
執務用の椅子からわざわざ立ち上がって出迎えてくれた学院長は、来客用のソファを手で指した。
私は言われるまま腰を下ろす。
学院長も向かいに座るのかと思いきや、彼が次にとった行動に私は思わず目を見開いた。
「今日は秘書が休みでね。少し待っていてくれ」
学院長自ら、お茶の用意を始めたのだ。
「がっ、学院長先生! お茶くらいわたくしがお淹れしますわ! というか、お水で大丈夫です、お水で! どうかお構いなく!」
なんて恐れ多い。私は反射的に腰を浮かせた。
「大丈夫大丈夫、座っていなさい」
学院長は、前の世界でいうところの老舗純喫茶のマスターのような手際のよさで、カップを温め、ティーポットに茶葉を入れ、お湯を注ぎ、三分ほど蒸らしている間にお茶請けをテーブルに並べ、私が呆気にとられている間にふくよかな香りただよう紅茶が用意された。
私の前には、ティーカップがひとつ……と、ラズベリーほどの大きさをしたミニチュアサイズの玩具みたいなティーカップに同じ紅茶が注がれていた。
「出ておいで。君の分だ」
学院長が声をかけると、私の髪の中から瑠璃色の髪の妖精がポップコーンのように勢いよく飛び出した。
「やったあ! がくいんちょー先生、ありがとー!」
フラヴィは、言うが早いかお茶請けのマドレーヌに飛びついた。
「さあ、どうぞ」
「……いただきます」
私は、恐縮しつつカップを持ち上げた。
昨日、デュークの両親が「滅相もない!」と恐縮していたのを思い出す。こんな気持ちだったのかしら。
ふわり、と深い香りが口内から鼻へと抜けていく。
バラの花びらと、かすかにシナモンの香り。
「おいしい……」
「それはよかった」
華やかな香りでいながら、口の中にしつこく残らない、すっきりとした後味。
お茶請けのマドレーヌとジンジャークッキーも紅茶との相性が良く、とてもおいしい。
ついつい、手が止まらなくなってしまう。
はっ。
四枚目のクッキーに手を伸ばそうとしたところで、私は我に返った。
私は、お茶会に呼ばれたわけではない。
「あっ、あの、学院長先生」
「お茶のおかわりかな?」
なめらかな動作で、カップに新しい紅茶が注がれる。
「恐れ入ります。……いえ、そうではなくて」
そうだった。ゲーム内の学院長も、ものすごいマイペースな人で、主人公サーラがいつも「わたし、何の話をしていたんだっけ?」と忘れるほどだった。
「君の退学撤回の話だろう? わかっているよ。五分で終わる話のために、わざわざ来てもらったんだ。お茶くらい飲んで行ってくれ」
思うに、今日は秘書がいなくて話し相手に困っているから、しばらくここでくつろいで行きなさい……ということなのかしら。
「マルク……君のお父上の他に、サーラからも退学撤回の請願があってね」
「サーラが?」
アランともう一度婚約してほしいと言うくらいだから、彼女がディアンヌの退学撤回を申し出るのは不思議な話ではない。
「聖女候補については、すでにサーラが最終試験の準備段階に入っている。残念ながら、君を聖女候補に戻すことは難しい」
「学院を卒業させてくださるだけで充分ですわ。お気遣い、痛み入りますわ」
私は、感謝の意をこめて深く頭を下げた。
「ただ、あれだけの騒ぎになってしまったからね。お偉方への体面もあって、無条件で退学を撤回するわけに行かないんだ」
「つまり、わたくしが何かしらの試験を受けてパスすれば卒業させていただける……ということでしょうか?」
学院長は、父侯爵と似たような雰囲気の穏やかな微笑みを浮かべて、うなずいた。
「さすが、話が早い」
小さなカップで幸せそうに紅茶をくぴくぴと飲むフラヴィの姿を楽しげに眺めながら、学院長は紅茶を一口飲み、カップを置いた。
「ディアンヌ・モーリス。君に、課題をひとつ与える」
午後、私は学院図書館前の庭園にいた。
「がくいんちょー先生も、なかなかのドSよね。普通は半年かかる卒論を、一週間でもう一本作れだなんて」
髪の中からフラヴィが顔をぴょこんと出して、私の代わりに盛大なため息をついた。
学院を卒業するためには、ゲームの中でも「卒業論文」の作成を求められるのだけれど、ゲームでは選択したテーマに沿ってアイテムの「文献」と「研究素材」を集めて作成する。
アイテムのレアリティと完成した卒業論文の質に応じて評定を受け、五段階評価のAランク以上で卒業することができる(最高がS、最低がD)。
卒業論文を完成させるには、ゲームの時間軸で半年以上の期間を必要とする。
それを一週間で。
ゲームのような素材集めではなく、実際に自分で書く。
とても、できる気なんてしないけれど、もしもこの課題がクリアできなかったら、消滅しつつある破滅フラグが復活しそうな気がする。
自分の手でできることは、どんなことでもクリアしたい。
二度も死ぬなんて、まっぴらだもの。
「よし、やるわよ」
私は、両方の拳をぐっと握りしめて気合いを入れると、図書館へ向かって歩き出した。
まずは、卒論のテーマを決めなくちゃ。
むぎゅっ。
「…………え」
何か踏んだ。
私は、おそるおそる視線を下へ向けた。
薄紫色の長衣。
灰色のブーツ。
銀色の後頭部。
背の高い痩身の男性が、うつぶせに倒れていた。
投げ出された手のそばには、分厚い書物。
顔の横には、本体たる眼鏡。
「エチエンヌ様!?」
私は膝をついて、男性の肩を揺り動かした。
「エチエンヌ様、エチエンヌ様! どうなさったのです!?」
声をかけるが、ぴくりとも動かない。
図書館前の庭園で行き倒れていたのは、『マギクロ』攻略キャラの一人、図書館司書のエチエンヌだった。
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