第7話
デュークの実家の一階は、武器屋の店舗と工房が続き間になっていて、広々としている。
その奥に、台所。木製の長方形の食卓に、椅子が四脚。
焜炉が二口、オーブンがひとつ。
デュークの母・エリシアさんが「食材は自由に使ってください」と言ってくれたので、甘えることにした。
貴族の娘に台所仕事をさせることに、いささかの抵抗があるようで、今も向こうで恐縮している。
台所へ向かう途中、工房で剣を研いでいたデュークの父・シモンさんに挨拶をしたら、隣国の王子様と侯爵令嬢のセットに驚いたのか、椅子から転げ落ちそうになっていた。
「さて」
私は、作業台兼食卓に並べた食材と向き合い、袖をまくった。
ロイヤルブルーのワンピースの上に、自宅から持参したフリルの白いエプロンを着けている。
手伝う気まんまんのベルナルドも、白いシンプルなデザインのエプロンを着けた。王宮の女官から借りてきたらしい。
デュークは、ジゼルの部屋で彼女の遊び相手になっている。
王立学院は全寮制なので、妹と会う機会がほとんどないのだという。
卒業して、正式に王国騎士団に所属したら、ますます帰ってこられなくなるだろう。
使える食材は、カボチャ、トウモロコシ、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ラディッシュ、ホワイトアスパラ、豚の燻製、サーモンの塩漬け、オイルサーディンの瓶詰、ドライアプリコット、卵、チーズ、小麦粉、重曹。
調味料は、砂糖、塩、バター、オリーブオイル、ワインビネガー、白ワイン、ローリエ、黒胡椒、バニラ。
どうしたものかしら。
これらの食材をかけ合わせたメニューはいくらでも思いつくけれど、魚しか口にしないジゼルが喜ぶレシピとなると……。
「やっぱり、魚がメインですか?」
私の考えと同じことを、ベルナルドが口にした。
「私も、魚料理が妥当だと思うのですけれど、それではデュークの求めに応えられていませんわ。魚以外をメインに、それでいてジゼルが口にできるようなメニューを考えなくては」
「難しいですね……」
あ、そういえば。
「ベルナルド様。昨日のお約束、覚えておいででしょうか? この場にお好きな食材がありましたら、一品リクエストにお応えしたいのですが」
「もちろん、覚えてます! ディアンヌ様がぼくだけのために、ぼくのことだけを考えて、愛情をこめて作ってくださる手料理ですよね!」
なかなかの誇大解釈だけれど、間違ってはいない。
「そうですね……、結局、魚料理になっちゃうんですけど、サーモンのキッシュが食べたいです」
「おまかせくださいませ」
二つ返事で快諾すると、ベルナルドは頬をバラ色に染めて笑ってくれた。
「ぼく用の品は、後回しにしましょう。先にジゼルに作るメニューを考えないと」
二人並んで、食材一式と睨めっこしているだけで、三十分が経過しようとしていた。
そこへ、デュークがやってきた。
「すまない、二人にまかせっきりにしてしまって」
「構いませんわ。ジゼルはお部屋ですの?」
「ああ。ひさしぶりに遊んでやったら嬉しかったのか、すっかり疲れて眠っている」
子どもは、よく遊びよく食べ、よく眠るのが仕事である。
「デューク様。ジゼルは、昔からお魚しか食べられない体質なんですの?」
「いや、昔はなんでもよく食べていた。魚しか食べなくなったのは、ここ半年のことだと、両親が言っていた」
何かトラウマのような経験があって、魚が食べられなくなるという話はよくあるけれど、逆は聞いたことがない。
偏食の要因は、大きく分けて三通りある。
ひとつ目は、味覚。
たとえば、野菜の渋みや、魚介類の生臭さに対する拒否反応が好き嫌いにつながるケース。
ふたつ目は、視覚。
単純に見た目が苦手なケース。
キノコの形が嫌いだとか、魚の顔が怖いとか。
前の世界だと、私はかまぼこのピンク色が苦手だった。
みっつ目が、心理的なもの。
個人を取り巻く環境に左右されるものだから、一概に「これ」とは言い難い。
何かの出来事をきっかけに、特定の食べものが受け付けなくなる場合がある。
「デューク様。何か、ジゼルとお魚にまつわる出来事を聞かせてくださいませんか? どんな些細なお話でも構いませんわ」
ジゼルの偏食が最近始まったものなら、治すきっかけはどこかに必ずあるはず。
「魚……、ジゼルと魚……」
デュークはぶつぶつとつぶやきながら考えはじめた。
二メートル近くある長身を見上げていると、首が痛い。
私より頭半分ほど背の低いベルナルドも、きっと同じことを考えているだろう(設定身長、百五十八センチ)。
「昨年の冬、学院の休暇中に家族で漁師町へ旅行に行った。海岸で、ジゼルと一緒に海釣りをした」
「もしかして、そこで釣れたのは、サバですの?」
「そうだ、よくわかったな」
デュークは目を見開きつつ、うなずいた。
「現地の人からは、観光客とは思えない釣果だと驚かれた」
よほどの数が釣れたのね。
「ジゼルは、その時喜んでいましたの?」
「それはもう。『このままずっと、おにーちゃまと一緒に釣りをしてお魚を食べていたい』と言うくらいには」
「それですわ!!!」
突然の大声に、ベルナルドとデュークはぽかんとした様子でこちらを見た。
「デューク様。ジゼルは、あなたと滅多に会えない寂しさから、偏食になったのだと思いますわ。一緒に食べたサバの味が忘れられなくて、ずっとお魚を食べ続けていれば、またあなたと一緒にいられると思い込んでいるのかもしれませんわ」
心理的要因。きっと、そうだわ。
「そんな……、俺と一緒に釣ったサバが、ジゼルをそんな目に……?」
責任を感じたのか、デュークはすっかり落ち込んでしまった。
ジゼルの偏食の根本的なきっかけは突き止めたものの、どう治すかが問題だわ。
まさか、デュークに騎士の道を諦めて実家に戻れだなんて酷なことは言えないし。
考えあぐねていると、ベルナルドが思いついたように顔を上げた。
「デューク。ジゼルを起こしてきてくれる?」
「王子、何か考えが?」
ベルナルドは、少女めいた可憐な顔に微笑みを浮かべて、言ったのだった。
「ぼくの頭脳と、ディアンヌ様の料理で、ジゼルの『病』をたちどころに治してあげる」
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