第8話

 とてとてとて。


 デュークに連れられて、ジゼルが二階から降りてきた。


「なにしてるのー?」

 ジゼルは可愛らしい目をきょろきょろさせて、台所を見渡す。

「これから、お料理を作るのよ」

「おりょーり」

 そう言って、ジゼルは並べられた食材を一通り見た。

 やはり、彼女の興味は魚にしかないらしく、サーモンの塩漬けとオイルサーディンをじっと見つめている。


 そばでジゼルの様子を見守るデュークは自責の念からか、どこか苦しげな表情を浮かべている。


「あのね、ジゼル」


 私は、腰をかがめてジゼルと目線を合わせた。

「嫌いなものは食べなくても構いません。お兄様と一緒に、わたくしのお料理のお手伝いをしてもらえたら、とても助かるのだけど」

「おにーちゃまといっしょ……」

 ジゼルの鳶色の瞳が、ふっと揺れた。

 そして、デュークの顔を振り仰ぐ。

「…………」

 デュークは、無表情でこくりとうなずいた。


「おてつだい、する!!」





 ベルナルドの案は、「魚以外の食べものにまつわる、デュークとの楽しい思い出」を作ること。

 ジゼルが固執する「魚釣りの思い出」を上回るくらいの、濃密でかけがえのない思い出を彼女の記憶に刻むことができたら、偏食が治るかもしれない。


 もちろんそれは推測であり、断定ではない。

 下手をすれば、偏食を克服できないどころか、食事そのものを拒絶する可能性だってある。

 相当の博打だけれど、デュークと、彼の両親に了解を取ったうえで、可能性に賭けてみることにした。





「ジゼル、卵は割れるか?」

「われるよー」

 

 ジゼルは、小さな両手を上手に使って卵をボウルに割り入れていく。

 妹とそろいのエプロンを着けたデュークは、ボウルが引っくり返らないように両手を添えて、やや心配そうな面持ちでジゼルのサポートに徹していた。

 私とベルナルドは、具材の下ごしらえとパイ生地づくりの担当。



 一品目、サーモンとアスパラガスのキッシュ。

 溶いた卵に、細かく削ったチーズと牛乳、塩胡椒を少々入れてかき混ぜる。

 薄切りのタマネギを、フライパンでしんなりするまで油で炒める。

 耐熱皿にパイ生地の土台を敷き、炒めたタマネギ、サーモンの塩漬け、アスパラガスを入れ、卵を流し込み、粗く削ったチーズを散らす。

 予熱したオーブンで三十分ほど焼く。


 二品目、スフレパンケーキ。

 卵を卵黄と卵白に分ける。

 卵黄に、牛乳、小麦粉、重曹を合わせて混ぜる。

 卵白に、砂糖を三、四回に分けて加え、メレンゲ状になるまで混ぜる。

 メレンゲをひとすくい取り、卵黄のボウルに入れてしっかりと混ぜる。

 残りのメレンゲを合わせ、軽く混ぜる。

 フライパンに生地を山盛りに載せ、お湯を少々加え、蒸し焼きにする。

 引っくり返して、両面に焼き目をつける。


「おにーちゃま。ふわふわ! たまごが、ふわふわのクリームになったよ!」

「これは、メレンゲというそうだ」

「ほー……、めれんげ」


 三品目、ありあわせのもので作ったサラダ。

 卵とワインビネガーでマヨネーズを作る。

 ゆで卵、下茹でしたアスパラガス、ラディッシュ、細切りのニンジン、刻んだ豚の燻製を綺麗に盛りつける。


 四品目、ポテトチップ。

 毎度おなじみのアレ。




「完成ですわ」

「うわあ……、きれー」

 フランスの二つ星レストラン仕込みの色鮮やかで美しい盛りつけに、ジゼルはふわふわの頬を上気させて見惚れていた。

「さすがディアンヌ殿、なんて見事な……」

「ぼく、お父さんとお母さんに声をかけてきますね」

 ベルナルドが気を利かせてデュークの両親を呼びに行くと、店の方から悲鳴のような声があがった。

 王子様が「ごはんですよー!」と呼びに現れて、たいそう驚いている様子だった。

 まあ、普通の人なら卒倒するわよね。


 デュークの両親は、「店を閉めてからありがたく頂戴します」とのことだった。

 仕事の邪魔をしてしまって、こちらこそ申しわけない気持ちになる。

 遠くから「侯爵家のお嬢様と王子様と一緒に食事だなんて、滅相もない!」という二人の声が聞こえた気がしたけれど、さらりと聞き流した。ごはんは大勢で食べたほうが美味しいものよ。


「…………」

 ジゼルは、カラフルな食卓を無言でじっと見つめている。

「ジゼル。どれを食べる? やっぱり魚か?」

 デュークが、キッシュからサーモンだけを取り分けようとナイフを手にした。



「パンケーキたべたい」



「「「えっっっ???」」」



 私とベルナルド、デュークの呼吸が重なった。

 ジゼルは、つぶらな鳶色の瞳をきらきらと輝かせ、ふわふわのスフレパンケーキを指差した。

「おにーちゃまといっしょにつくったの、たべたい」

「ジゼル……!」

 デュークは、驚きと喜びがないまぜになったような声をあげ、「わかった」と取り皿にパンケーキをひとつ取った。

「おにーちゃまも、いっしょにたべよ?」

 ジゼルは無邪気に微笑んで、鈴の転がるような可愛らしい声で言った。

 私はデュークの分のパンケーキを皿に取り、彼の前にそっと置いた。


 そして、ジゼルはナイフとフォークを器用に扱い、一口大に切ったパンケーキを頬張った。

「ん~~~~~~~~!!」

 両手をじたばたと上下させ、デューク、私、ベルナルドの顔を順に見る。

「すごいの! おくちのなかで、しゅわってしたの! おいしい!」

 おにーちゃまも、と促され、デュークもパンケーキを口に運んだ。

「ああ、本当に……。しゅわしゅわしているな」

「ねー、おいしーね」


 仲睦まじくパンケーキをたいらげる兄妹を見守りながら、私は隣で幸せそうにキッシュを頬張るベルナルドに耳打ちをした。

「ベルナルド様。お見事な妙案でしたわ。本当にありがとうございます」

 すると、ベルナルドは小さな口の端にキッシュの黄色いかけらをつけたまま、顔を真っ赤に染めた。

「い、いえっ、その……ディアンヌ様のお役に立てて、光栄です……」

 どうやら、彼はめずらしく照れているらしい。


『マギクロ』の二次創作があったら、薄い本が捗る案件ね。

 私は、胸の奥にくすぐったさを覚えながら、彼と同じくキッシュに口をつけた。


「ジゼル。兄さんは、王宮の騎士団に入ったら、とても忙しくなる」

「……また、あえなくなるの?」

 ジゼルが、不安げに瞳を揺らした。

 デュークは、静かに首を横に振った。

「いや、できる限り時間を作って、ジゼルに会いに来るよ」

 普段は無表情のデュークが、愛おしげに微笑みかけた。




 悪役令嬢二日目は、とても穏やかで平和に幕を下ろしたのだった。




 翌日に待ち構えている事件など、知るはずもなく。

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