第3話
ゲームのディアンヌルートに入るためには、一年目のうちに彼女の親密度を六十パーセント以上にする必要がある。
ディアンヌの上がりにくい親密度を大きく跳ね上げる方法は、いくつかあって。
一日に一度だけ行ける図書館で「料理の本」を三十日続けて読むとか、
シナリオとは関係のないミニゲームでSランクのケーキを作り、「誰にあげようかしら?」の選択肢でディアンヌにケーキをあげる動作を五十回繰り返すとか、
アランとの親密度を三十パーセント以下に保った状態で、ベルナルドとの会話イベントを発生させ、選択肢でディアンヌを褒めるとか、
ひと手間かかりそうなこれらの作業を地道にこなして、二年目のディアンヌの誕生日までに親密度を八十パーセントまで上げると、彼女との友情EDが確定となる。
ちなみに、前の人生での「私」は、なんとか親密度を基準値の六十パーセントまで上げて一年目を終えたところだった。
ネタバレ回避していたのもあり、ディアンヌEDにつながる詳しいシナリオは把握していない。
☆
「サーラ、大丈夫? やだ、お鼻が真っ赤。……ディアンヌ、あなた、よくもやってくれたわね!」
サーラの亜麻色の髪の中から、ピンク色の髪を両耳の上で結い上げた妖精が飛び出した。
名前はポレット。
健気でひかえめなサーラとは対照的に、勝ち気な性格をしている。
「わたくしは何もしていませんわよ……」
強いて言えば、ちょっと扉を強めに開けてしまったことかしら。
サーラの顔面にぶつけてしまったのは、不運な事故よ。
「ちょっと、ポレット。あたしの相棒に因縁つけるのやめてくれない? ディアンヌは顔は怖いけど、あんたが思ってるほど悪党じゃないんだからね! ちょっとバカで器用貧乏なだけで!」
「はああ!? 充分、悪党じゃないの! うちのサーラにあんなことやこんなことまでしてくれて、今さら言い逃れなんかできないんだから!」
いつの間にか外に出てきたフラヴィが、顔を真っ赤にしてポレットに突っかかる。
まるで蝶と蝶がぶつかり合うように、私の目の前で二人の妖精が鼻先を突きつけ合っている。
「ポレット、いいの。わたしは大丈夫だから……。フラヴィもごめんなさい、いやな思いをさせてしまって……」
サーラは、ぶつけた鼻を押さえながら相棒の妖精をたしなめる。
「ほら、お立ちなさいな。怪我をしているのでしたら、手当くらいはして差し上げてよ」
私はサーラの手を取り、彼女を立たせた。まるで綿毛に触れたかのように軽い。
膝丈の赤いスカート、同じ色のボレロ、丸襟の真っ白なブラウス、襟元にはピンク色の宝石をあしらったブローチ。この世界に召喚された際に、妖精王から贈られたものらしい。
「あ、ありがとう、ディアンヌ……」
悪役令嬢らしからぬ振る舞いだとはわかっているけれど、目の前で泣いている女の子を放っておくわけにはいかない。
サーラは長い睫毛に縁取られた胡桃色のぱっちりとした瞳を潤ませ、上目遣いで微笑んだ。
設定資料では、サーラは百五十三センチと小柄で、ディアンヌは百六十五センチの長身なのだ。
「あなた、聖女の最終試験をひかえて忙しいのではなくて? 何しにいらしたの?」
婚約破棄イベントにともない、ディアンヌは聖女候補から脱落した。
聖女候補はサーラ一人となり、最終試験で国王と妖精王の認定を得られれば、彼女が次の聖女に決定する。
「あの、実は……」
くきゅるるるるるるるるる……。
サーラがおずおずと口を開いた時、彼女のお腹から可愛らしい音が漏れ聞こえた。
「はっ、はわわっ、ごめんなさい……! なんだかいい匂いがして……」
厨房からただよう、できたてのジャガイモ料理の香りに反応したらしい。
「召し上がっていっても良くてよ」
「えっ、あの、いいの?」
ぱっと顔を上げたサーラの頬が、ほんのりピンク色に染まる。可愛い。
「作りすぎてしまいましたの。これから使用人たちに振る舞うつもりなのですけれど、よければあなたもいかが?」
こくこくこくこく!
サーラは頬を上気させ、無言で首を上下に振った。
「えっ……なんでサーラがここにいるの?」
厨房へ戻ってきたベルナルドは心底嫌そうに顔をしかめ、作業台の前に置いた椅子にちょこんと座るサーラへと、敵意のこもった視線を向けた。
「こんにちは、ベルナルド様。いただいてます」
「あああああっ! そのジャガイモの素揚げ、ぼくより先に食べるなんてずるい!!」
軽い食感のポテチを前歯で可愛らしくパリパリと食べるサーラの姿に、ベルナルドは顔を真っ赤にして叫んだ。
「ベルナルド様のぶんは、こちらに取り分けていますわ。どうぞ」
皿に取り分け、塩をまぶしたポテチを彼の前に差し出す。
「ディアンヌ様の手料理を、この女がぼくより先に食べるなんて……」
ベルナルドは口を尖らせ、納得いかないと言いたげにぶつぶつとつぶやく。
大人顔負けな頭脳の持ち主でも、こういうところは年相応に子どもっぽい。
「ベルナルド様。明日は、ベルナルド様のお好きなものを作りますから、リクエストをくださいな」
「えっ、いいんですか? ええと、ええと……」
「考えながらで結構ですので、こちらを早く召し上がってくださいませ」
「はい、いただきます!」
すっかり機嫌が直った様子のベルナルドにガレットとスープを取り分け、同じものをサーラにも取り分ける。
顔を輝かせながらポテチに手を伸ばすサーラの隣に椅子を置き、腰を下ろした。
「あなた、何か話があるのではなくて?」
「あ……」
手を止めるサーラに、「食べながらでよくてよ」と促す。
サーラはハンカチで口をさっと拭き、こちらへ向き直った。
「あのね、ディアンヌ……」
思いつめたような表情で、サーラは私の顔を覗き込んだ。
「アラン様の様子がおかしいの」
「アラン様が?」
ディアンヌの悪事を暴き、サーラと結ばれ、ハッピーエンド一直線のアランの何がおかしいというのだろうか。
「アラン様……、わたしと一緒になりたいと言ってくれたけれど……本当は今でもディアンヌのことが忘れられないみたいで……」
「えっ」
「えっ」
私とベルナルドの声が重なった。
「どうして……」
だって、ゲームの中では、婚約破棄イベントによってアランの気持ちは完全にサーラへ向くのだ。
どうひっくり返っても、彼の矢印がふたたびディアンヌに向くことは有り得ない。
サーラがここにいることもそう。
本来のシナリオならば、主人公サーラは最終試験の準備や花嫁修業に明け暮れているはず。
こんなところでジャガイモを食べているわけがない。
何かがおかしい。
ここは確かに、私の知っている『マギクロ』の世界。
世界観もキャラのビジュアルも、ボイスも、ゲームそのもの。
でも、どこか違う。
もしも、『マギクロ』と似て非なる世界なのだとしたら、私の頭の中にある攻略チャートは、何の意味も持たないのかもしれない。
「どうなっているの……?」
私が漏らしたつぶやきの意味を図りかねてか、サーラは不安げに小首をかしげた。
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